ローマ法王が来日したいとか言ってるから、来たら女系派の人は聞けばいい。
「どうして女性は法王になれないんですか?」
皇室の安定的な継承の為に女系天皇を認めると言うのは詭弁です。
歌舞伎の安定的継承の為に女性も團十郎を襲名出来ます!ありえないもん。
確かに大友皇子は明治になってから「弘文天皇」の諡号が贈られました。
1400年経過してから「天皇」になっても意味はないのでは?
愛子内親王が23世紀くらいに「天皇」と諡号を贈られても私達、生きてないし。
明治政府はこの時、弘文・淳仁・仲恭と3人に諡号を贈ったのですが、弘文以外の2人は即位した形跡があったけど大友皇子にはなかった。だけど江戸時代から「大友皇子は天智亡きあと、政務をとっていたのではないか」という学説があるわけです。
実際には天智天皇の妃、倭姫が天皇だった可能性もあり(「天上の虹」ではそっちだったっけ?)よくわからないんです。
でも「皇位は直ちに継承」と明治の皇室典範で書いた以上、天智と天武の間に空白があったらいけなかったのかなと。
今回も平成と令和の間には半日の空白があったのですが、本当はそれもよくないことです。
神武天皇 → 元正天皇まで漢風諡号をつけたのは淡海三船という人物です。
系図で見てわかる通り、大友皇子の曾孫になります。
722年から785年まで存在した人で仕えた天皇は孝謙天皇→淳仁天皇→称徳天皇→光仁天皇→桓武天皇まで。
養老律令によると皇族の身分は5世孫まで
淡海三船は天智天皇から見て5世孫。
淡海三船は出家 → 還俗して王を名乗る → 臣籍降下して淡海三船と名乗る
孝謙天皇から称徳天皇の時代まで、皇族は生き残るのが大変でした。
何と言っても陰謀だらけで孝謙天皇の姉も妹も謀反の罪を着せられて流されたり自害させられたり。だから次々皇族が臣籍降下していくのです。
葛野王は持統天皇に「大津か草壁か」と問われ「朝廷では古来より長子相続でした」と言って草壁を擁護し、生き残った一人です。葛野王こそ世が世なら皇太子になってもおかしくなかったし、有力な天皇候補の一人であったけど、壬申の乱以降はひっそりと暮らすしかなかったんですよね。十市皇女も訳ありで亡くなっているし。
大友皇子は男系男子。でも愛子内親王は男系女子。そして戦後の皇室典範でも男系女子の即位は認められていませんので、内親王が将来「天皇」の諡号を贈られる確率はないのでは?というかあって欲しくないです。
女系派には何を言っても無駄と言われると筆も鈍るというか私自身もすごくがっくり来てしまうんですけど、とにかくアカの人達というのは理屈なんかないんですよね。
何でも「ヘイト」って言えばいいんだもん。
小泉首相が愛子内親王についてどの程度知っていたかわかりませんが、障碍には出来ることと出来ないことがあり、無理無理出来る風に見せるのはかえって差別なんじゃないの?と思います。