被災地である東北では全然風化なんてしてませんよ。
福島は風評被害にあっているし、今も帰宅できない人がいるし、また大きな地震が来るかもしれないって言われているし。
だけど、関東までくると若い人などはもう記憶にないという人もいて。
小さかったからあまり覚えてない・・・みたいなね。
あれだけ揺れたのに・・・と思うけど、千葉県と東京都内では感じ方が全然違っていて、震災1週間後ですら「そんなに大きな地震だった?」って言われてびっくりした覚えがありますから。
阪神大震災も神戸と大阪では全然感じ方が違ったように、東北でも宮城・福島・岩手と山形や秋田などは感じ方が違ったかもしれません。
何より都内では電車が止まった・・帰宅困難になった・・・などの記憶はあるかもしれまいけど津波を経験したわけじゃないし。そういうのも風化の一因なんじゃないでしょうか。
NHKはほぼ毎日「あの日わたしは」とういう番組を流して風化させないようにしているようですが、あれ、私はあまり好きじゃありません。当時の状況を語るというより、失った人への追慕が大きくて見ていて苦しいからです。
生き残った人達の後悔は想像を絶するものでしょう。親や子供を失った人達にとっては何年経とうと風化するものじゃないし、前向きに歩いているつもりでもふと思い出しては「あの時、ああすればよかった・・・こうすればよかった」と悩み、苦しみ、涙する。まさに「北の桜守」のお母さんのように思いこむ人もいるでしょう。
それを思うと本当に悲しいし、やりきれないし、どうにもならないし。
幸いにして身近な人達がみな無事で、津波があと数センチ来たら終わりだったというような話を聞く度に人の運命を感じます。
郡山宮夫妻が住む郡山も随分復興して、まるで別な町みたいになってます。新しい家がどんどん建っているのをみると、「うちも全壊した方がよかったんじゃない?」なんて不謹慎なことを考えてしまいます。何をもって半壊とか全壊とするかの基準はわかりませんけど、中途半端に壊れなかった宮夫妻の家は今も傷だらけで地震が来るとすごく揺れます。でも建て替えをしてあげられないのが申し訳なくて。
せめてジュニアにその力があればと思うのですが、まだあっちの市民になって1年半くらいですしね。
震災の年に成人したジュニア、そして成年式を迎えた眞子内親王。
あの時、成人式を終えたばかりの同級生が幾人なくなったか、他の年代よりも感じて欲しいと思いますし、今の自分の生き様を振り返って欲しいと思います。
もし生きていたら28歳になる年です。結婚や恋愛や仕事にまい進していたであろう多くの平成3年生まれの人達の思いを受け取って生きて欲しいと思います。