見るんじゃなかった・・・時間の無駄だったわ。貴重なお正月なのに。
テレビ東京 新春ワイド時代劇 「白虎隊」
狂ったかジェームス三木
宝塚などをみてて感じるのは演出家さん達の「老い」を直接感じる事です。
特にショー作家にそれは顕著で。もっとも元気だった時の面影はなく、過去の作品の焼き直しに終始したり
芝居にしても自己主張ばかり強くて支離滅裂になったり。
そういうのを見ると「歳をとるというのは怖い」と思うわけです
いつか自分も時代に取り残され、空気が読めなくなってへんてこな文章を書くようになるんだろうか・・・とかね。
今回のジェームス三木の脚本はその真骨頂
彼の脚本は面白い筈なのに。何で?
支離滅裂なんてもんじゃないし、史実もへったくれもなく、ただ書き殴った・・・というような作品でした。
史実と違いすぎる
時代劇とはいえファンタジーだと割り切ればいいのかもしれないけど、こと会津の歴史に関しては細かいエピソードが
沢山残っていますので、それに反する脚本は書けない筈なんです。
例えば白虎隊の誰それがいついつどうして何をして・・・とか、性格はこうでああで・・・のような話は一杯残っていて
それがあらゆる文書に残っている事を思えば、それを無視して、自分の考えでストーリーを構築する事は
なかなか出来ないと思うんですね。
まして、それが史実なら。
飯沼貞吉と井深茂太郎
この二人が最初に伯父である西郷頼母に挨拶に来るのですが、ここですでに違和感が。
貞吉は確かに「甥」だけど井深は違うだろう・・・・と。
ネットで調べたら井深茂太郎は同じ白虎隊士・石山虎之助と血が繋がっており、井深家は会津でも名門中の名門の一家。
でもどこにも西郷の「甥」とは書いてありません。
にも関わらず何が何でも飯沼と井深を対にして出したかった理由・・・多分それは井深がソニーの井深大の先祖だからでしょう?
ラストに飯沼を見舞う井深さんが大のご先祖で青龍隊の方。
こういうわざとらしい嘘は原が立つ。
照姫と容保がラブラブ?
そんな話、聞いた事もなければ考えたこともなかったのでびっくりすると同時に激しく違和感が。
そもそも容保にとって照姫は「姉」だから、よびつけにするのもおかしいし、酌をさせるなどもってのほか。
藩主自ら落城寸前に照姫に酌をさせてるなんてありえない。
その頃、照姫は板下に嬢子隊をひきつれて行ってた筈だし・・・・・
なぜにトウモロコシ?
白虎隊の面々が小休憩の時に食べていた生トウモロコシ。でも季節は10月(旧暦だと8月)雪の到来を心配して
いた筈なのに何でそこにトウモロコシが?
白虎隊が飯盛山に着き「遅かったか」と言った時、我が家のヨンジュナが一言「トウモロコシなんか食べてるからだよ」
と言いました。シリアスな場面で大爆笑・・・・
最初に自刃したのは
石田和助さんだった筈。「傷が痛むのでこれにてごめん」って言ったんですよね?
なのに、よりによって篠田儀三郎と飯沼貞吉がどっちが先に死ぬかで言い合いするなんて
西郷家の自刃
八重子さんのみ白装束っておかしくないですか?
そもそも、その時吉十郎はどこに?
頼母は家に戻ってきましたっけ?
死にきれなかったのは細衣子さん
これまた眉寿子さんにさしかえて、土方と無理やりなラブストーリーを作り上げてしまったわけですね。
でもこのシーンは本来、細衣子さんが土佐の中島信行に見つけられて
「あなたは味方か敵か」と聞き、中島が「味方だ」と言い、とどめを刺した…のちにこれを中島が西郷に話した時
西郷ははらはらと泣いた・・・と言われていますよね。
神保修理さん自刃のわけ
これって・・・ドラマでは長州が「会津だけは許さん」と言ったから、代わりに修理さんが・・・という話ですが
本当は「殿に恭順を説いたばかりに鳥羽伏見の戦いで逃げ出す結果になり、負けた。そう吹き込んだのは修理殿のせい」という
藩内の批判を受けての事だった筈です
ドラマの死に方では意味がないと思いませんか?
西郷頼母出奔のわけ
いつ「ご宸翰」が出てくるのかと思っていたけど、とうとう一度も出てこなかった・・・・
何を考えているんだ?ジェームス三木。孝明天皇が容保に与えた宸翰こそ、会津が官軍である事の証。
それを容保が官軍に渡すまいと頼母に託し、それゆえ頼母はそれをもって出奔したのです。
でもドラマでは側室・咲が懐妊したから一緒に逃げよ・・・と、照姫がじきじきに伝えに来て。
要するに「もう切腹者を出したくない」との容保の意向だったんだろうと。
何でこんな無理やりつじつま合わせのようなストーリーを?
