2003年9月3日 皇太子が皇室会議の予備議員から外される
2003年8月3日 ルクセンブルク・アンリ大公来日中、大使館で内輪で開かれた晩さん会に出席した皇太子夫妻
2003年9月4日 小和田邸に里帰り
10時間滞在。中華料理をケータリング。迎えに来た皇太子に愛子内親王は気恥ずかしそうにしていた。
女性自身2003年9月23日号
「雅子様(38)愛子様(1)と初めての里帰りケータリングディナーの語らい」
2003年9月10日 ミラノスカラ座公演「オテロ」鑑賞
2003年9月23日「トルコ三大文明展」鑑賞
2003年10月15日 メキシコ大統領来日歓迎式典
宮中晩さん会
この時に今上に「紹介を飛ばされたことが原因で適応障害になった」と友納尚子に書かせる。
2003年10月23日 ヨルダン大使公邸にて。
2003年10月24日 地球環境国際会議開会式
2003年10月30日 秋の園遊会
FRIDAY2003年11月7日号
「失墜雅子妃元主治医が「美女とご満悦」
2003年11月17日 雅子妃誕生日用の写真を撮影
2003年12月1日 愛子内親王2歳
参内する内親王
2003年12月3日 雅子妃帯状疱疹を発症。4日に宮内庁病院へ入院
時系列でみると、雅子妃が帯状疱疹を発症したのが愛子内親王2歳の誕生日直後ということがわかります。ちょうどこの頃、愛子内親王の健康診断が行われ何らかの告知があったとしたら、帯状疱疹の理由もわかるような気がします。
特に、その後「適応障害」と診断され公務をしなくなる理由もわかるんです。
あれほどめちゃくちゃ人前に出して可愛がっていた愛子内親王が実は発達障害と診断されたら親として受け入れることに抵抗感があってもしょうがない。しかし、庶民はそれでも生きていかなきゃいけないし、仕事を休む事もやめることもできずにありのままの我が子と向き合っていかないといけないわけです。
しかし雅子妃の場合、この帯状疱疹を発症してからのち、今までになかった病名「適応障害」なるものを作り出す、それを理由に子供に返ったように遊びまわる。しかも全部悪いのは国民だ!皇室だ!と言い張る始末で。
おもちゃを散らかし放題にして興味なしな表情の愛子内親王の写真を見ると、ため息が出ますよね。確かこのころでしたっけ?紀宮からのプレゼントか何かをポイしちゃった事件。
言葉も2歳、あるいは1歳半でウサギを「ウ」ネコを「ネ」と呼ぶということが報道されて、冷静にみればこれって完璧に「言葉の教室」へ行くレベルだろうなと思います。
まさか自分が産んだ子が「知恵遅き子」になるとは思いもよらなかったでしょうが。
ですが、これをきっかけに東宮家は暴走を始めるのです。