オワダ家にとって「いつが一番幸せだったか」と聞かれたら
迷わずこの日を選んだだろう。
すなわち「婚約記者会見」である。
マサコにとってこんなに有頂天になった日はなかった。
真新しい黄金色のスーツに身を包み、同色の帽子に白い手袋姿が記者会見場に現れた
時の記者団のどよめき。一生忘れない。
「彼女が皇太子が選んだ・ハーバード大卒の・外務省外交官の・優秀で美しい非の打ちどころのない
女性なのか」
そんな目で自分を見ている。
「彼女の言葉を一言一句聞き逃さないようにしよう」と誰もが思っている風だった。
みな、自分の美貌にうっとりとなっている。みな、自分の言葉を聞きたがっている。
みな、羨ましがっている・・・・それこそがマサコにとってあまりにも得意絶頂なことだったのだ。
隣の皇太子も得意そうな顔をしている。
やっぱり「オワダマサコ」という稀有な女性を妻にできることは素晴らしいと思っているのだ。
得難い女性を得た喜びに輝く皇太子の笑顔は、マサコから見ると「ちょっとかわいいかも」だった。
でも、彼の表情をうかがったのは最初だけで、実際に記者会見が始まると
リハーサル通りにセリフを言うのが精一杯だった。
それでも何とか「自分らしさ」を見せたいと思ったから・・・・
プロポーズされた時に答えた言葉として
「私がもし殿下のお力になれるのであれば、謹んでお受けしたいと存じます。これまで殿下には、
いろいろ大変幸せに思えること、うれしいと思えるようなことも言っていただきましたので、
その殿下のお言葉を信じて、これから二人でやっていけたらと思います。
殿下にお幸せになっていただけるように、そして私自身も自分でいい人生だったと振り返られるような人生に
できるように努力したいと思いますので、至らないところも多いと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」
と言ったら記者団がちょっとざわめいた。
完璧な答えだったのだろう。
皇太子の印象については
@とても人間ができた方」と答えた。
その時も周りの空気が変り、カメラのフラッシュがまたたいた。
皇太子をちらっと見ると、非常にうれしそうに笑っているのでこれでいいのだと確信した。
外務省を辞めてまで・・・と誰もが思うだろう。
だけど、外務省を辞めてまで皇太子妃になる事は自分にとって重要。つまりステップアップなのだ。だから
「これまで六年近く勤めておりました外務省を去ることにさびしさを感じないと申したらうそになると思います。
やりがいのある仕事をさせてもらい、学ぶべきところも多く、尊敬すべき先輩や同僚に恵まれて充実した勤務でした。
昨年の秋、いろいろ考えた結果、私の果たす役割は殿下の申し出をお受けして、皇室という新しい道で
自分を役立てることではないか、と考え決心したので、今は悔いはありません」
と言った。少し空気が波を打ったような気がした。続いて
「殿下からは私の心を打つような言葉をいくつかいただきました。ひとつは去年の十一月の後半、
「皇室に入るのはいろいろ不安や心配がおありでしょうが、雅子さんのことは僕が一生、全力でお守りしますから」と
話しかけてくださいました。
さらに、十二月初め、「十分にお考えになって下さい」とおっしゃられ、ご自身も「大変悩んだ時期があった」とおっしゃられたので、
「何をお悩みになられたのですか」とお尋ねしました。
「僕としては雅子さんに皇室に来てもらいたいとずっと思っているけれど、本当に幸せにしてさし上げられるのか、
悩みました」と言われました。
そのような殿下の真摯なたいへん誠実なお言葉をいただき、幸せに思うことができましたので、
「私でできることでしたら、殿下のことを幸せにしてさし上げたい」とお受けした次第です。
その間、殿下からは、私がお受けすることになれば両陛下も温かくお迎えするとおっしゃって下さっている、ということで、