咲さんというのは容保の長男・容大の事。彼の娘が松平勢津子。つまり秩父宮家のセツ君で。
そういう事を言いたかったんでしょう。
だったら白虎隊士・池上新太郎も出せばよかったのに。彼こそ紀子妃のご先祖なんですから。
容保の養子・喜徳公
水戸家の18番目の子。でも戊辰戦争当時、彼はまだ子供だった筈で・・・あんなに大きくなったよ。
タイトルは白虎隊なのに
ドラマの半分以上を、容保が京都守護職を受けた事に対する頼母の不満と反発で終始
何が不満ってこの前半が不満。
確かに容保が京都守護職を受けた事に対する頼母の反発の原因は「財政難」にあったとは思います。
でも、殿様に「稲刈りをさせる」とかいうのは言い過ぎ。
頼母は家老職なのに、百姓の心配ばかりする。お百姓さんが大事、庶民に戦は他人事。それはそうなんだけど
百姓、町人とて会津の民なわけで、彼らだって国の為に戦うのは当然ではなかったかと。
戦を稲刈りの為に中断せよ・・・なんて言い出す頼母は絶対に嘘っ
武士と庶民階級の温度差を埋めようとしてのストーリー展開だったのかもしれないけど、この差は埋めようがない。
そもそも武家政権の存続の危機という話なんだし、無理やり百姓を出す必要性があったかどうか。
頼母が「容保公」と呼ぶのもおかしい。
やっぱり「殿」でしょう。
白虎隊士は士中二番隊だけなのか?
・・・と思ってしまったのは私だけ?
事実として白虎隊は士中一番隊と二番隊・寄合隊などがあり、容保と一緒に出陣したのは二番隊。一番隊は城に残って
いたのです。ドラマの中で二番隊こそがエリートみたいな言い方をしていましたが、実は一番隊の方が・・・って
何がエリートかというと、それは家柄。
ドラマでは二番隊しか登場しないのがどうにもおかしくて・・・・・
それに白虎隊は容保と一緒に滝沢本陣に出陣したのに、そういう風には描かれておらず。
実戦も日向内記とはぐれた後の一度なんだけど。すでに何人か死んでるし・・みたいな?
それになぜにセリフが飯沼と井深しかないの?
二番隊副隊長は篠田儀三郎で、本人が「これよりおれが隊長だ」と言い出すまでもなく、みんな彼に従った筈。
白虎隊なのに白虎隊があまり出てこない
白虎隊士のエピが一つもでてこないし。
堺峰冶は?こんなの絶対におかしい。
そもそも飯沼が生き残った時、井深に「生きるのだ」と言われて頷くか?
仲間全員死んでるのよ?生きろと言われて納得する筈ないでしょうが!!
それを言うなら家族全員自刃した頼母と息子があっさり国を出るというのもへんてこな話で。
息子が「切腹する時はお供いたします」と言った時、「死ななくていい。お前はまだ子供ではないか」と
抱きしめるけど、自分の生徒には切腹の仕方を教えたじゃないかと。
16歳はよくてそれより下はダメなんて理屈、当時の会津にはなかったと思います。じゃあ、一番下の女の子は?
2歳だったんだよ?
東北に幕府を作ろうとしていた・・・・?
これは最近出てきた新説というか、資料ですよね。
会津が勝っていたら東北に幕府が出来ていたと。その際、都は会津?
輪王寺の宮って誰?
それは、皇族で唯一朝敵になった方で、香淳皇后のご先祖様です。
明治帝は朝敵の汚名を着て、お手元不如意の久邇宮家を大層気にかけていて。
それで良子女王が昭和天皇のお妃になった・・・・という話もあるくらい。
まあ、それはそれでいいんだけど、「岩倉具見が孝明天皇を毒殺した」までは言い過ぎ。
確かにそういう噂がある事は確かだし、個人的にはどうだったんじゃないかと思っています
でも、そんな人がのちの政府の要人になった・・・とは思いたくないのも事実。
どちらにせよ、証拠があるわけじゃないからね。軽々にいうのはどうかと。
どちらにせよ、ひどいドラマでした。
大震災の復興支援が目的で「がんばっぺ福島」って事で、白虎隊やら新島八重子さんやら・・・
今年は福島イヤーだなあと思います。
でも・・よくよく考えてみれば、福島の歴史として永遠に残るのは朝敵となった会津。
新政府が嫌がらせに県庁所在地を福島市に定め、会津への道をふさいだ・・・そんな会津が脚光を浴びる。
ちょっとざまあみろと言いたいです。
とはいえ震災で被災したのは福島だけじゃないのよーー
例えば伊達政宗が松島の瑞巌寺を建てたのはなぜか・・・・とか、瑞宝殿がなぜ東照宮そっくりなのか・・・とか
支倉常長とか林子平とか、色々ネタはあるじゃん?
・・あ、・・・自分で書けって?いやーーそれは・・・・?