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日本一運のいい女―新皇后の肖像  12

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 1993年4月12日 納采の儀

 ど真ん中に扇子をさしている

でもとりあえず矯正

 

 1993年4月17日 新潟へ墓参り

かの有名なツギハギ墓。なぜこんな形になったかはわからない。

 

 週刊文春 4月29日号

「小和田雅子さん先祖の墓前に「婚約報告」

 新潟駅から車で小和田家の菩提寺である泉性寺へ向かい、両親と一緒に墓前で神妙に手を合わせて「婚約報告」。
 その後、親戚宅で昼食をとるなり、慌しく帰京した。

 1993年4月20日 告期の儀

 

 1993年 週刊文春 1993年4月29日号

「結婚の儀まであと50日雅子さん 少しお疲れなのでは

「骨組みががっちりした女性だからテレビの画面などではわからないけど、ずいぶん痩せたみたいですよ。目の下のクマも目立つし・・・それは、本人も気にしているようで化粧も段々濃くなって最近は随分厚化粧になりましたね。それがまたとやかく言われたりするんですから大変です」

 結構きついなあ・・この書き方。厚化粧って・・・(笑)

酒井美意子氏「先日、知人の作家の方が「日本人というのは意地悪でいじめの好きな国民。だから雅子さんのような方をみるとすぐあら捜しをするんです」と、おっしゃっていましたが本当にそうなのかもしれませんね」

 酒井さんの本を読んでいたのにこんな事言うとはがっかりです。「韓国人というのは・・・」じゃないの?

常盤会メンバー「女性週刊誌などに、宮家を始め常盤会が反発なんて書かれて大変心外です。まあ、そんなふうに書けば面白いんでしょうけど。ご婚約の記者会見での雅子さんの言葉遣いにしてもあれこれいいふらしていたのは、実際は皇室周辺の女性だと聞いています」

 常盤会もいい迷惑ですよね。

 皇太子妃選考に関して、終始美智子皇后の主導下で進められ、旧華族や常盤会から選ばれる可能性はほとんどなかっとある宮内庁関係者も証言する。

「小和田さんがチッソ問題などで候補の圏外に去った時期、もっとも有力だったのはHさん。小和田さんと同じ外交官令嬢で彼女には天皇も賛成されていた。しかし、この話は結局まとまらなかった。Hさんの方で辞退したんですが、母方の血筋が島津家に繋がるという点に皇后が難色を示されたのも一因と言われています。皇太后の血筋も島津家ですからね。あの時、皇后もHさんに賛成されていたらあるいは皇太子の6年越しの恋は実らなかったかも」

 「雅子さんが皇太子妃にふさわしい女性であることに異議を唱えるひとはいません。しかし、美智子さまが選んだということで、雅子さんに冷ややかな空気が皇室内や、周辺にあるのも事実。実際、発表まで婚約の事実も知らされなかった宮家の妃殿下たちや皇太后付の古い人達の反発は相当なものです。35年前の確執は消えるどころか今も攻守ところをかえて残っている。昭和天皇の没後は一層ひどくなりました」

 昭和天皇が正田家を食事に御所に入れなかったことをずーーーーーーーーっと根に持っていた美智子さま。大反対運動が起きたことに対しいつかきっと仕返ししてやるーーーーっとずっと待ってた美智子さま。全ては美智子さまが発端と言っているようなものですわ。

 婚約後、天皇家では秋篠宮夫妻、紀子様の実家の川嶋夫妻、そして小和田家の人達を招いて食事会を開いたんですが、あの会には首をかしげる人が多かった。

川嶋夫妻が招かれるなら当然、各宮家の人達も招かれるべきだとか影でブツブツいっていました。雅子さんの今の立場への配慮がないんです。一部には、これからの皇室は天皇家の直接の家族でやってゆくという宣言だ、なんて噂する人もいたほどです」

 確かにこの一見は一般家庭に置き換えても非常識な食事会でした。常陸宮家も高松宮家も秩父宮家も三笠宮家も高円宮家も相手にしてません的な?親がこういう事をすると子供が大変な目にあうんだけどね。雅子さんの立場云々よりやっぱり、雅子さん自身が嫌われていたからと考える方が・・・でも皇后陛下のせいにしすぎか?

 婚約会見後、雅子さんの肉声は一切きかれなくなった。インタビューしても文書回答するというんです。服装についても井上女官長あたりから小和田家に色々アドバイスがあったそうです。途端に雅子さんおファッション・センスが悪くなった。納采の儀の着物なんかも含めてね。僕らは陰で「井上さん余計なアドバイスをしないで」といってるくらい」(女性週刊誌編集者)

 いやはや、あの金ぴか着物から始まって「途端にセンスが悪くなった」って井上女官長も迷惑な話ですね。

 「雅子さんはやっと皇室の雰囲気がわかりかけてきたころ、いつか「雅子さんが天皇家の家族の音楽会に招かれて涙を浮かべた」という新聞記事がありましたが、例えば「こうした家族愛の強い家庭に私がついてゆけるだろうか」と不安を彼女が感じたとしても不思議じゃありません。外交官の家庭に育った彼女にとって天皇家の日常生活とのギャップははかりしれません」

 さりげなく小和田家は音楽を奏でるなんて高尚な趣味とは無縁、家族愛も無縁の家庭と言っているようなもの?

 週刊新潮 1993年6月3日号

「ミカドと結婚する方法「ニューヨーカー」大特集

 くっきりとした容貌で、なかなか老けないことは確かである。しかし、彼女は美人コンテストの女王になるほどの美人ではない。モデル業の代理店であれば、背の低さ(一六〇センチの皇太子より二・五センチ高い)や突起した鼻、気の強そうなアゴ、歯並びの悪さ(日本人は八重歯と呼んで欧米人のえくぼと同様に魅惑的だとしている)に注目するだろう。

 偉い言われようにちょっと同情しました。


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