10年前の3月11日14時46分 突如地面が揺れ始め激しく波打ち世界が変わってしまいました。
あの時の恐怖はまだ忘れられません。
先日の大きな地震の時は、家族がいたのでパニックになってしまい・・・恥ずかしながら泣いてしまった程。
どうしたって東日本大震災の揺れを経験したあとではトラウマになるのも当然ですよね。
本当に寒い日でした。
東北は雪がひどくて、それなのに避難所にはストーブも灯もなかった・・・それをテレビで見ながら「あんまりだ」と思ったものです。
外のドラム缶で火を焚いてもそれだけじゃ何にもならない。
雪が降って氷点下の寒さなのに灯すらなかったら、私など一晩で凍死だろうなって。
次々報道されていく事実をただ見ているしかなくて、街を襲う津波の映像を見ているしかなくて。
余震におびえ、何の因果なんだろうとやりきれない思いで一杯でした。
幸いにして私達の一族や友人たちは誰も犠牲にならなかったけれど、何一つしてあげることが出来なかった事を後悔しています。
当事者には当事者の悔いや悲しみがあり、故郷から離れてみているしかなかった人達にも悲しみや苦しみがあるのです。
後から親戚などに話しを聞き、津波が側溝を通って庭にまで来た・・・ひどい臭いだったし、死体のようなものも流れた来たとか。
あと1歩遅かったら津波に呑まれていたかもという人もいました。
仙台の友人はガスも電気も来なくて何ヶ月も耐えがたきを耐えていました。
郡山へ行けば体育館の窓が全部割れていたり、駅前が黄色いテープだらけになっていたり、墓石が全部倒れていたり・・そしてNHKで延々と流れ続ける放射線量。
郡山宮夫妻の家のあたりが除染されたのは3年後でした。
あれから10年。
東北は黙って耐えて進んで来たと思います。
そしてこれからももくもくと前に進んでいくのだと思います。
犠牲になった方々、どんな無念な思いだったでしょう。
家族を残し、夢や未来を残して。
10年経っても残された人々の悲しみや辛さは消えません。
けれど、どうか見守ってほしいと思います。
どんな事があっても強くたくましく生きていく力を与えて下さるように。