そこで、この考えについて再び複数の弁護士に意見を求めたところ、たとえ解決金としてお金を渡したとしても、そのお金は借金の返済だったと誤解されてしまうだろう、世間からはやはり借金だったのだと見られてしまうだろうがそれでもかまわないか、といったアドバイスを受けました。
報道のされ方を見ていると、確かにお金をお渡しすれば借金だったことにされてしまう可能性は高いように思えました。
お金を渡してしまえば借金の返済だったと誤解されてしまうだろうとか、世間からはやはり借金だったのだと見られてしまうだろうというのは考えすぎだ、私がきちんと事情を説明すれば世間は信じてくれたはずだ、とおっしゃる方がいらっしゃるかもしれませんが、当時の報道をみると、全くそうは思えませんでした。
(弁護士に相談したら「いいかい?例え解決金としてお金を返しても、あいつは借金を返しただけだと言われるけどいい?」
あれは借金じゃない。支援なのに世間に借金と誤解されたままでいたくない。
ちゃんと説明すればわかってもらえる?いや、そうじゃなかったら)
こうして、何の話し合いもせずにお金をお渡しするという選択はしないことに決めました。
借りたお金であろうがなかろうが一括でお金を渡せば済む話なのになぜそうしないのか、といった意見が当初からあることについては承知しています。
どのみち支援を受けたのは事実なのだから元婚約者の方がお金を返して欲しいと言うのであれば渡せばよいではないか、たとえ元婚約者の方のおっしゃることが事実でないとしても支援に感謝しているのならお金を渡すべきだ、といった意見もあったと思います。
それでもそうしなかったのは、どのような理由があろうと、早期解決と引き換えに借金でなかったものが借金であったことにされてしまう事態を受け入れることはできないと考えたからです。
借金だったことにされてしまえば、元婚約者の方のおっしゃることが正しかったということになり、私や母は借金を踏み倒そうとしていた人間だったのだということになります。
これは、将来の私の家族までもが借金を踏み倒そうとした人間の家族として見られ続けるということを意味します。それを仕方のないことだとは思いませんでした。
一般的には金銭トラブルと呼ばれていますが、切実に名誉の問題でもありましたし、今でも、同じように受け止めています。
(あくまでお金は借りたものではなく善意で支援されたものだから、返す義理はない。しかし、世間の話に乗って解決金として渡しても、「やっと借金を返した」と言われる。
借金じゃないのに借金だと言われるのは自尊心が許さない。
元婚約者の言い分は最初から全部間違っていて、正しいのは僕と母。
なのに、このままでは世間に借金を踏み倒そうとしていると思われてしまう。
だから、何が何でもお金は出さないことにしたんです)
すごい理屈。
この部分、読んでもわからない人が多数だと思います。
当たり前です。根本的に認識が違う。
婚約者は「あのお金は貸したものです。ほら、メールにもヘルプって書いてあるでしょう?あの時、お金をくださいと言われたわけではなく「一時的に立て替えて」と言われた。だからお金を返してほしいんです。と言っている。
でも小室圭は、あくまで「彼が好きで出したお金」だから、こちらが返金する理由はない。
恨むならお金を出した自分を恨みな・・・ってわけで、元婚約者の言い分をほんの少しでも肯定する気はさらさない。
むしろ、彼に「お前は間違っている」とわからせる為に、何が何でもお金は返さないと決めた・・らしい。
こういう考え方は日本にはありません。韓国や中国にはあるけど。
こういう理で言い訳するやり方は朝鮮族や漢族の特徴で「真実かどうかは関係ない。理詰めで勝った方が正しい」ということです。
そうは言っても、現在まで続いている報道の状況をみると、お金をお渡しして借金だったことにされる方がまだ良かったのではないか、と思われる方が多いかもしれません。
しかし、名誉を傷つけられるような疑いをかけられ、その疑いが事実でないにも関わらず早く苦しい状況から抜け出したいと思うあまり事実でないことを事実として認めるのと変わらないことをしてしまえば、一時期はそれで良くてもそのことが一生重く付きまといます。
いろいろと悩みはしたものの、一生の後悔となる可能性のある選択はできませんでした。
この考え方を理解出来ない方もいらっしゃるかもしれませんが、あらゆる可能性を考えたうえで決めたことでした。
このような経緯で、たとえ話し合いでの解決が困難だとしてもこれを試みてみるのが最もよい選択[注5]だと判断し、元婚約者の方とお互いの認識についてきちんと話し合い、ご理解を得たうえで解決するためにはどうすればよいか、考えながら対応していくことに決めました。
解決金については、これまで元婚約者の方にご提案することはしていません。
きちんと話し合いをすることなく解決金を材料に話し合いを終わらせるのは本当の意味での解決にはなりませんし、本当の意味での解決にならなければ、解決金をお渡ししても借金だったことにされる可能性は否定できないままで本末転倒になると考えたためです。
過去の経緯に関する認識の食い違いについてお互いが納得できた場合には、解決案の1つとしてご提案する可能性を考慮しながら母や母の代理人とも随時話し合ってきましたが、結局元婚約者の方との話し合いが進まなかった(詳しくは後出の「6」で説明します)ことからそうした提案には至っていません。
(僕は僕の正義の為にあえてお金を返さない選択をしました。これは単に解決金で決着するような問題ではない。互いの名誉の話。
という話を元婚約者にもして妥協点を見出そうとしたけど出来ませんでした)
しつこいな・・・と思いました。
畳みかけるように「そうはいっても」とお金を返した方がいいという意見があるのも承知といいつつ、「でもそれは本当の解決にならない」と言ってます。
本当の解決とは何か。
それは「自分が悪者にならないこと」に他なりません。
赤字のような事を言われたら眞子さまのような素直な女性はころっと騙されてしまうのではないか?と思います。
何が何でも小室圭は「あれは善意の支援だから返さなくていい」と言わせたいし、こうなったら「私が間違っていました」と元婚約者に言わせたいわけですよね。
たった数行の要約で済むような文章をだらだらと重複しながら書き進めるしつこさに、元婚約者は疲れてしまったのかもしれません。