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Channel: ふぶきの部屋
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新章 天皇の母 18

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無事に着帯の儀を終えた「紀宮」(きのみや)は挨拶の為、御所へ参内することになった。

「お車にはそおっとそおっとお乗り遊ばして」とお局がまるで壊れ物のように自分を扱う事に、ちょっと笑ってしまう「紀宮」(きのみや)ではあったが、内心は不安だらけだった。

「前置胎盤です」という医師の言葉は深く心に突き刺さり、奈落の底に落ちていくような感覚に襲われる。

気丈に二宮に告白したものの、さすがの宮も絶句するばかりで、最初はどう表現したらいいのかわからないといったありさまだった。

「体調は・・今までと違うの?そういう予感はあった?」

とんちんかんとは思いつつ二宮は冷静を装ってお尋ねになる。

「さあ。いつもよりはだるいような気がします。動くのが億劫だったりしますが、でもそれは年齢のせいと割り切っておりましたから」

「そう。もっと早く気づいてやれればよかった。浅黄君の結婚式も欠席した方がよかったのだろうか」

「宮様。もう終わったことです。それに弟の結婚式は宮様やお医者さまが何とおっしゃろうとも出席いたしましたわ」

「そうだった・・・」宮はふうっとため息をついて、暫く黙ってお茶を飲んでいたが、ふと思いついたように

「ではこれからの問題だね。医師は私も同席して今後の事を話したいと言っているのだろう。だったらすぐにでも予定を立てよう」

ということで、数日後には宮と「紀宮」(きのみや)は揃って医師の前に坐っていたのだった。

医師はこれまでの経緯を丁寧に話し、結論として出来るだけ早く出産にこぎつけたいと言った。

「通常であれば自然にお産が始まるのを待つのですが、お妃さまの場合はその間にも大出血の危険性がありますので、出産が可能な週数になったら即、お子様を外に出さなくてはなりません。つまり帝王切開するのです」

「帝王切開」

一般的には普通の事でも皇室の中では前例がない。

「お妃さまに入院して頂きます。絶対安静です。これはベッドから1歩も歩いてはいけないということです。おトイレも車椅子でお運びいたします。ご入浴も短時間で。大事なことはベッドから降りない。」

「紀宮」(きのみや)は正直(これは困った)と思った。

普段は必要以上に動いていると回りに言われる自分が、狭い病室の中でベッドから降りずに過ごすことなど出来るのだろうか。

「これは出血のリスクを最小限にして頂く為の措置です。本当は今すぐにでも・・と申し上げたいのですが」

そうは言っても皇室行事が入っている。

公務もいくつかあり、処理しなければならない事が多々ある。

大姫の遊学も見送りたいし・・・その話をすると医師はしぶしぶと予定を組んでくれた。

「でも、もし・・ほんの少しでも異常を感じたら即入院して頂きます」

「公務などほっておいて今すぐ入院すべきではないのか」

二宮は焦ったような言い方したが、「紀宮」(きのみや)はにっこりと笑って否定した。

「こんな事が世間にもれたら大変な事になります。出来るだけ普通にしていたいのです。でももしお腹の子に何かあるなら・・どうぞ私の命よりも子供を救ってください」

「「紀宮」(きのみや)何を言い出すの?子供よりもあなたが大事でしょう」

「いいえ宮様。私の子は皇族です。私よりも遥に尊いのです。何としても無事にお産み参らせたいのですが、でももし、もしもの事があった時は、どうぞお子を優先して頂きたい。これは私の母としての覚悟です」

「「紀宮」(きのみや)」

「紀宮」(きのみや)の頑固ないいように思わず二宮は声を荒げたが、医師が慌てて中に入った。

「勿論、何が何でも母子共に健康でお返しいたします。宮様。その点は私達医師団も精一杯頑張るつもりです」

そこまで言われては二宮は何も言えなかった。

けれどその表情は苦悩に満ちて、白い髪がますます白くなっていくような感じがした。いつもよりずっと弱弱しく見える夫に「紀宮」(きのみや)は心を痛めた。

いつからだろう。二宮も自分も眉間にシワを寄せることが多くなった。笑顔を絶やすまいとしていても、ついつい真顔になってしまうことも多くなった。常に下を向いている事も多くなった。

結婚した時の、あの晴れやかな夫の笑顔、自分の笑顔。それはもう昔の話。

今回の懐妊も、皇室の将来を憂えての二人の覚悟であった。

誰に何と言われようと、第三子にかける。その決意が揺らぐことはなかったけれど、宮はひょっとして後悔しているのかしら?

そっと二宮を見ると、宮も「紀宮」(きのみや)を見返してきた。

「大丈夫。私達は大丈夫」

ああ、いつもの夫の姿だ。「紀宮」(きのみや)は結婚した頃のあの、頼もしい夫の姿に微笑んだ。

 

「紀宮」(きのみや)の入院は8月になったのだが、その前に二宮と大姫は伊勢に行かなければならなかった。

20年に一度の式年遷宮に使う木材を運ぶ儀式があったからだ。

だからその前に、大姫と中姫には本当のことを話した。

「お母さま、死んじゃうの?」中姫は思わず泣いてしまい、大姫に「違うわよ。早とちりしないの」と叱られてしまったが、もうすぐ15歳の大姫は気丈に事実を受け止めつつ、不安を隠した。

「お母さまは絶対に死んだりしないわ」

「紀宮」(きのみや)は中姫を抱きしめ、大姫の髪をなでた。

「この事は家族の秘密にして頂戴。いつか公にするまでは誰にも話してはダメよ」

娘たちにそう言い聞かせ、伊勢行きを渋る夫と姫を送り出したのだった。

認めたくはないが、今回の「紀宮」(きのみや)の出産を喜ばない人達がいる。彼らは何とか「紀宮」(きのみや)が流産でもしてくれないかと手ぐすねひいて待っている。何か罠があればいつでも陥れようとしている。

だからこそ、いつもと違う行動はとるべきではないのだ。

それでなくても東宮一家の異国静養が決まった事で、なお一層二宮たちへのバッシングが激しくなって来たのだだから。

生まれるのは男の子か女の子か・・女の子ならいいがもし男の子だったら・・そんな物騒な話も飛び出てくる程のことだ。

出産が近づけば近づくほど、「紀宮」(きのみや)は身体的にも精神的にも追い詰められて来る。けれど、何としてもこれを乗り切らないと。

大姫の遊学も予定通りにしなくてはならない。

何があっても笑ってやりすごすのだ。

「ご出発です」

車が御所に向かって走り出した。

着帯の儀を終えた以上、もう後戻りはできない。

どんな事があっても・・・・「紀宮」(きのみや)はまっすぐに顔を上げて、沿道でまつカメラに向かってたおやかに会釈したのだった。

 


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