私にとって大変大きな励みになりました。一部で言われているように、直接、皇后さまから
私にお気持ちをお伝えになられたようなことはありません」
そうよ。私のことを全力で守ると皇太子は言ったのだ。
またフラシュが激しくなった。皇太子がさらに受けて
「苦労があった場合には、私がそばにいて全力をもって守って、そして助けてあげたいと思っています」とにこやかに言った。
皇太子は「これから先、二人でお互い学び合って、ともに高め合っていくということもやってみたいと思っています」といえば
「基本的には殿下のおっしゃる通りですが、一言付け加えさせて頂ければ、愛情に満ちた温かい家庭ということ。
特に、苦しい時やつらいことがあった時にお互いをいたわり合って助け合っていくことができるような
家庭にできればと思っています」
と加えた。
マサコとしてはこの「一言付け加えさせて・」という言葉は職場では定番のセリフであったし、違和感がなかったのだが。
だんだん記者団の空気がさめていることに皇太子とマサコは全く気付いていなかった。
むろん、テレビの前にいる多くの視聴者や、皇太子に関わった多くの元宮内庁職員達に流れるムードも
氷のように冷たくなっている事に全く気付いていない。
二人にとって「お子様は何人?」というセリフが最高潮に盛り上がった瞬間だった。
「コウノトリのご機嫌に任せて」というセリフを言った皇太子は「自分でもうまい事を言ったものだ」と一人で悦に
入っていたし、マサコもまた
「殿下は大変音楽がお好きでいらっしゃるんですが、家族でオーケストラが作れるような子供の数、
ということはおっしゃらないで下さいと申しました」
と答えた。横の皇太子は「言わなかったよ」という顔で笑い、マサコもついつい爆笑に近い笑いをもらしたのだが
周りはびっくりしたような目で自分たちを見ている。
コウノトリもオーケストラも凡人が考えられないようなジョークだったのかもしれない。
とにかくこの日のマサコは最高潮にうまくやれたと思った。
皇居に参内し、皇后から代々皇太子妃に受け継がれているルビーの指輪を受け取るに至っては
「得意」も得意、最高潮に得意になった。
「まあ、これが皇太后様からミチコさんにくれたルビーなの。すごいわねえ」
ユミコは品定めするように指をしげしげと見つめる。
「とにかくよくやった。これで確定だ。あとは結婚式まで乗り切るぞ」
ヒサシは意気揚々と言った。
もうすぐ自分は「皇太子妃の父」なる。それがどんな素晴らしい肩書。
これで国連大使も夢ではあるまい。
一方、皇居ではいつになくどにょりとした空気が漂っていた。
天皇も皇后もノリノミヤも言葉少なく、侍従長も女官長も容易に話しかけるような雰囲気ではなかった。
「あの女性は本当にハーバードを出ているのかい?」
天皇はぼそっと言った。
「そうでしょうね」とノリノミヤは答えた。
「帰国子女だからああう話し方なのかね」
「秋篠宮のお姉さまだって帰国子女ですが、あのような話し方はなさらないわ。
オワダさんって、人を不愉快にする話し方をなさるわね」
「サーヤ」
と皇后がたしなめる。
「誰でも記者会見に初めて出たらあんな風になるわ。広い目でみなくては」
「本当はそんな風にお思いでないことは私が知っているけど。仕方ないわね。もう決まってしまったんですものね」
「お兄様のお妃になるのだから仲良くなさい」
「はあい」
たぶん、将来的な不安をきちんと言葉に出していたのはノリノミヤだけだったろう。
皇后の「何でもプラスに解釈する」のはもう癖で、その演技性の強い考え方はノリノミヤが唯一賛同できない
部分だったが、逆らうことはしなかった。
「あの方、オーケストラを作るくらお子様を産むのですって」
ちょっとおどけた言い回しに天皇も皇后も吹き出した。
「ああ・・オーケストラね・・オーケストラ」
天皇も何度も繰り返すのでたしなめようとする皇后もついつい笑った。
重苦しい空気が一瞬だけ消えた感じがした。