帝の二宮の妃、「紀宮」(きのみや)と呼ばれるお妃が懐妊されたのは如月のひどく寒い日のことだった。
「紀宮」(きのみや)は39歳。3度目のご懐妊。そして実に11年ぶりのご懐妊であった。
東宮家では東宮妃が8年の不妊を乗り越えて女一宮をご出産されたが、皇位継承者となる男子の誕生はなく、このままでは皇室の危機であると政府は考え、女一宮に皇位継承権を与え、外国と同じように男でも女でも東宮に生まれた第一子が帝になるという法案をまとめつつあった。
知らせを聞いた総理大臣は審議中にも関わらず耳を疑い
「え?東宮妃ではなく「紀宮」(きのみや)?」と呟いた。
審議は中断され、突如、ご懐妊を知った総理はその場でマスコミからマイクを向けられ「大変おめでたい」と言わざるを得なかった。
その後、次々政治家たちがコメントを発表したが、「紀宮」(きのみや)が誰かすらわからない者もいて注意される始末。
誰もが好意的に受け止めたわけではなかった。
特に、日頃、フェミニズムを気取り「男女共同参画事業」に打ち込む女性政治家たちは一斉に「心から祝うことは出来ない」
「正直、そこまでするかと思った」とコメント。皇族に対し、あまりにもひどい言葉に本来なら罰則でもあってしかるべきだったが、今では皇室、宮内庁、共に二宮には関心を持たず、ほったらかし状態であったから、文句を言うものはなかった。
なぜ「そこまで」と言われたのか。
それは、まさに今、女一宮の皇位継承が認められ、旧弊な皇室が男女平等への道を開くかと思えたその時、「男子誕生」の可能性を秘めた懐妊が発表されたのである。
二宮には薔薇(そうび)姫と呼ばれる大姫と、ゆうなの君とよばれる中姫がいた。
大姫はもうすぐ15歳。中姫は12歳になろうとしている。
誰もがもう二宮には子供が生まれないと思っていた。
しかし、宮内庁の中で唯一皇位継承に頭を悩ませている東宮大夫が「東宮家に第2子、二宮に第3子を」と発言。
この発言はマスコミによって歪曲され「二宮に第3子」と報道されたので、取りようによっては「東宮家にはもう子供は望めない」「女一宮は不要」ととらえる向きがあったからだ。
しかも当の東宮妃は女一宮を出産して以来、心を病み、それが「男子誕生を強要されたため」と言ったせいで、世の中の女性達の同情を集めていた。
誤解が誤解を生んだのか、誰かが意図的に二宮を貶めようとしているのか、そこらへんは不明であったけれど、「紀宮」(きのみや)は懐妊早々バッシングを受けることになるのだ。
皇室は2000年の歴史を持つ、世界で最も古い家柄である。
しかも、他の国々の王室と違うことは、全て「男系」によって繋がって来たことである。
つまり、今まで全ての帝の父が帝であるという血筋なのである。
仮に女一宮が皇位を継承しても「父が帝」になる事は間違いない。しかし、問題はその後。
女一宮が結婚し、皇配の扱いをどうするか、皇室には全くマニュアルが存在しない。
かりに皇配に「陛下」と敬称をつけそこに子供が生まれたら、それが男子でも女子でも、それは「母が帝」という女系になってしまう。
そうなると皇室が保ってきた万世一系の血筋が壊れてしまい、権威に傷がつく。
「帝」がいるという事で世界から尊敬を受け、その歴史的価値を認められてた国がその権威を失えば扱いが軽くなるし、よその国から安易に侵攻を受けかねない。
時の総理はそこまで考えは至らず、単に「男女は立場が同じ」というフェミニズムに引っ張られる形で法案を成立しようとしていた。
そこにくさびを打ち込んだのが「紀宮」(きのみや)の懐妊なのである。
二宮も「紀宮」(きのみや)も如月の冷たい風を真正面から受けていた。
冷たくて針を刺すように痛い。
それでもお二人は挑むように前を向き続ける。
どのようなバッシングを受けても、3人目の新たな宮の命を守る。それだけを目的にして。