2003年4月30日 那須静養に向かう (また静養かいっ)
2003年5月8日 赤十字大会
2003年5月13日 公園デビュー
2003年5月23日 2回目の公園デビュー
2003年5月30日
週刊現代2003年6月14日号
「第2子懐妊か?雅子妃が公務を長期欠席「病院通い」の理由
5月23日の皇宮警察音楽隊50周年記念演奏会には夫妻とも参加しなかった。(中略)公務を欠席中の5月23日、突然皇太子夫妻が、1歳半になる愛子さまを伴って東宮北側にある「南元町公園」を訪れた。
2003年6月10日 湯浅宮内庁長官の発言
「やはりもう一人欲しい」「多くの国民もそう考えているのではないか」
2003年6月15日 学習院OB管弦楽会
2003年6月19日 フローレンス・ナイチンゲール賞授与式
2003年6月23日 インドネシアのメガワティ大統領訪日式典
女性自身2003年7月10日号
「宮内庁雅子さま「もう一人・・」発言波紋」
週刊新潮2003年7月10日
「特集告発文入手!裏金で「ユーミンのおっかけ」医局旅行では「AV鑑賞会」もあった雅子妃元主治医「堤教授」
2003年7月3日 公園デビュー3回目
2003年7月14日 公園でお遊び
2003年7月24日 全国農業青年交換大会の為に新潟訪問
2003年8月7日 那須静養
2003年8月11日 愛子内親王は風邪と胃腸炎を併発して牧場への外出をとりやめ
2003年8月18日 帰京
2003年8月23日 また那須へ静養
2003年8月25日 高根沢牧場
この時期、信じられない程公園デビューを繰り返し、他の子と遊ばせたり必死に親子で何とかしようとしているような風景があります。
でも、結果的に愛子内親王はよその子より優秀でも何でもなかった・・・それどころか、ちょっと発達が遅れているような。
それを認めるのが嫌で公務を放り出してまで公園に通い続けたのかもしれません。
また何度も那須へ静養に行っていますが、動物に触れあえばなんとかなるとか、歩かせればしっかり出来るとかそりゃあもう必死な様子が見てとれます。
気の毒といえば気の毒ですがこの時点でカミングアウトしていれば今のような惨状はなかったのにと思います。
8月に風邪や胃腸炎を引き起こしてからは露出がグンと減り。やがて疑惑が浮上するのです。