一言でいうと「皇后陛下を称えまショウ」的な感じがいたしました。何でここまで上座に上がるのか皇后が・・・・
皇居で行われた皇族からの挨拶。まずは皇太子夫妻
秋篠宮夫妻
眞子内親王・佳子内親王
30周年式典に到着した両陛下。
全体的な流れとして総理大臣始め、お歴々の挨拶までは普通でした。
あれ?と思ったのは波野久理子が皇后陛下の歌を披露し、讃え始めてから。
三浦大知の歌も天皇の琉歌に皇后が曲をつけたもので、沖縄の人からすれば光栄なことだったんでしょうね。沖縄一色、何というか・・・都道府県全部回ったという割には特定の県に特化した歌を披露。
それが終わったら、今度は皇后陛下の浩宮への「歌」に曲をつけて披露。
「皇太子は自分達にとって特別なんです」といわんばかりのご披露で、皇后の嬉しそうな顔ったらないです。
そして天皇陛下のお言葉。このお言葉の中に気になるフレーズが。
「世界は気候変動の周期に入り、我が国も多くの自然災害に襲われ」
へえ、自然災害が気候変動のせいと思っていらっしゃるのね。歴代天皇は全て「自分の不徳のせい」と思っていた筈なのに。
「象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、これから先、私を継いでいく人たちが、次の時代、更に次の時代と象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています」
皇太子もそうですが「象徴は何か」と考える必要はないのでは?何を模索し果てしなく遠いと思われたのか疑問です。国家元首とか大元帥としてどうあるべきかと模索するならわかるけど、「象徴とはしての天皇像」の模索というのはどうみても変です。
まるで「権力行使をどこまでやっていいのかわからない」という話ですよね。
あるいは真逆に「象徴天皇制なんてあるだけ無駄じゃん」と言っているようにも聞こえて。だから退位、相手が断れないのをいいことに憲法違反してまで退位に繋がるのだとしたら、象徴天皇はいらないということになります。
即位の時に「憲法を順守する」と話しておきながら、自らそれを破るという晩年にひどい事をした天皇の実録はどのように書かれるのでしょうか?
「平成が始まって間もなく、皇后は感慨のこもった一首の歌を記しています。
ともどもに平(たひ)らけき代(よ)を築かむと諸人(もろひと)のことば国うちに充(み)つ
平成は昭和天皇の崩御と共に、深い悲しみに沈む諒闇(りょうあん)の中に歩みを始めました。そのような時でしたから、この歌にある「言葉」は、決して声高に語られたものではありませんでした。
しかしこの頃、全国各地より寄せられた「私たちも皇室と共に平和な日本をつくっていく」という静かな中にも決意に満ちた言葉を、私どもは今も大切に心にとどめています」
実はこのフレーズは重要なことで、天皇の素顔をみたりというか、やっぱりそうだったんだと思うものです。
つまり、昭和天皇が崩御して悲しみの中にあるのに、皇后は「国中の人々が共に平和な時代を作っていきますと言ってますよ」歌った歌なのです。
これはつまりアンチ昭和。昭和天皇への痛烈な批判です。
昭和天皇が亡くなった時にこの歌を作ったからこそ、決して声高には言えなかったのです。でも30年後にこれを言った。
なぜか。今、日本は平和から遠ざかろうとしているから・・・と陛下が思っているからです(いや、皇后が)徴用工問題も慰安婦問題もレーダー照射事件も何もかも日本が悪くて勝手に騒ぎを起こしているから平和が脅かされている。
国民は私達(天皇皇后)に「平和を守ります」と言っている・・・それも全国からそういう声が届いているんですよ。安倍総理ってな感じでしょうか。
太平洋戦争の責任は昭和天皇にあるのだと思い込んでいる今上。だから「戦争犯罪者の息子じゃないですか」と言われても「その通り」としか言えないんでしょうね。むしろ、もっとお詫びに行かなくちゃと。
ああ・・・もうほんと、そんな天皇の息子が同じでないといえますかね。
(それにしても悲しみの中でそんな歌を詠む皇后って・・・・・)
陛下が途中、読み間違えをして皇后に助けられるシーンがあり、そういうことがあるから尚更もう皇后なしでは言えないんでしょうね。情けないなあ。