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韓国史劇風小説「天皇の母」105(何もかもフィクション)

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「私はまだ人気をあと6年も残しているんですがね・・・」

ワダ判事はハーグの自宅で国際電話をうけていたが、その声は多少なりとも震えていた。

「ええ、確かに誓約書は出しましたよ。でもそれは一種の儀式のようなもので。しかも任期途中ですよ。

あと1年2年ならともかくあと6年も残っているのにやめろって・・・」

それでも電話は執拗に来るし、文書も来るし・・・・オダはうんざりしていた。

 

国際司法裁判所はオランダのハーグにある。

そこに判事は15人。各国からえりすぐりの法律に明るい人たちが国連の選挙で選ばれている。

日本は20年前から必ず1人の判事を輩出していた。

オダは海洋学の権威であり、元東北大の教授だった。

国際司法裁判所の判事としては3期目に入る。選挙の度に当選してきたという事だ。

勿論、選挙に出る為には自分の国、それも外務省条約局からの推薦がなければ出られない。

オダは学問的な権威を持つのと同時に手腕を認められて当選した1期目以降、順調に2期目、3期目と

やってきたのだ。

しかし・・・実は2期目、3期目の当選の裏には外務省条約局との駆け引きがあった。

つまり、「もし、条約局が要求した時は任期の途中でも辞任すること」というもの。

正式な、というわけでもないとオダは思っていたが、その当時は誓約書も書かされた。

そうでもしないと2期目にしてお3期目にしても推薦がとれないし、じゃあ、推薦されたからといって当選するとは

限らない・・・が、当選してしまうのが一つの仕組みとなっているのも事実。

当時は深く考えなかったけれど、今思えばあの時、毒まんじゅうを食らったのか、悪魔に魂を売ったのか。

そのような裏工作で自分が任期を伸ばした事は、外にわかってはいけない事実だった。

2期目は順調で、3期目もまだあと6年もある。

それなのに、外務省のヤナイ条約局長は、誓約書を盾に「辞任して下さい」と要請してきたのである。

「何で今頃?私はまだ辞めるつもりはありませんよ。そもそも途中辞任なんて聞いたことないでしょう」

「事情が事情ですから。あなただってオワダ国連大使がどのような人かご存知でしょう?彼は皇太子妃の父です。

その地位にふさわしい場所が必要なのです。国連大使に任命する時もけっこうすったもんだありましてね。

ご本人が「外戚だから遠慮します」と言ってくれればいいものを「外戚だからこそそれにふさわしい地位をくれ」とおっしゃるので。

まあ、外務省事務次官まで務めた方だし、政治家やら学会やらコネが多くてね。

で、そのオワダ大使、現在64歳なんですよ。おわかりのようにすでに国連大使の定年は過ぎているんです。

それでも勇退するつもりはないとおっしゃいましてね。あの誓約書はいわばこういう時の為なのです」

オダは言葉を失い、電話口でただ震える。

ヤナイの声はさらに静かに響き渡る。

「あなただって、あの誓約書の存在が表に出てはまずいでしょう?」

「途中辞任なんて・・・・よっぽどな理由がなければ受け入れられないでしょう」

「理由なんて何でもいいんですよ。健康上の理由とか。途中辞任なら次の判事も同じ国の人間にしやすいし」

「そんなあんまりな。私は今まで30年以上もお国の為に頑張って来たんですよ。あの1期目のときだって、どうしても

とおたくらが言うから選挙に立候補したまでで。それを今になってオワダ大使の為に切るというのですか」

「2期半も務めれば十分じゃないですか?それなりにあなたにだって見返りはあるだろうし」

 

電話を切ったオダは思わずげんこつでテーブルをたたいた。

何て事だろう。いや、自分は何という事をしてしまったのだろう。

あんなオワダのような俗物中の俗物。今の自分はそれとすっかり同じじゃないか。

崇高な海洋学、法律を学び・・・と同時にそれなりに政治も学んできたと思う。多少のグレーゾーンも

そういうものなのだと割り切ってきたつもりだ。

あの誓約書だって。でも、まさにしっぺ返しをされているのだ。

何という卑怯な・・・オワダ国連大使。どうせここに入っても判事ではすまないだろう。

だけど、あれは売国奴だ。

「日本ハンディキャップ論」を繰り広げたのはオワダだ。日本の象徴である皇室の外戚とは思えない理論。

日本は永遠に中国や韓国に謝罪し続けなければいけないという・・・

こんな人間が国際司法裁判所の判事になって、日本の国土や国益を守る事が出来るのか?

