東宮一家が外国(とつくに)へ静養に出かける話はすぐに正式に発表された。
全く前例のない話で、しかも「静養」でよその国の城を借りるなど前代未聞のことであったので内裏の内も外もわけがわからず大騒ぎを始めた。
最も被害を受けたのは「官犬大夫」(かんけん大夫)と呼ばれる東宮大夫で、記者達の前でしどろもどろの答弁に徹してしまった。
「皇族が静養目的で外国へ行くのは前代未聞の出来事ですが、そこにどういう意義があるのでしょうか」
「東宮妃の治療の一環と聞いています」
「外国で静養したら帰国後はご公務に励まれるのですか?」
「さあ・・それは結果を見てみませんと」
「お妃の父君のつてでこうなったのではありませんか?」
「いや、そんな事はありません。絶対に。今回のご静養はあちらの国の女王陛下が東宮妃の身の上に大層同情され、ぜひお城に招いてごゆっくりして頂きたいと、そういうお申し出があったのです。ご招待を受け、検討した結果、行かれることになりました」
「女王陛下が東宮妃に同情?それは皇配殿下がうつ病だったことと関係があるのですね。つまり東宮妃はうつ病でいらっしゃるのですか?うつ病の方がが飛行機に乗れるのですか?外国という通常とは異なる環境に適応出来るのでしょうか?」
「いや、うつ病ではなく・・・東宮妃は精神的健康度はかなり高い方でございます。それゆえにお悩みになり、ご自分の役割とかやるべき事とかやりたい事とか」
「それが外国へ行けば解決するんですか?」
「それは結果をみないと・・・」
「結果っていいますけど、外国へ行くのにどれ程の経費がかかると思われるのですか?それはどこから出るのですか」
「多分。内廷費からではないかと。そこらへんは政府とそれから内々で色々相談して決めるんじゃないかな・・・私もまだよくわからず」
ととにかく理屈の通らない事ばかりいうので、記者達はすっかりあきれ果て、結果的に雑誌や新聞には批判記事ばかり並ぶようになった。
そういうものを目にした東宮側は火消にやっきになり「心の病を持つ人に厳しい意見を言うのはどうか」「心の病を持つ人にとって好きな時に好きなことを行うのは正当な治療である」という真面目に生きている人々が聞いたら怒りそうな言い訳をする。
どちらにせよ「東宮妃は外交官を目指し、将来は総理大臣といわれるほど頭がよいキャリアウーマンだったのに、旧弊な皇室が世継ぎのプレッシャーをかけ続けたことで、心の病を得るに至った」という定義は変わらなかったのだが。
世の中において、子供が生まれることはとても目出度いことの筈。
若い夫婦であればそれを期待されても仕方ない。しかし、産めない事に悩む人々も多く、また子供を望まない人々も堂々と意見を言える時代になった。つまり「子供を持たない権利」の主張だ。
「私が産めないのに(産まないのに)産む人は許せない。その事で私が傷つくことはハラスメントである」というような理屈がまかり通るようになってしまったのだ。
東宮妃はその代表格で、自ら早々に女一宮以外は子供を持たない宣言をしたのに、「傷ついたのは自分の方」と言い張るのだ。
こうなったそもそもの原因は、「紀宮」(きのみや)がまさかの懐妊をして、今更東宮妃の心をざわつかせるからだと。
男系男子で皇統を繋いで来た皇室で女一宮には皇位継承権がない。もし「紀宮」(きのみや)が懐妊しなければ女一宮にも皇位継承権を与えようと政府は決めようとしていた。
それなのに・・・・すべては「紀宮」(きのみや)が悪いと言う理屈だった。
「ご出発は夏の終わりや。随行の者も選ばれる筈やから、みな覚悟して」
東宮女官長はそのように訓示を行った。
「ええなあ。お城で過ごすんや。どんなにお気楽で楽しいやろうなあ」と若い女官が呟くと、女官長は「何をいわしますのや」と怒った。
「うちもあんたも、元は華族の出や。血筋をたどれば皇族に繋がるもんもいる。そんなうちらが先祖から受け継いだんは、高貴なる血筋を持つもんは決して私の為に動かずということや。つまり無私の精神や」
女官達は頷く。
「今回のお妃さんのやらかした事は大変よろしからんのや。あってはならんのや。お妃さんが自分のお楽しみさんの為に飛行機使って外国へ行くなどうちらは考えたこともない。そうや。誰も考えつかんことをあの方はやってしもうた」
「やっぱりお妃さんはおつむのええ方や」
「それは違う。さかさまや。恐ろしくおつむが緩んでいるか狂ってるのや。そしてこれはお妃さんが考えやことやない。その後ろにはきっと父君・コンクリート卿がいるはずや」
「まあ・・・やっぱり。でもお上はこんなこと、お許しになりはるんですか?」
典侍が最後の頼みの綱のように言った。
「典侍はどう思う?」
