東宮職は上を下にの大騒ぎだった。
イギリスのダイアナ妃が来日するという。
ダイアナ妃といえば、若干20歳でチャールズ皇太子の妃になり、あっさり男子を二人産むものの
夫の浮気に傷つき、本人も奔放な生活をする女性。
世界一の美貌と、抜群のスタイル、ドレスのセンスはピカイチ。
まるで「古きよきイギリス繁栄の象徴」のようで「イギリスの広告塔」とまで言われた。
その一方で、福祉活動にも熱心。
地雷撲滅運動に精をだし、貧困の街を訪れ、自分についてくるパパラッチを利用して
世界に発信していく・・・・という意欲的な活動を行っていた。
そのダイアナ妃が阪神の大震災を受けて緊急来日し、慰問したいというのだ。
赤十字関係の施設と活動状況を視察。さらに被災地へ行き、被災者達を慰めたいとの希望。
実はこの件について、宮内庁も突然の事でどう対処したらいいかわからなかった。
というのも、震災以後、天皇・皇后が被災地を訪れたのが1月31日。
赤十字関係にはまだ行っていない。
そして皇太子夫妻はまだ被災地にすら行っていないのだ。
身位の関係上、上からでないと行動できない。
皇太子夫妻が被災地を訪問しない為、アキシノノミヤも他の宮家も行動できない。
という事で、東宮職としては一日も早く皇太子夫妻に被災地に行くよう説得し始めた。
しかし、皇太子はともかくマサコは絶対にうんと言わない
「そういう所には行きたくない」
その一言だった。
「しかし、両陛下も訪問していらっしゃいますし、皇室の在り方として国民と苦楽を共にする
というのはいわば義務。そうでないと国民の心が皇室から離れてしまいます」
東宮大夫、侍従長、女官長揃っての説得だった。
それでもマサコは首を縦に振らない。
「がれきの山なんかを見たくないし、私達が行ったとしても震災が消えてなくなるわけじゃない。
みんな、暗い顔してがれきを指さしてここはいついつどうだとか説明し始めるのが嫌。
お偉いさん達の愚痴を聞きながら深刻な顔して一緒に食事をしたりしたくない。
私達、せっかくの旅行を中断して帰ってきたのよ?それだけで十分じゃない?」
このセリフにはみな唖然として言葉も出なかった。
「皇族というのはそもそも国民に寄り添って・・・」
「私は皇室外交をする為に入ったの。被災地訪問とか約束になかったから」
マサコは怒鳴った。
「そうでしょ?ナルヒトさん」
妻から名前で呼ばれてしまった皇太子は黙っていた。
大夫達は皇太子が妃を叱ってくれるのを待った。今の今までそんな事を言い出す皇族は
見たこともなかった。
きっと皇太子もそうだろう。だから・・・・
「確かに約束はしてなかった・・・・と思う」
予想外のセリフにみな目が点になった。
「でもそれは、こんな大きな災害が起こると思っていなかったしね。マサコが言う通り
中東から予定より早く帰国した事だし。普通ならまだあっちにいたかもしれないんだし。
まだ行かなくてもおかしくはないと思う。マサコは疲れているんだよ。
そんなにすぐにあちへ行けだのこっちへ行けだのと命令して欲しくない」
「しかし・・・ダイアナ妃は」
「それはそっちでうまくやって」
皇太子の無責任な言い草に職員はいら立ちを怒りに変えた。
しかし、東宮大夫は怒るわけにもいかないのでとりあえず格好をつける為に
1月30日に日赤の会長に被災地の救助関係の進講をさせ、さらに2月1日には
警察庁長官から被害状況の報告をさせた。
皇太子はそれなりに真剣に聞いている感じだったが、
「なぜこんな大きな地震が起こったのでしょうか」
などと場違いな質問をし、彼らが答えに窮する場面も見られた。
マサコ妃に至っては、報告を聞けば聞くほど被災地に行きたくなくなったらしく、
最後はあからさまにうんざりした顔をするので、早々にお引き取りを頂いた。
マサコの心は来日するダイアナ妃がどんな服装で来るか、彼女と笑顔で挨拶を交わす
自分の姿を想像して、うっとりしていた。
あの世界的に有名なダイアナ妃と自分は直に話す立場にあるのだ。
対等なのだ・・・そう考えるだけで嬉しかったし、皇室に入ってよかったと思った。
そして2月8日。
ダイアナ妃は颯爽と日本に登場した。
震災に配慮してか、濃紺の上下スーツにベルベッドの黒襟がついた、キャリアウーマンのような
服装だだった。その服はダイアナ妃の金髪を引き立たせ、まぶしいくらいに美しく見せている。
そして、彼女を東宮御所で迎えたマサコの服装は、ロイヤルブルーの上下スーツにベルベッドの
黒襟がついた・・・・ダイアナ妃とほとんど同じデザインだった。
賓客よりも少々派手な色を着ている、しかもほとんど同じデザインの服にマスコミは
「お揃い」と言ってはやし立てたが、当のダイアナ妃は一瞬、どきっとして、それから
憐れむように穏やかに笑った。
そもそも、マサコは皇族方の服装も真似る傾向があった。
皇族方が揃って出席する時の服装、晩さん会のドレスまで、まるで「お揃い」のように
