阪神淡路大震災から25年ですか。知らない世代も増えましたね。
日本はあっという間に復興して忘れ去る国民性があります。それがいいかどうかは別にして。
歌会始めの儀
17年ぶりに雅子さんが登場。オレンジ色のお長服。
こんなににこにこ突如出てくるという事は・・・・本当に上皇后と並ぶのが嫌だったんだなあ。
自分が一番上でいう事を全部聞いて貰える環境じゃないとダメな人だったんだなあと思いました。
御製
学舎(まなびや)にひびかふ子らの弾む声さやけくあれとひたすら望む
これ・・・御製という程のものですか? 施設訪問云々で子供の声がと言ってましたが、正直言って愛子内親王の文化祭に言ったら女の子達がきゃあきゃあ言ってて「いやー女の子っていいなあ。にぎやかで。いつもこんなんだったらいいよなあ」と本音が見える歌です。
歌詠みではないので専門的に「さやけき」の部分の何が悪いのか、ちょっとわかりませんが、ダメ押しのように「ひたすら望む」の一句が、とてもしつこくて執念深いなと感じました。
天皇になって初の歌会始めでプライベートを詠むというのは果たしてどうなのか?
レベルの低さに呆れると共に、こんなんじゃ永遠にお正月の歌なんて詠めないなと。
上皇夫妻に責任を押し付けるわけじゃないけけど、60年近く「世継ぎ」として育ててきた筈の徳仁親王がいっぱしの歌も詠めないとなると育て方を間違えたのでは?と思います。上皇后が歌のプロであるがゆえに余計にそう思います。
后の宮の御歌
災ひより立ち上がらむとする人に若きらの力希望もたらす
丁度テレビを生で聞いていたのですが。「災いよりーー」と聞こえた瞬間、どきっとしてしまいました。え?歌会始めでいきなり「災い」って使っていいの?びっくりどっきり、場にふさわしくないと思いました。
また「若きら」って何でしょうね。「若人ら」ならわかるんですけど。
災い=被災でしょう。洪水ですか?一度行っただけの宮城とか福島とか?そこで若い人たちの力が希望をもたらすって?そんなあまりにも当たり前のことを言われても。いや、やっぱり「災い」はダメ。呪っているんじゃないの?と思ってしまいますから。
日嗣の皇子
祖父宮(おほぢみや)と望みし那須の高処(たかど)より煌めく銀河に心躍らす
天皇と同じプライベートではあるけど、こっちはお相手が昭和天皇です。
那須の御用邸に行った時に、昭和天皇が屋上に誘い、満点の星空を一緒に見たんだよ。ということ。
皇嗣殿下こそ昭和天皇からの「皇室伝統」を受け継ぐかたです。どうぞ高処よりあまねく天下をしろしめして頂きたい。
日嗣の皇子の妃
高台に移れる校舎のきざはしに子らの咲かせし向日葵(ひまはり)望む
こちらは東日本大震災の被災地に咲くひまわりを歌っています。
何も「災い」などという直接話法を使わなくても「子らの咲かせし向日葵」で「ああ、被災地に行かれたんだな」「復興の象徴である向日葵に希望を託されているのだな」とわかります。
「高台に移れる」で「津波で高い場所に引っ越した校舎」という事もわかります。本来、和歌というのはこういうものです。
でも何より嬉しかったのは秋篠宮ご夫妻が「日嗣の皇子」「日嗣の皇子の妃」と呼ばれたことです。
眞子内親王
望月に月の兎が棲まふかと思ふ心を持ちつぎゆかな
直訳すれば「満月にはウサギが住んでいるのよね」と想像していたあの時の心を持っていたかったなということです。「望月」「月の兎」がしつこいとの添削もあるようです。
確かにそうかも「望月に兎が棲まうかと思いし」くらいがよかったのかもしれません。
この歌をKKにひっかけて解釈している人がいますが、素直に解釈すれば「憧れや理想を持っていた頃が懐かしい」「そんな心持っていた頃が幸せだったな」ということで、自分が非常に現実的な大人になってしまったことをほんの少し寂しがっている歌だと私は思います。
つまり「KK」に引っ掛けるなら「あの人を理想の男性だと思っていた頃が懐かしいわ」って事で、未練なしですね。
佳子内親王
六年間歩きつづけし通学路三笠山(みかさやま)より望みてたどる
佳子様は学習院の小学校に6年間歩いて通われた。その通学路を三笠山から見て道筋を辿ってみたという事。すぐそばなのに物々しいSPに囲まれて車通学していた誰かさんとは違いますね。
常陸宮妃
ご即位の儀式に望みいにしへの装ひまとひ背(せ)なを正(ただ)せり
御代が変わったことを寿ぐ歌です。歌会始めにはこのような歌こそがふさわしいのではないでしょうか?
