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Channel: ふぶきの部屋
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新章 天皇の母 25

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その日の東宮御所は朝から慌ただしく人が動いているようだった。

「喪服や喪服」と歩き回る女官達。

侍従は時間を調整し、おふくは女一宮の支度を整えている。

いつもは時間が止まったような東宮御所が、いわゆる「活気」に溢れているのは久しぶりなのだ。

忠犬の聞こえ高い東宮大夫はほくそえんでその様子を見守り、逐一誰かに報告しているようだったが、他の部署の職員達は冷めた目で見守っている。

やがて、にこにこと現れた喪服姿の東宮と東宮妃、そして黒いワンピースに身を包んだ女一宮が出てきて、玄関先から車に乗り込んだ。

喪服を着ているのに笑う・・・という行為はおかしいような気がするが、東宮の笑顔は自信に満ち溢れて、また妻や子と一緒の行動が嬉しいようだった。

妃の方も、堂々と外出出来るのが嬉しいらしく、自然に笑顔が出てくる。

マスコミが待ち構えているのだから、出来ればお控えに・・・と東宮大夫が釘を刺す。

ただ一人、無表情の女一宮が最も「喪」にふさわしい姿といえた。

「ああ・・ついに行ってしまわれた」

東宮侍従長は頭を抱え込んで自室に入る。

肩を落として弱弱しく、失望感で一杯の様子を見た女官達は、ひそひそと話をしながらいつもの詰所に集まる。

「なんや、侍従長さん、えらく落ち込んでるやないの」

「なんで?東宮さん達、ちゃんといてたのに」

若い女官は不思議そうにお茶を入れながら言った。

すると古参の典侍は「当たり前や」と言って、ため息をつく。

「侍従長さんも、そんなんため息ついてはりましたけど、なんや難儀なことが?」

「今日、殯するんはお妃さんのおじじ様、といっても外祖父や。しかもこの国で一番大きな公害病を引き起こした会社の社長だったお人や。知ってるやろ?」

「しりまへん」

「知らないって、あんた・・・学校で習わへんのか?」

「さあ・・習ったかもしれませんけど」

典侍の様子に若い女官達は慌ててごまかそうとする。

「しゃあないな。ほんの半世紀前の話や。あの頃、都を始めどこもかしこも工場がでけてな。おかげで、沢山の公害が起きたのや」

「うちたちが小さかった頃はよく光化学スモッグが心配で外でおひろい出来ませんでしたなあ」

権典侍は懐かしそうに振り返る。

「ほれ、何とかいう右大臣のお内儀さんは、毒入り粉ミルクのご出身やったなあ」

「毒入り粉ミルクて・・・」

女官が震えあがる。

「そういうのがあったんや。粉ミルクを作る時にな、間違って毒が入り込んでお子が仰山亡くなったんや。それだけじゃない。あの頃は妊婦は薬を飲んではならんっていう決まりがなくてな。風邪薬を飲まはって、腕や足のない子が生まれたりな」

「まあ、うち、怖いわあ」

新参者は本当に怯えているようだった。

「それでな。都からあがった所に大きなチッソを作る工場があってな。そこから水銀が漏れ出して川に流れこんだんや。それを魚が飲む。それを人間が食べる・・どうなるかわかるか?」

「え・・・」

「ある村でな、次々人ががたがた震えたり、倒れたりして亡くなる事件があったのや。みんあ不思議でなんでやって。でもその事はすぐにはわからんかった。漸く川上の工場が垂れ流す水銀が大元やという事がわかって大騒ぎになったのや。これがこの国で一番の公害病になった。その工場をもってる会社は中々罪を認めんで、特に社長は散々「庶民が何を言うか」とか「腐った魚を食べるから悪い」とか言ってな。今も訴訟は続いているのや。何を隠そう、その社長が東宮妃のおじじ様。今、殯中や」

「まあ、なんてこと」

女官達は震え始め、沈黙してしまう。

「それだけやない。外国からわざわざこの公害病を取材しにきはって、真実を知らそうとした記者さんにな、ヤクザをやとって半殺しにしたのは、その社長や」

「典侍さん。何でそんな人のお孫さんが東宮妃になりはったの?」

女官の疑問は至極当然の事に思えた。

考えてみれば国賊とも思える人物の孫が東宮妃になるなど、古今東西見渡しても聞いた事がなかったのだ。

典侍はまたため息をつく。そこにそっと女官は熱いお茶を持ってくる。

「ぶぶで喉を潤して」

「おおきにな。そやなあ。うちらも考えてなかったなあ。東宮さんがお妃さんに一目ぼれしはって、何が何でも入内させるいうてね。それをお上も后の宮さんもお認めになったんや。そら、嫌々言うた人もいたえ。「筵旗が立つ」いうて反対しはった人も。そやけど、おじじ様の話とお妃さんのことは別やいうて聞かなかったのや。

けどな。国民はみんな知ってる。お妃さんは今も病で苦しむ公害病を引き起こした会社の社長の孫ってね。当のお妃さんはそうは思うてへん。じじ様が悪く言われたって軽く言わはってな。入内してから一度もお上がりになったことはあらへん」

「侍従さん達は、そんな死人の殯には東宮さんは行くべきではないとご衷心申し上げたんや。けど、東宮さんは怒って、珍しく大きなお声を出しはって「何が何でも殯に行く」と聞かなくて。そもそも妃の実家の殯に皇族が出るいうんはない事や。ましていわく付きの人の殯に家族総出でいかはるなんて。それで侍従さんは、絶望してはるのや」

「忠犬の大夫が東宮さんにおもねってなあ。それで意気揚々や。皇室はもう終わりや」

「なんでお上はお許しになったん?うち、そこらへんがわからん・・典侍さん、うちはおバカさんなのやろか」

「そんなことない。お上はもう東宮さんを止められん。后の宮さんが東宮さんの肩を持つよって。今や、皇室の陰のお上は后の宮さんや」

「こうやってどんどんしきたりや伝統がなくなっていく・・・ああ、先帝がおわしましたら」

大粒の涙が典侍の頬を伝った。それを見て女官達はたまらない気持ちになった。

テレビの画面には、葬儀だというのに笑顔に見える東宮が写し出され、東宮御所の女官部屋では、敗北感で一杯の女官達がぼんやりと画面を見ているのだった。

 


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