公正な判断が出来るのだろうか?

戦後50年を過ぎて、やっと自虐史観から脱却しようという動きが出始めて、あの戦争を、あの時代の日本を

見直していこうという考え方が出てきたこの時に、「日本は悪」という考え方の持ち主が判事になるなんて。

しかし・・・とオダはため息をついた。

(無理だ。逆らえない。誓約書の存在は永遠に封印せねばならない。しなばもろともというわけにはいかないのだ)

しかし、あと6年の任期を残して辞めなくてはならないのか・・・・・

オダは眠れない日々が始まる事を予感していた。

 

そして東宮御所の改装に5億円もの巨費が投じられる事になり、東宮御所は、季節は秋でも春を迎えたような

明るさに包まれていた。

そもそも東宮御所は皇太子とマサコの結婚の時に一度改装を行っている。

当時は今上が皇太子時代から使っていたままだったので、かなり大規模に水回りなどがあらためられ、

また新しいお妃の為に美しくしつられられたのだった。

それからわずか3年。

5億円もの予算の裏に何があるかなどとは公表されなかったし、国民は関心も持たなかった。

ゆえに、東宮御所の壁には老人用の手すりがつき、床はバリアフリーになり、そして部屋数が増えた。

部屋のあちこちはマsカオの好むように壁紙が張り替えられ、インテリアも変わった。

より防音設備に力を入れ、プライバシーが守られるようになった。

暑がりで寒がりのマサコの為にエアコンも新調。より細かい部分にまで行き渡るようになった。

皇太子は、毎日マサコがご機嫌なのを見て心底ほっとした。

エガシラ家のユタカが来ている時は、マサコは得意げであり、にこやかで愛想もいい。

ユタカの語る言葉には歴史を感じた。

「私などが若かったころは物がなくてみな、貧しかったのですよ。力があるものだけが生き残る。

そういう社会でした。私なんぞはそれほど学があるわけではありませんでしたが、とにかく家柄や血筋に

勝つのは学歴と、どんな仕事をするか・・・ですから、そりゃあ頑張りましたよ。それはマサコの父親も同じでね。

あれの兄弟はみな東大を出ていますが、大したものです。殿下のように生まれた時から将来を約束された方には

わからないでしょうが、庶民というのは日々戦っているのです。そんな血がマサコにも入っているんですよ」

そんな風に言われると、皇太子は自分が皇族に生まれた事が恥ずかしくなった。

そう、自分は生まれた時から「将来の天皇」として何不自由なく育ってきた。

誰かと競争をするなんて考えた事もなかった。

甘くて考えなしでゆるやかに育ってきた自分。

そんな自分に果たしてマサコを幸せに出来るだろうか。

今だって、子供の事で辛い目にあわせている。

両親は伝統を大事にする人だ。だけど父である天皇もまた「将来を約束された人」ではなかったか。

父からは戦中戦後の大変だった時期の話もよくきく。

でもそんなもの、ユタカはヒサシの話に比べたら少しも大変に聞こえない。

だって義父も義祖父も自力で這い上がって来たのだから。

車いすに乗って東宮御所の庭を散歩するユタカの姿には威厳を感じたし、惹かれるものがあった。

それはヒサシも同じだ。自分は何かに必死になった事があったろうか。

「皇太子妃も悪くないわね」

とマサコは笑った。

「でも問題はあなたの親よねえ。とにかく考えが古いんだもの。ついていけないわ」

「仕方ないよ。そういう風に生きて来たんだもの」

「皇后陛下って本当に庶民の出なの?民間から出たお妃って言われているなら、私達の気持ちだってわかる筈よ。

世の中は変わっているの。国内だけを見てちゃいけないの。これからの皇室はグローバルに国際的に

外交をしていかないと。そして皇族もまた「自由」を満喫する権利があるの。だって同じ人間なんですもの」

同じ人間。

亡くなった先帝は、皇太子にとってただの人ではなかった。

アーヤはいつも「おじじさま」と言って甘えていたけど、自分はそんな風に接する事は出来なかった。

どこか遠い存在に思えたのだ。

どんなときにも隙を見せなかった先帝。そして皇太后。

あんな生き方が正しいとは思わない・・・・そう、思わなくていいのだ。

皇太子は「そうだね」と笑った。

 

 

 

 


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