色や形やデザインすら同じように作ってしまう。
女性皇族のファッションは皇后が何を着るかで決まる。かぶらないように目立ちすぎないように
違ったデザインのものを着るのが通常。
さすがに皇后とバッティングする事はなかったが、マサコはキコ妃やミカサノミヤ家のノブコ妃の
服を事前に取り寄せて、それとそっくりに作る。
ただ一つ違うのはマサコの方が生地が上質になる事。
結果的にいたたまれなくなるのは、身位が下の者で、かといって文句を言う事も出来ず泣き寝入り。
マサコにしてみれば、いわゆる「プロトコル」がよく呑み込めないので、とりあえず身近な人と
同じ格好をしていれば、誰にも責められないと踏んでいるらしかった。
それをまさか外国からの賓客に行うとは・・・・
「マサコ様とダイアナ妃は強い友情で結ばれている。お揃いの服はその証」と
マスコミは持ち上げたが、それを見せられた皇后がいかに驚き、失望したかは想像できまい。
ダイアナ妃は日赤訪問を希望していた。
しかし日赤として日本の皇族をまだ誰もお迎えしていない以上、来て頂くわけには・・・と
丁寧に断ろうとした。
皇后はそれに対して「私達の事は考えなくていいから、ダイアナ妃のよいように」と言付け、
ダイアナ妃は無事に日赤を訪れる事が出来た。
しかし、最後まで希望していた被災地へは行けなかった。
表向きは「まだ震災直後で妃に何かあったら大変だから」「お迎えしても対応できない」
だったけれど、実は皇太子夫妻が行ってない事が一番大きな理由である事は
よくわかっていた。
その皇太子夫妻が行かない理由についても
「両陛下が訪問された時も被災地は気を遣って大変だったろう。それから間もないのに
皇太子夫妻が行くのは被災地にとって負担であると思われたから」というわざとらしい
理由をつけ、それを「マサコ様の気遣い」であると宣伝し、さらに「ご懐妊の可能性」を
ほのめかして正当性をつけた。
「外国の妃殿下ですらこんなに日本の心配をしてくれているのに」
ダイアナ妃の日本における意欲的な福祉活動は、国民に大きな感銘を与えた。
ことさら東宮職員は彼女の気さくな性格と、優雅な身のこなし、そして優しさに感動した。
マサコが入内して以来、職員らは毎日ぴりぴりしてストレスだらけの日々を送っている。
時間通りに決められた事をするだけなのに、なぜこんなに一々うまくいかないのか。
二言目には「そんな約束していない」といい、何が何でも拒否の姿勢を貫く。
その頑固さには本当にへきえきするのだ。
職員らの心にわきあがった「外国の・・・」の思いは至極当然の事だった。
マサコも暗に責められているような気がするのか、一層部屋に
引きこもり、女官長とすらあまり口をきかなくなった。
部屋の中を真っ暗にして壁に向かっていると、ふつふつと怒りがわきあがる。
「なんで私がこんな事で罪悪感を覚えなくちゃいけないのか」と。
そもそも皇太子と結婚なんかしたくなかった・・・・彼女が考える最初はいつもこれだ。
「お父様が言うから」そう思うとたまらなくなり、国際電話をかけたりする。
「全然違うじゃない。外国旅行も出来ないのに、汚い所へ行けだのつまらない事ばかり
強要されるの。こんなの嫌」と。
聞いているユミコはおろおろして「まあちゃん、落ち着いて」と言い、
ヒサシは「もう少し待ってろ。何とかしてやるから」という。
愚痴の電話にうんざりしているヒサシは、すぐに外務省と連絡を取り、職員の入れ替えを
示唆し、少しでもマサコの要求が通りやすいような人員配置にしようとする。
今はまだ平の職員ばかりだが、そのうち、侍従長や女官長なども外務省絡みで揃えようと思った。
毎日のようにかかってくる電話を避けるのには、マサコの「わがまま」を聞くしかないのだから。
「全く、あの皇太子は自分の妻をおさえることもできんのか。使えない奴だ」
ヒサシの耳にも皇太子夫妻のある程度の評判の悪さは届いていた。
ここまで娘が精神的につらい立場になるとは予想もしていなかったので、皇室という闇の深さに
驚くと共に「何とかしなくては」と思った。
正しいのは皇室じゃない。我々である事を知らしめないと。
皇太子夫妻が一か月経っても被災地に行かない事について、次第に問題になりつつあった。
いくら女性週刊誌がかばいだてしても、その言い分が通らない事くらい、国民にも
わかっていたから。
「どうして被災地に行かないのか」という素朴な疑問をマスコミはぶつけたし、
宮内庁は四苦八苦する。
行きたくないのか行かせないのか、どちらなのだ?という事だ。
宮内庁としては、自分達のせいで皇太子夫妻が行けないという事にされるのは
まっぴらごめんだった。
なんせ、拒否しているのはマサコ妃そのものだったから。
「では皇太子殿下だけでも」というと
「そしたついて行かない私が悪者みたいじゃない」と怒り出す。にっちもさっちもいかない。
そのうちに2月も中旬になり、皇太子の誕生日記者会見が来てしまった。