2005年12月1日 愛子内親王4歳
2005年12月16日 元旦に公開される写真撮影の日。
この日は愛子内親王がむずかっていたので千代田側に出仕の福迫氏を同伴してよいか聞く。陛下は「愛子はもう大きいのだから」と拒否。
しかし、東宮は福迫氏を同伴させてしまう。
2005年12月23日 「2時間47分」事件起こる
天皇誕生日での挨拶の時、愛子内親王がぐずり始める。
雅子妃が愛子内親王を連れて東宮御所に帰り、そのまま3時間近く戻って来なかった
やっと戻って来た雅子妃のセリフ「どうも」
2006年1月1日
2006年2月23日 皇太子の誕生日
2006年3月3日 学習院幼稚園プレ入園に向かう
2006年3月13日 ディズニーランドへ一家と池田礼子親子が貸し切り状態
皇太子一家・池田礼子親子・その他一家でディズニーランドとシーへ
宮内庁予定では「行啓」となっている。
雅子妃の考え「普通の子供と同じ体験をさせたい」
一家が入る土産物屋は貸し切り・奇声が聞こえた
すごい数の警官。何も知らない一般客はアトラクションやお店に入るのを規制されて怒り。
予定より1時間オーバー
愛子内親王はアトラクションよりコンフェ拾いに熱中。
この時、警備にあたったのは千葉県警です。
要は、千葉県民の税金で遊んだことになります。
2005年4月11日 学習院幼稚園入園式
園長にあいさつが出来なかった愛子内親王。「自然なお子様」と評される。
それまで内親王は「〇〇内親王」と呼ばれるのが普通だった。しかし、愛子内親王から「敬宮愛子ちゃん」と呼ばれるようになる。
称号を名字にしてしまったのです。
2006年4月16日 オール学習院を鑑賞
愛子内親王ご優秀伝説の始まり
週刊誌や皇太子の誕生日記者会見で語られた愛子内親王のご優秀伝説
3歳 → ・雅子妃に代わってインターフォンで「ご飯お願いします」「新聞持ってきてください」
・折り紙と木登りが得意
・ままごとで「熱々のスープを召し上がれ」という
4歳 → ・「ママへ今日は何がたのしかったですか」お手紙ごっこ
・相撲を見ながら「これは小結同士ね」
・スケート初体験ですいすい滑る
・バースデイケーキを持って雅子妃をお見舞い
「病気の時にお母さまによくして貰ったからお返しするの」
・「〇〇が・・・だから・・・」の会話が出来る
・「だれだれに星がついたようれしいな」
・関取の名前を上下両方言える(ひらがなでかける)
・(マスコミに)みんな寒いところで待っててくれるからワンちゃんの腕を振ってあげるの
・英語・ドイツ語・スペイン語の歌が歌える
かなり不自然なご優秀伝説が出回る。
2006年5月6日 幼稚園遠足
この日、雅子妃は座る為のシートを敷くことが出来ず、ぼやっとしており、さらに雨が降り出しても傘も差さなかったという。ゆえに回りの母子も傘をさせずに濡れていたというエピソード。
2006年6月18日 父親参観
2006年7月24日 那須へ静養に
2006年8月3日 静養帰り
秋篠宮妃の懐妊でタガが外れたのか、「これでもくらえ」とばかりにディズニーランド豪遊をやってのけて、年頃の眞子様や佳子様の心をざわつかせた雅子さん。
入園早々、39度の熱が出てお休みが多くなる愛子内親王。その度に公務をドタキャンする雅子妃。批判されてもおかまいなし。
静養につぐ静養。そして静養はオランダまで。