いつかはこんな日が来ると思っていたんですよ。
年齢的にも覚悟しなくちゃいけないだろうって。
でも、実際に筒美京平氏がなくなってしまうと、完璧に青春が消えたなあと。
10月7日 筒美京平氏、誤嚥性肺炎で死去
享年80歳
昭和の大作曲家。歌謡曲の神様みたいな人です。
いい曲だな・・・と思うと大抵は筒美京平作曲だったりします。
当然、初期の「また会う日まで」も知ってますし・・・本当に小さい頃、テレビで「ブルライトヨコハマ」を聞いた時は何とも言えない不思議な感覚にとらわれたのを覚えています。
郷ひろみの曲も大体ヒットしたのは筒美京平作曲で、筒美京平がいたからこその郷ひろみだとも思っています。
勿論「すにーかーブルース」「ブルージーンズメモリー」や「ギンギラギンにさりげなく」のマッチも、筒美京平に育てて貰ったようなものですよね。
当時、CBSSONYにいたマッチの曲はデビュー曲からヒット間違いなしの秀作ぞろい。それに比べてPONYキャニオンのトシちゃんは新人ばかりあてがわれて・・と高校生ながらライバル心を燃やしたことも。
ジュディ・オングの「魅せられて」はそれこそ国民的大ヒットで、今思うと「歌謡曲」の範疇を超えてミュージカルの一節のようなムードでしたよね。
稲垣潤一の「ドラマチックレイン」は高校生の時にバイト先のコンビニで嫌という程流れてかなり好きになりました。
少年隊と言えば「君だけに」があげられますが、私はその前の「バラードのように眠れ」「Stripe Blue」の方が好きです。
1980年後半、ニューミュージックが主流になり、みんな自分で曲を書くようになってから作曲家も結構大変だったんじゃないかと思います。
それでも筒美京平氏の偉大なる功績は永遠に残るでしょう。
心からご冥福をお祈りします。