信子妃殿下
雪襞(ゆきひだ)をさやかに望む富士愛(め)でて平和な御代のはじまりにあふ
これまた新しい時代を寿ぐ歌です。
華子様も信子様もそれなりに令和の時代を喜び、お祝いしている・・お世辞っぽいんだけど。でも「災い」を詠むよりずっといいと思います。
久子妃殿下
サッカーに関はりたれば五輪への出場国をひた待ち望む
この歌は個人的に許せないと思いました。
この人のいう「サッカー」といえば日韓ワールドカップだし「出場国」と言えば韓国だろうと。
こんなあざとい営業自慢の歌なんて皇族が詠んでいいのか?と。
「なんや今年の歌会始めはおもろうありませんどしたな」
「そうや。今上さんのはいつも学び舎や。あっちでも学び舎こっちでも学び舎」
「学び舎いうたら内親王さんの?」
「いや、エゲレスにいかはった事とかな。何でもかんでも学び舎にいた事がご自慢なんやろう。そういうお人や。なんや今日のあのお得意そうなお顔。そんなに即位したんが嬉しかったのやろか」
「村上の帝の頃が懐かしい。天徳内裏の歌会の時は・・そりゃあもう、「忍ぶれど」と「恋すてふ」の合唱になってやなあ。最後は帝のつぶやきで勝ちが決まったんやから」
「歌いうもんは本来みやびなものやあらへんやろか。やたら被災の地ばかりを詠むいうんは、よほど平成の御代は縁起が悪かったんやな」
「そうや、なんせ皇后さんが「災ひ」なんて詠むんやから。呆れてもの言えへん。皇后さんは言霊いうのを知らんのかいな。下手な歌を歌われていらん疑い掛けられたらどないすんのやろ」
「いらん疑いって・・・まさか、帝を呪詛?」
「帝お一人ならまだよろしいねん。皇后さんの「災ひ」は都、ひいては日の本にかかるから困ってるのや。ただでさえ平成の御代は震災だけで5度?令和の御代になったら水や。皇后さんの歌を詠んで誰が元気になるんかいな?ぎょっとするだけや」
「そやなあ・・でも皇后さんには東宮妃の時に前科があるさかいに」
「前科?そうやった。回りがやめといてとお願いしたいうのに、わざわざ「知恵遅き子」なんて詠まはった。お蔭でご自分の内親王さんが知恵遅き子になってしもうたやないか」
「ああ、恐ろしい。歌というのはほんまに力があるのや」
「そうや。下々のものやあらへんのに、ぼかして歌うことも知らん皇后さんとは。いやはや。日の本ももうおわりかいな」
「いやいや、新しい東宮さんの歌はよかった思いますわ。亡き帝の姿が思い出されて涙が出てしもて」
「そうやなあ。あの頃はなあ・・・東宮妃の「向日葵」もなあ」
「今時「きざはし」なんて言葉、しっておられるんわ、あのみめさんくらいやなかろうか」
「そやそや。そういう所に教養が出るんやな。東宮妃は民間の出やのにえろう頑張らはって。黙って意地を貫くお人やな」
「皇后さんもある意味、そうや。意地はって誰の言う事も聞かんよってに、あんなとんでもない歌を詠まはって回りを仰天させるのや。にこにこ笑っているのは今上さんと皇后さんだけや」
「あははは。わしらは心の中で笑います。ぶぶ漬けいかがどすか?」
「そりゃ禁句。本当に「ありがとう」言われたらどないします?」
「難儀やな」