天皇も皇后もうんざりしていた。
例の内定根回ししなかった件はその後も尾をひき、納采の儀の日取りが1か月延びたりしたし
いまだに長老はじめ、各皇族の視線が冷たく感じる。
もう決まってしまった事なのだからと割り切れないのだろうか・・・・・本当に年寄ときたら。
何より皇太子が嬉しそうで喜んでいるんだからそれでいいじゃないか。
皇太子の結婚について、毎年記者たちに聞かれるようになって10年あまり。
本人ののらりくらしとした態度やらオワダマサコへの執着など、色々あったけれど、とにかく「結婚」は
両性の合意のもとに行われるという事を尊重して、二人は息子の結婚については
口を出さなかったし、極めて異例のおきて破りをしても許した。
それは天皇の「民主主義下の天皇制」の在り方を体現するかのようだった。
ついてこられない古い人間たち・・・たとえばそれが長老だったりするのだけど・・・・が異議を唱え
せっかくの晩餐の席につかなかったりという子供じみた真似をする。
全皇族・旧皇族らを招いたオワダ家紹介の為の晩さん会にアキシノノミヤ以外は出席しなかった事に
天皇は心から怒っていた。
何でそこまでするのだろうか。あの席では今回の不手際を詫びるつもりだったし、その経緯についても
説明しようと思っていたのに、彼らは出てこなかった。
これでは・・・まるで・・・30数年前の自分たちの結婚の時みたいだ。
あの時も「抵抗勢力」と戦った自分たち。
今もまた古い考えにとらわれる人たちのせいで、息子の結婚に水をさすことになってしまった。
そう思えば皇太子が不憫でしかたなかった。
そう・・・不憫でしかたなかった。
いつまでも昔の事を忘れない、忘れられない自分たちに、皇族たちにうんざりだった。
でも、さらにそれに拍車をかけるような事が次々起こる。
お妃教育がスタートしたが、教師たちからははかばかしい成果が聞こえてこなかった。
「儀式の手順を覚えられない」
「宮中祭祀に関して批判的で学ぼうとする意欲がない」
「緊張するとパニックになってしまってすぐに落ち込み、出てこない」
これがハーバードを出た女性なのか?と皇后は思った。
やはり、下手に社会経験を持った女性はなじめないのだろうか。
「皇室の伝統・格式」については、最初にオワダ家にはきちんと話した筈で、その時はマサコも
「頑張ります」と言っていたのに。
頭で覚える事が出来ても、それを行動に移すことが出来ないとは・・・・・
「精神的に非常に弱い方です。自己主張は強いのですが注意されるとすぐに傷ついて黙り込みます。
誰でも最初からできる人はいないのだから努力してと申し上げると
「どうしてこれを覚えなくてはならないのかわからないし納得できないので、きちんとわかるように説明してください」
と来るんです。そのしつこさにちょっと・・・・」
こういう本人の性格に関する事はどのように対処したらいいか全くわからなかった。
皇太子はマサコと会うたびに色々愚痴られるらしく、側近に「もう少し優しくできませんか」と文句を言う始末。
それでお妃教育の教師たちは次第に何も言わなくなった。
女官にカウンセラーを・・・という話が出たのも当然だった。
明確にはわからないが、彼女には何らかの精神疾患が見え隠れしている・・・それが医師団の見解。
これには皇后は正直驚いたし、不安をかきたてられた。
長老たちの考えが正しかったのではないか。
もしかしたら、無理にでも白紙に戻すべきではなかったか。
今さら遅いが皇后はもんもんと考え込んでいた。
「3代前が不詳?」
天皇は耳を疑った。
宮内庁長官は静かにうなづいた。
「それはどういう事なのか」
「オワダ家は表向き新潟県村上市の武士の家系と言われていますが、本当は違うようです。
村上市にはオワダ家の本家なるものが存在し、その家柄は確かに武士の家系ですが
そっちのオワダ家とこっちのオワダ家に血のつながりはございません。
ゆえにオワダ家には墓もなく・・・・それでそこを追求したら慌てて墓を作ったのはいいのですが
これがまたちょっとおかしな感じで。
正直、オワダヒサシ氏の親族に何をどう聞いても、口止めされているのか「うちは関係ない」の
一点張りで。ヒサシ氏の兄も姉妹もみんなそんな感じです」
「犯罪者などがいるかもしれないの?」
「生粋の日本人ではない可能性が高いという事です。いわゆる半島系の・・・・」
その言葉に天皇はショックを受けて黙り込んだ。
さらに長官は言いにくそうに続ける。
「それでも何とか家系の調査はしなくてはならないので、調べておりましたらある団体から
非常に強い抗議が来たのです」
「団体?」
「はい・・・・同和の」
ああ・・・・もうどうしていいかわからなかった。よりによって皇太子は何でそんな女性を?
いや、人間は家柄や血筋ではないと言い続けてきたのは自分だ。
ミチコと結婚したのもそういう理由なのだ。相手がどのような出自でも受け入れるべきなのだ。
しかし。それがまさか。
「どうしてそんな団体から抗議がくるんだ」
「エガシラ家の先祖がそういうことでございます。まあ、本人達は否定しておりますが。でもそういう団体が
強い抗議をしてきたという事がそもそもの証拠ではないかと思います」
ここまで来ると天皇には想像もつかいない事になる。
そもそもが日本で最高の家柄に生まれ、そういう「特別な出自」の人達と交わり、そういう意識の中で育った。
半島だ、同和だといわれてもぴんと来ないのだ。
皇族は血筋が全てであるという事は理解していた。でもそれはあくまで「男系」の話であって
妃の出自までは考えてもいなかった。
初の民間妃と皇室内では色々言われたミチコだって、3代前が不詳などとはいう事はありえなかったし
ショウダ家は単に爵位を持たない家柄だっただけで、血筋も教養の高さも旧華族らに劣る事はなかった。
カワシマ家に至っても代々学者や警察官を輩出してきた家で、母方は会津の武士だ。
ふと、参内した時のヒサシとユミコの顔が浮かび上がる。
ヒサシは「このたびは皇太子殿下の再三にわたる要請を受けて決心いたしました」と言った。
ユミコは「皇太子殿下は果報者ですわ」ととんでもない事を言った。
その品のなさと考え方の傲慢さに唖然としたものだが。
「外務省というのは一種独特の世界で。ここを敵に回すと皇室にとってもよくありません」との長官の言葉を受け入れ
天皇はひたすら黙るしかなかった。
「家系の事は何とか取り繕うように」
やっとそれだけを言う事が出来た。
これは失敗だったのではないか。あの時、無理にでも白紙に戻していたら。
けれど、天皇の心の中にくすぶる反骨精神がその後悔を押しとどめる。
敗北であったとか、間違いだったとか、それを認める事は出来ない。
ことここに至っては、何が何でもこの結婚を成功させなくてはならないのだ。
民主主義下の天皇制のありようを示す為に、自らがリベラルでなければいけないと思ってきた。
その事に間違いはなかった筈。
だから。
今さら後戻りはできないのだ。