女性セブン2007年1月4・11日号
「皇太子妃雅子さま(43)は今朝もお出ましにならず」続く体調不良。皇太子さま(46)はたった一人朝の食卓で待ち続けていらっしゃる・・強気絆に
週刊文春 2007年1月4日・11日号
「天皇皇后と雅子さま「埋まらぬ距離」知られざる宮内庁幹部の対立」
2006年12月23日 天皇誕生日
皇太子と愛子内親王のみ参内し、お祝いを言う
夜の夕食会は雅子妃も出席
2006年12月28日 皇室の餅つき行事に向かうー雅子妃は1時間遅れ
女性セブン2007年1月18日・25日合併号
「25年来の家政婦決意の告白雅子さま苦しみの背景ー私の不安は的中した。外交官一家は家族のだんらんとは無縁だった」
雅子さんはあまり話をしない
とにかく朝起きてこない。それがずっと続いていた
スペインのエレナ王女のパーティに、優美子(母)が「まーちゃんもいく?」といって出席する事になったが、もし前もって話をされていたら緊張して行かないことになっていた。
小和田家の冷蔵庫はいつも最低限のものしか入っていない状態
小和田家では家族一緒に何かするという習慣がない
一緒に食事もしないし、時々することがあっても無言で淡々としていた
2003年9月4日に雅子妃は里帰りしたが、愛子内親王は雅子妃にくっついて動かない
雅子妃は自分の部屋にこもって休む。
週刊新潮 2007年1月4日・11日号
「特集 かくも色濃い皇室の憂愁」
また、殿下は、愛子さまについても心配されているという見方もある。
「愛子さまは、極めてお小さい頃から、触られることを異常なほど嫌がる感覚過敏の様子が見られます。また、健康的な笑顔が少なく、感情の表し方に不自然な点が見られます。殿下が、愛子さまが大相撲の力士の下の名前や出身地まで諳んじていることを披露されたことがありましたが、ご自分の興味のある部分に対する“機械的記憶力”に優れているという特徴もお持ちです。一方では、お遊戯でも他の園児よりアクションのテンポが一つずつ遅れている。親というのは、そういう細かなことが気にかかるものですから、殿下もご心配なのではないでしょうか」(宮内庁関係者)
ある皇室ジャーナリストがいう。
「殿下のご心配は絶えることがありません。03年12月には公務から離れられた雅子妃は精神状態が不安定な日々が続き、軽井沢の別荘で静養されていた時には、別荘の外にまで聞こえる大きな声で叫んでおられることもありました。04年5月の人格否定発言の前には、思い悩まれた殿下がが、両陛下と紀宮さまとの4人だけの食事の席で、美智子皇后とお二人だけになった時、皇后の手をとって泣かれたこともあったそうです。その後、人格否定発言があり、また、雅子妃が東宮幹部に電話で“私、皇太子妃、やめます!”と叫んだこともあった。情緒が不安定で、両陛下は、腫れ物に触るように雅子妃に気を使ってこられたのです」
その後、同年(補足:2004年)夏に大野裕・慶応大学教授が、雅子妃の主治医となり、
「それまでは、雅子妃ご自身が医師を探し、コミュニケーションがうまくはかれなくなれば、相談をやめてしまう、というようなことが続いていました。医師から処方されたアメリカの薬に不信感を抱き、アメリカ大使館に自ら電話を入れて効能を聞くということもあったそうです。しかし、大野教授が主治医になってからは、そういうこともなくなり、大野教授が“適応障害”と診断し、雅子妃と大野教授の意向によって、06年の8月にはオランダ静養も敢行されました。この直前、7月に那須での静養がありましたが、那須から帰京した際、オランダ静養を許可してもらったことに対するお礼も兼ねて挨拶に行かれればよかったと思いますが、ご夫妻はそれもされなかった。両陛下は寂しかったと思いますよ」(宮内庁関係者)
ざっくりまとめると
軽井沢の別荘で謎の大声―叫んでいたのは雅子妃
雅子妃が宮内庁幹部に「私、皇嗣太子妃やめます」と電話
処方された薬に不信感ー自分でアメリカに問い合わせる
2007年1月1日
新年祝賀の儀には出ないが、ローブ姿で参内する
祝賀の為、参内する愛子内親王
2007年1月2日 一般参賀
週刊ポスト 2007年1月12日・19日号
「皇室の行方 天皇異例の胸中吐露「愛子には打ち解けて欲しい」激務と激励。ご高齢の両陛下は心底お疲れではないのか」
2007年1月6日 品川の水族館へ