その2週間後、オワダ家から東宮職に正式に「お断り」の返事があった。
「今は結婚そのものが考えられない」と。
しかし、この断りには追伸として「しかし、両陛下から直接のお言葉があれば
本人も受諾するかもしれない」とあった。
さすがにヤマシタもヤナギヤもこの台詞には「あまりにも不敬」と思ったが
今やすっかりリベンジを果たしかけているヒサシの前では何もいえなかった。
「何でしょうか。直接の言葉というのは」
もうすぐ中国訪問・・・というこの時期、いきなりそういわれても皇后はぴんと
来なかった。
なにせ、皇太子が極秘にマサコと会っていた事すら知らなかったのだから。
「それは・・多分、皇后陛下から直接マサコさんに来て欲しいというような。
そんなお言葉をかけて頂ければオワダさんの方も納得して、皇太子殿下と
結婚を前向きにですね・・・」
冷や汗が出てくる。
ヤマシタの言葉に皇后は当然のごとく眉をひそめる。
「私に直接皇太子妃になってくれとお願いしろと?」
その言葉には小さな・・というより静かな怒りが含まれている。
皇后は内心「随分と甘く見られている」と感じ、絶望的になった。
先帝の時代はそんな事はなかった筈。
なぜ、今、そうなのか。自分が民間から出た妃だからなのだろうか。
それでも時代的な事を思えば、突っぱねるわけにもいかない。
「なんと言う事でしょうか」
皇后は呼吸を置いた。
「いつの間にそんな話になっているのですか」
「それはその」
ヤマシタは事の経緯を隠しておくわけにはいかないと思った。
実は、お断りがあってからも、マサコは東宮御所に来ているし、電話連絡も
しているのである。
彼女側からすれば「結婚はしないけど友達でいよう」という考えなのかもしれない。
しかし、東宮職からすれば
「妃になる事を断ったのになぜ頻繁に電話をしたり遊びに来たりするのか」と
いうことになる。
無論、それはマサコの意志というより「父親」の差し金である事はわかっているが
その通り皇后に伝えるわけにはいかなかった。
「そもそもなぜ私が直接お願いしなくてはいけないのでしょうか。私が出て行く
事でまとまる話というのはおかしいのでは?オワダ家は何を望んでいるのですか」
「はあ」
「確かに皇太子妃という立場は重い。私も同じように悩み考え、最終的に
陛下の思いを受けました。でもそれは誰かにお願いされたからではなく
私が心から陛下をご信頼申し上げ、尊敬と敬愛をもてる方だったからです。
あちらの方は違うのですか?」
「陛下はご結婚後、民間出身の妃として様々なご苦労をされてきました。
オワダ家もそれを知っています。それゆえに娘さんの心配をされているのです。
マサコさんが皇后陛下のように苛められはしないかと」
「私は苛められてはいませんが」
皇后の唇は小さく震えていた。
「と・・とにかく、それで両陛下からのたってのお願いでご成婚という運びに
なればオワダ家も安心してですね」
「まるで政治ですね」
そうだ。これは政治なのだ。何気ない皇后の言葉が的を得ている事に
ヤマシタは今更ながら感心した。
しかし、見抜く事は得意でも政治力があるかどうかは別の問題だ。
「皇室の人間になっていくというのは、自分自身の精進の問題ではありませんか」
「その通りですがマサコさんはアメリカ育ちで非常に現代的な女性です。
ご優秀で成績もよく、滅多にいない女性ではありますがそれゆえに皇室に対する
感情も・・・・」
「なせ、皇太子はそのような人と結婚したがるのでしょうか」
ヤマシタは黙りこんだ。親子なんだから自分で聞いてくれというような気持ちだった。
でも、皇太子が立太子し、東宮御所に移った時点で天皇も皇后も
口を出さなくなった。独立した東宮家をたてようとの気持ちらしかった。
結婚の話も、アキシノノミヤの時は散々口を挟んで、あれやこれや指示し
今もキコ妃は皇后の監視下にある。
でも、皇太子に関しては、というより皇太子妃の件に関してはほとんど
口を挟まず、なりゆきに任せるといった具合。
皇太子の自立を重んじているというのが前向きな意見だが、果たしてそうなのか。
もしかしたら両陛下は皇太子は一生独身でもいいと考えているのでは?
