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宝塚100年に向けて・・・原点に帰れ7

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 国会図書館には結構宝塚のものがあるようですね。

登録証も作ったし、ネットを駆使し学生気分で行ってみようかしら

いっぱしの研究者みたい・・・・

もうちょっと若かったらなあと思う、今日このごろです。

 

 宝塚脚本集 昭和11年12月号 

 

今回は、須藤五郎という演出家の海外留学の報告を一部お届けします。

今やみーんな海外に行ってる時代ですが、あの当時は「期待」と

「プレッシャー」の中、その成果がどんな風に現われるか、スタッフは勿論

観客も大きな関心を寄せていたのでした。

須藤氏はそんな期待の中で1年間、ヨーロッパに留学。

主にドイツの演劇をみてきたようです。

ドイツ・・・・といえば紫吹淳らが行ったベルリン公演が思い出されますね。

あの劇場も歴史あるものだったと思いますが、同じ景色を彼も見ていたので

しょうか?

 オペレッタと新国民劇 

ファン諸君の問いに答えて・・・須藤五郎

 

 ベルリンにおいてもオペラと並んでオペレッタは盛んなようであります。

  今日、宝塚において上演されているレビュウは欧米の物に比較して

  すこぶる健質なものであります。

  同一に論ずべきものではありません。

 宝塚においてはなおレビュウ方面においても将来性は十分あるのであります。

 ここで「オペラ」「オペレッタ」「レビュウ」の違い・・・厳密にわかります?

  中々理解できないのですが、古典芸術としての「オペラ」に対し、オペレッタは

  台詞が挟まれているもの。レビュウはダンスも含んでいるもの・・でしょうか?

 ヨーロッパではオペラが衰退し、より躍動的なオペレッタの方が人気が

  あったようです。

  日本においては宝塚誕生20年ですでに「宝塚は終わった・・・」と思われて

  いた時代です

  浅草オペラや日劇ダンシングチームの誕生で、「少女歌劇」は面白みがないと

  いう意見が出てきたわけです。つまり「珍しくない」という事ですね

  でも、須藤氏は「まだ将来性はあるぞ」と言っているのです。

 

 現在欧米諸国において隆盛を極めつつあるオペレッタと、小林校長が

  年来主張されている新国民劇とを併せ考えます時に、その両者の間に

  非常に近いものを発見するのであります。

  また、少女歌劇というものを念頭にして考えますときに、いわゆるレビュウよりは

  このオペレッタレビュウの方がその将来性があるのではなかろうか、

  日本の健全なる新興芸術としてのこのオペレッタを盛んにする事により

  多く意義があるのではないだろうかとも考えられるのであります。

 小林校長のいう「新国民劇」というのは

  わかりやすく

  大衆的で

   大人でも子供でも楽しめる芸術

 です。歌舞伎や狂言のような難しいものではなく、外国オペラや新劇のような

 理解しにくいものでもなく、楽しくてほっこりして「見てよかった」と思えるもの。

 勿論、そこに「上品さ」も入ります。

 そしてヨーロッパにおける「オペレッタ」」もそういう流れであるという事です。

 歌で綴るオペラの中にわかりやすい台詞が入り、ダンスが入り・・・・

  躍動感があって楽しいって事ですね。

 

 これまで宝塚で上演されていたものは厳格な意味では2,3のものを

  除いてはレビュウとは言いがたいものでありまして、大体はオペレッタなので

  あります。が、外国のオペレッタと比較しますと、レビュウの要素がより多い

  様に考えられます。

  これは最も懸命な方法でありまして、今日の観客層を考えます時に

  このオペレッタからレビュウ要素を少なくするという事はオペレッタの魅力を

  失う事でありましょう。

  しかし私の考えるところ、観客層がより音楽的訓練を積み、より多く音楽に要求を

  もたれる時に、この上に変化が来るのではないだろうか、そうして、その時に

  欧米諸国のごときオペレッタが生産され、校長先生が長年希望されている

  新国民劇というものが創生されるのではないだろうか。

  私はこの見通しのもとにファン諸君と共に歩みたいと思います。

  独りよがりはしたくない、私としては常に考える所は諸君と共に歩み

  時代と共に歩み、しかも将来によき思想を持つことであります。

 宝塚においては出し物全般を「レビュウ」という言い方をしています。

  ミュージカルもショーも全部「レビュウ」

  でも、厳密にいうと「オペレッタ」であると。

  戦前の少女歌劇 → 「ベルサイユのばら」歌舞伎的グランドロマン

 → 「WSS」「ミー&マイガール」におけるブロードウエイミュージカルの輸入

 → 「エリザベート」における宝塚的オペレッタの確立

 → 「スカーレットピンパーネル」におけるブロードウエイミュージカルの宝塚化

 → 「ロミオとジュリエット」における宝塚的オペレッタ風コンサート 

ここまでの流れで宝塚は本当に幅広い芸術分野の一つになりました。

特に「エリザベート」においてはメイクや衣装までもががらりと変わって

随分垢抜けたといわれたものです

 

 では100周年を向けて宝塚はどこへ行くのでしょうか?

 ファンとしてはやっぱり「宝塚の輸出」でしょう。

 オーストリアから来た「エリザベート」が小池修一郎の手によってトートが

 主役の宝塚版として生まれ代わり、それがヨーロッパで上演された経緯も

 あります。

 (なぜか帝劇等東宝では先祖返りの如く古臭い方向へ行こうとしてますが)

 小池氏の演出力はヨーロッパのみならずブロードウエイでも一定の評価を

 受けている筈。

 それなら小池版「オーシャンズ11」をブロードウエイで上演するとか

 「太王四神記」を本場韓国へ輸出し、さらにヨーロッパへ持っていくとか

 そういった方向で考えるのが自然なのではないかと思います。

 

 一方、小林校長の「新国民劇」の伝統を受け継ぐべく、オリジナル作品の

  レベルアップと定義化(宝塚歌劇の定義)をすべきでしょうねえ。

  いわゆる小柳奈穂子の世界をもっと広めていく必要性があるでしょう。

  彼女は小池氏のような作品はかけないかもしれない。

  でも、「大人も子供も楽しめるファンタジー宝塚」の世界を作りだすことは

  出来ます。これは貴重なこと。

  これこそが小林校長の「新国民劇」の具現化といえるでしょう。

 


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