公務の軽減について
天皇の務めには日本国憲法によって定められた国事行為のほかに,天皇の象徴という立場から見て,
公的に関わることがふさわしいと考えられる象徴的な行為という務めがあると考えられます。
毎年出席している全国植樹祭や日本学士院授賞式などがそれに当たります。
いずれも昭和天皇は80歳を越しても続けていらっしゃいました。
負担の軽減は,公的行事の場合,公平の原則を踏まえてしなければならないので,十分に考えてしなくてはいけません。
今のところしばらくはこのままでいきたいと考えています。
私が病気になったときには,昨年のように皇太子と秋篠宮が代わりを務めてくれますから,
その点は何も心配はなく,心強く思っています。
陛下のお心は「公平の原則ー」からの一文に全て込められているのかもしれません。
自分が病気になった時は「皇太子と秋篠宮が・・」という事で、二人を同列にしたのが精一杯という事でしょうか。
でも公務は「公平の原則を踏まえて」しなくてはならいのに、あからさまに無視する皇太子の事を本当はどう思っているか
国民はそこを知りたいし、心配してもいるのです。
沖縄訪問について
8年ぶりに沖縄県を訪問したわけですけれども,今度行きました所は,今までに行ったことのない所が含まれています
。沖縄科学技術大学院大学ですね,恩納村には行きましたけれどもそこは行きませんでしたし,万座毛も初めてでした。
それから久米島がやはり初めての所です。
戦没者墓苑は,これは毎回お参りすることにしています。そのようなわけで,毎回お参りしている所と新しい所があって,
沖縄に対する理解が更に深まったように思っています。
万座毛という所は,歴史的にも琉歌で歌われたりしていまして,そこを訪問できたことは印象に残ることでした。
殊に恩納岳もよく見えましたね。久米島の深層水研究所も久米島としては水産上,重要な所ではないかと思っています。
多くの沖縄の人々に迎えられたことも心に残ることでした。
沖縄は,いろいろな問題で苦労が多いことと察しています。その苦労があるだけに日本全体の人が,
皆で沖縄の人々の苦労をしている面を考えていくということが大事ではないかと思っています。
地上戦であれだけ大勢の人々が亡くなったことはほかの地域ではないわけです。そのことなども,
段々時がたつと忘れられていくということが心配されます。やはり,これまでの戦争で沖縄の人々の被った災難というものは,
日本人全体で分かち合うということが大切ではないかと思っています。
今や日本最大の左巻きの島・・・沖縄についてこれだけの慈悲を見せる陛下には頭が下がります。
確かに陛下のおっしゃる通りで日本人は沖縄の苦難について机上では知っているけど分かち合うまではいかないでしょう。
それは東日本大震災も同じですよ。
関東や大阪からみれば東北も沖縄も・・きっと遠いのかも。
一般参賀には皇太子夫妻も参加。
雅子妃はまたも紺色のドレスで・・・よくもまあ毎年同じドレスで。しかも紺で・・・と思うのですが。
そういう事が話題にされてしまうのも陛下はきっと嫌でしょうね。
陛下がお言葉を読み上げる時、皇太子夫妻だけ真正面向いて尊大な態度だったーとか、とうとう皇太子夫妻は
被災地に行かなかったーーとか・・・そういう事を追求されるのが嫌でしょう。
わかっているから。本当はもう救いようのない状態である事をわかっているからです。
でも、それなら完璧主義者の仮面を捨てて、国民に助けを求めるべきではありませんか?
女性宮家だって心ある国民のおかげでとん挫したわけですし。
今、陛下が考えなければならない事は、ご自分のやってきた事をいかに継承させていくかでしょう?
誰に?どうやって?その布石を今打たないでいつ打つのでしょう?
明治帝は何人もの男子を失い、たった一人生き残った大正天皇をそれはそれは大事にお育てになりました。
命をかけて皇位継承者としてお育てになりましたよ。政府はこれ以上宮家が増えても困ると考えていたけど
ご自分の内親王を嫁がせる事でもしもに備え、体の丈夫な妃殿下を貰い、そして4人もの親王に恵まれたのでは?
今上とてやっと生まれた「皇太子さま」だったからこそ、やりすぎかもしれなかったけど国をあげて大事に、国の柱として
育てられた。それがときには孤独を伴う事で・・・それが戦後のマイホーム主義になった理由でしょう。
そういう意味では今上は最初から男子二人に恵まれ、危機感なくやってきた結果がこれなのだと自覚すべきでしょう。
秋篠宮がたまたま賢くて考え深い親王だったからこそ、悠仁親王に恵まれた。
これは偶然でもないし、当然でもないんです。奇跡なんですよ。
今上は奇跡の次男夫婦に助けられ、救われ、今に至っているという事をもっともっとご自覚され、そしてその思いを
国民に伝えて頂きたい。
うんざりするような1年をまた・・・と思わせないで欲しいのです。
せっかくのお祝いの日にこんな文章を・・・と自分でも嫌になるんですけど。年々両陛下が国民から遠ざかっていくような気がして。
私たちが小さかった頃の皇室はこんな風に仮面的ではなかったですよね
「開かれた皇室」を実践してきた筈の陛下が、ご自分で皇室を菊のカーテンの向こうにおいやるなんて
思ってもみませんでした。先帝が生きておられたらなんと思われるでしょうか。
どうかもう一度、あの頃のようなのどかでほのぼのとした自然体の皇室に戻って欲しいです。