「女官長に聞かれて、典侍は少し考えこみながら言った。
「うち、御所の女官さんとも親しくさせて頂いてるんです。今回のことはお上も后の宮さんも寝耳に水いわはって・・目を丸くされて言葉も出なかったと」
「そうやろな。それでお上はお怒りではなかったんか?」
「もしお怒りやったらうちらにもお小言がある筈です」
「そや。そういえばないなあ。という事はお上は早々にこの件をお許しになりはったんか?」
「お上が・・・というより后の宮さんや言うてました」
「后の宮さんが?」
「普通、皇族の旅行いうんは、特に外国からの招待は政府に来るんやそうです。それから内々に来て、どなたがいかれるんか決まるんやそうですけど、今回は逆やったと。コンクリート卿が直接お国に訴えて決まったことやからお上ですら何も言えんと」
「なんと!コンクリート卿ってそんなにお力が?まるで道長のようやなあ。そういえばあの鋭い目つきったらなかったわ。うちら女官なんて人とも見てないような。怖いわあ。思えば「官犬大夫」(かんけん大夫)だって卿のお力添えがあったからこその御出世。そのうち、うちらのようなもんは東宮御所から追い出されるやないか。全部外の務ばかりで」
若い女官が泣きべそになりながら言うのを、みな黙って聞いている。女官長は
「話がそれたわ。それでお上がお許しになったというより、后の宮さんが関係あらしゃるとはどういうことや」
「はい。お上は御即位遊ばしてからも質素倹約に務めていらしたんは有名な話。そやからさぞやお怒りと侍従長も女官長もそれはそれは震えあがっていたのやと。でも、それをお止めになったんは后の宮さんで。決まったものは仕方がない。今は東宮妃の心の健康を第一に考えましょうとおっしゃったとか」
「・・・・何をお考えなのやら。后の宮さんは」
「ここだけの話ですよ。よそには漏らさんで・・本当にここだけの。后の宮さんが一番恐れていらっしゃるんはご自分の評判が落ちることやと。今ここで東宮妃を批判したり、お叱りになったら後からコンクリート卿にどんな仕返しされるかわからんと。それが心配でいらっしゃるのが一つ。それから、いわゆる嫁姑の問題で。せっかく嫁が静養に行こうとしているのを止めるやなんてひどい姑やと疎まれることがもっともご心配の種やて」
女官長は言葉も出なかった。
元々后の宮はご自分がどう思われているかと回りを気にする傾向があり、あちらの女官達が戦々恐々としているという噂は聞いたことがある。
毎朝、全ての新聞に目を通し雑誌の見出しをお確かめになり、御不満があればすぐに女官長を呼び、侍従長を呼び、それから長官を呼びつけ抗議をさせる。雑誌などに載る写真すらも検閲しているという。カメラがどこにあってどのようにご自分が写っているかをひどく気に病む御性格とも。
そのような后の宮は、少しでも悪い評判が立つと猛烈に抗議し、そして貧血を起こして倒れ、その度にお上にご負担を強いて来たのだ。お上は倒れられるよりは后の宮の願いをお聞きになり、また、お好きなようにさせるのがもっとも安泰と考えられているのだろう。
「「紀宮」(きのみや)さんは秋には産屋に入られる。もし生まれてくるんが親王様やったら41年ぶりの皇孫や。今、皇統がどうにかなるかならへんかの瀬戸際なのに、后の宮さんはご自分の評判の為にあのように東宮妃を甘やかしはるんか?」
「お気の毒な「紀宮」(きのみや)さんや。40のお産はきつい言うのに、毎日のように「東宮妃に遠慮しなかった」と責められて。うちなら心がおかしくなるわ」
みな口々に言い合った。
女官長は暫く考えていた。
后の宮はもはや后の宮としての矜持を失っている。
女官長が自分の母や祖母から聞いていた通り、后の宮という方は所詮は庶民の出でしかない。そんな話をされた時は、あのように美貌と頭のよさを兼ね備えた后の宮になんて事を言うのだろうと思ったものだが、今は母や祖母の気持ちがよくわかる。
そう考えると后の宮が今まで行って来た「慰霊」や「訪問」が全て偽善に見えてくるから不思議だ。本当に自分達の役割をこなしているのは二宮の方なのに、少しも目をかけないのだから。そしてお上は言いなり。まるで・・・まるで東宮や。
「さあ、話はおしまいや。みなお出ましの支度に励むのや。今日からはどのような不満も言葉にも表情にも出したらあかん。東宮が右と言ったら左でも右や。烏を白いと言ったら白いのや。わかるか。そうでなくてはうちらは生き残れん」
「女官長・・・・・」
「何かあったらうちに言えばええのや。聞くことは出来る。でも変える事はできひん。朝、「ごきげんよう」いうたら偽物の自分におなり。ここは伏魔殿や。うっかりすると足をすくわれる。ええな」
女官長の言葉に皆、無言で頷くばかりだった。