そんな事すら頭をよぎるほど。
今になって「なぜそんな人と」とは言うものの、皇太子の訴えを本気で
受け取らなかったのは天皇と皇后だ。
「マサコさんはキコ妃殿下よりも学歴があり、しかも美しく聡明でいらっしゃいます。
財産も持ち家もありますし、お父様は外務事務次官。将来は国連大使にも
なろうという方。そんな方を皇太子妃として臨まれた皇太子殿下は大層
お目が高いと私は思います」
「学歴と財産」
皇后は呟き、押し黙った。
それを言われると反論の余地はなかった。
まさか「学歴でもなく財産でもなく血筋だ」と皇后の口から言える筈もない。
もっともそれを否定してきたのは自分自身なのだから。
天皇も同じ気持ちだろう。
皇室の中でもっともリベラルな考え方を持っている天皇が「血筋」で人を
評価するはずがない。では何で?
それはやっぱり「学があるかないか」なのかもしれないと皇后は思った。
一方のヤマシタは皇后を論破できたと確信した。
ミチコ皇后こそ、日本の高度成長期時代の申し子なのだ。
皇室という「血」い拘る特殊な世界に、美貌と知識を武器に入ったのだから。
皇后について今まで語られてきた事は全て
「高学歴ゆえの成績優秀者」と「学と教養があるゆえの気遣いの細やかさ」
一度会った人の顔は忘れない。どんな会話をしたかも決して忘れる事はない。
訪問する相手の事は事細かに調べ上げて「出会い」をプロデュースする。
そんな「皇室の中におけるキャリアウーマン像」を作り上げたのは皇后自身。
その証拠に、キコ妃は同じ道を歩み始めている。
「でもやっぱり私から何か言う事は出来ないと思います。陛下も同じでしょう。
それでダメになるならそれでいいわ」
ヤマシタはがくんと頭を下げた。
「この事は陛下に申し上げますが、きっとお怒りになると思います。それは
私がなだめるとしても、皇太子にはもう少し礼儀を弁えて貰わないといけません。
東宮侍従長であるあなたがもっと、きちんとした事を教えてあげてください」
皇后は微笑みながらも目は笑っていなかった。
「ダメになるならそれでいいだと?」
ヒサシは拳を握り締めた。
「この事はすでに陛下の耳にも届いている筈。これ以上高飛車に出る事は
やめた方がいいでしょうね」
電話の向こうのヤマシタは怖気づいているようだった。
「・・・・・」
ヒサシは考え込む。
マサコの結婚を成功させるにはどうしても「お墨付きが欲しい」のだ。
「無理を言って皇室に来てもらった」という。
そうでなくては意味がない。
「わかった。ではこちらで何とかするから。そっちは皇太子に諦めずに
プロポーズしろといえ。そうすればマサコは必ず受けると」
電話を切り、ヒサシはふと新しい考えにとりつかれ、繭をしかめつつも
少し笑った。
「マスコミを利用すればいいか」
いくらかかるだろうか・・・・と金勘定をしてみる。全額我が家で支払うのは
馬鹿な話だ。フクダに言って外務省の機密費を融通させよう。
そうすれば大々的なキャンペーンが打てるではないか。
すなわち
「マサコさんは本当は外務省でキャリアを積み、将来は大臣になる事を
夢見ていたのに皇太子のプロポーズを断れず、泣く泣く皇室に嫁いだ。
両陛下から三顧の礼を尽くされた以上は断れないとオワダ家も考え
娘を説得した」と。
皇太子の諦めない粘り強さがここに来て役に立つ。
いや、自分は思われていない事にも気づかない純情青年なのか?
どっちにせよ全ては皇太子の性格が招いたこと・・・・と思う事にした。