宮内庁には「大膳課」というのがあって、天皇・皇后・皇太子・ノリノミヤの
食事を作っている。さらに宮中晩餐会等の料理も大膳課が担当。
「天皇の料理人」は日々、天皇の健康を気遣い、食材は御料牧場から仕入れ
御用達の店から仕入れ、予算にあわせつつも健康的でおいしい食事を作る。
先帝もそうだったが今上も「質素」の人であったので、
食事はよほどのことがない限り、大膳に「お任せ」メニューで品数も少なく
するのが常だった。
若いノリノミヤも同じで食事に文句をつけたり注文をするといった事は
ほとんどない。
出されたものを静かに食べて終わる・・・それが天皇家の聖なる食事風景。
だった筈なのに。
ここ最近、やたら伊勢えびだの、フォアグラだのと高級食材の注文が多い。
「誰の注文だ?」
「皇太子殿下だよ。何でも彼女が来るからって」
「彼女って誰?例の外務省の女か?」
「それそれ。最近やたら東宮御所に来るんだよ。食事時に。で、
そのたびに晩餐会だぜ」
「外務省ってのは贅沢な所なんだな。皇室の食事が本当は質素だって
知ったら結婚しないんじゃないか?」
「そうかも・・・・皇太子殿下自体は食べ物に好き嫌いはあまり言わないけどな」
そんな会話が聞こえつつ、仕事をしている所に、突如現われたのが
ヤマシタ侍従長。
「これは侍従長。わざわざこんな所に」
ワタナベ調理長はにっこり笑って出迎えた。
「外は冷えますな。やはり冬だし」
ヤマシタは寒そうに手をこする。
東宮御所にしても宮内庁にしても暖房は十分に行き渡っているわけで。
そんなに寒いわけではないだろうに。
「ロッシーニステーキを作れないか」
「は?ロッシーニステーキ?いや、作れますけど随分と値がはります」
「うん。最高級のフォアグラを使って欲しい。出すのは19日」
「そうなると生フォアグラを空輸して取り寄せないといけませんが、予算は
大丈夫でしょうか。そうでなくてもここ最近は高級中華料理を夕食に
振舞われる事が多くて文句を言われます。
このままでは陛下の耳にも届くのではないかと」
「会計の方は何とかするから。19日は大切なお客様が来て皇太子殿下は
きちんとおもてなしをしたいと考えておられるのだ」
「はあ・・・」
料理店じゃあるまいし、おもてなしが高級料理というのは皇室らしくない。
そうはいっても仕事だから・・・・
「承知しました」
ワタナベは食材確保に駆けずり回る日々を送る。
そして、その前の12日。
最高級中華料理店「富麗華」ではオワダ一家が集まって
乾杯の音頭がとられていた。
「マサコの結婚を祝って」
紹興酒の強い香りが五臓六腑に響き渡る。
「ありがとう」
マサコはにっこり笑っていた。
「それで最終的には何を約束させたの?」
レイコの台詞にマサコはぷっと吹き出した。
さすがにユミコが「ちょっと失礼よ。まあちゃんは純粋な気持ちで受けたんだから」と
たしなめるがセツコまで
「でも、1度断ったのにまた受けるってことは・・」と続ける。
「えへん」
マサコは偉そうに立ち上がった。
「皇太子殿下はこう言ったわ。「マサコさんの事は僕が一生かけて守ります」って」
「きゃーー!」
双子が一斉に甲高い声をあげたので、それは個室の外にも漏れ響いた。
「やっだーーキザ。あの顔で」
「さすが本物の皇子様よねー」
マサコは紹興酒で染めた頬をさらに真っ赤にして
「やっぱりこれくらい言わせてからじゃないと結婚は出来ないわよね」と言った。
「いよいよお姉様は皇太子妃なのね。将来の皇后だわ」
レイコがちょっとうっとりした顔で言った。
「何を言ってるの。皇族って大変なのよ。きっと皇后様からいじめられるわ。
だって皇后様だって昔、苛められたんでしょ」
セツコは冷静に言う。姉が皇太子妃と言われても今ひとつぴんとこないのだ。
「でも彼は・・・守るって言ったし」
マサコは自信ありげに笑う。
「皇后だって何もいえないわよ。私には。だって聖心でしょ?」
「まあハーバードのお姉様には負けるわよね」
レイコのおもねるような口調にセツコは「学歴なんて結婚したら役に
立たないんじゃないの?」と水を差す。
「っていうか、お姉様、外務省を辞めて本当にいいの?」
「そうねえ・・・」
外務省・・・北米2課の連中は何て思うかしら?つまらない事でぶつぶつ
文句ばかり言ってる上司とか、陰でこそこそ言ってる同僚とか。
そんな連中を一気に見返してやれる。
このまま外務省にいても女性差別のせいで出世できないかもしれない。
でも
「外務省にいて外交をやるのも皇室で外交をやるのも同じですよ」
と皇太子は言ってた。「皇室外交」これこそが自分の目指す道だ。
「私は国と結婚するの。皇室に入って皇室外交をやって貢献するのよ」
「国と結婚って・・・・随分大きく出たわね」
「まあちゃんは理想が高いのよ。でも実際の結婚はそんなもんじゃないけど」
ユミコもちょっと心配そうな顔になる。
娘が結婚というものを全く理解していない。転職するかのような言い草に
ちょっとひっかかるものを感じた。
毎日一緒に過ごす相手に「情」がなければ暮らすことなど出来ないだろう。
それをマサコは本当にわかっているのだろうか?
「マサコが皇室入りしたらお前達も「妃殿下の妹」になる。心して暮らせよ。
準皇族のつもりでな」
ヒサシの言葉に全員が頷いた。
多分後々、この日が最も幸せと感じた時だったろう。オワダ家にとって。