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韓国史劇風小説「天皇の母」141(新年のフィクション)

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巷はクリスマス一色だった。

都会は派手なイルミネーションが輝き、街が歌を歌っているように見える。

テレビの画面に映し出されるそんな風景は、喪に服している皇室の中では

白々しい雰囲気をかもしていた。

「やっぱり外は寒いんだろうね」

天皇はひざかけをひっぱりあげた。

冷暖房完備の皇居ではあったが、天皇は常に節電を心がけ、暖房の温度も低めに設定している。

「寒うこざいますね」

皇后はなんの気なしにテレビを見ながらも、疲れたようにつぶやいた。

皇后の頭の中には、先日のマサコの「海外に行けない事になれるのに時間がいった」とのセリフが

頭から離れなかったのだ。

結婚して以来、海外にばかり行っていた皇后には、「いけない」苦しさなど考えた事がなかった。

むしろ、常に子供達の傍にいてやれたらと、そう思う事の方が多かった。

国内と海外と、どちらにやりがいを感じるとか、そんな風に優劣をつけた事はなかったけれど

海外へ出ると責任感が増し、緊張の度合いも強くなる。

自分達の頃は「先帝の名代」という立場ばかりだったので、いわば最高級のもてなしをうける

代わりに完璧な振る舞いを要求されていたのだった。

そういうものを、マサコはどんどんやりたかったとでもいうのだろうか。

確かに華やかさは海外の方があるだろう。

国内では式典は堅苦しいし、施設訪問が主だったけれど、海外では・・・

だけど、そんなに海外ばかり・・・・

「どうしたの?」

「いえ・・・皇太子妃はそんな海外に行きたかったのかと思うと」

「ああ・・あれね」

天皇もため息をついた。

「あれはいけないね。そんな不満を口にしてはいけない」

「帰国したら少し言わないといけないでしょうか」

「言ったらまた、予想外の行動をとって嫌な思いをするよ。東宮職に伝えてからの方がいいのではないか」

「それはそうですが。雑誌などは世継ぎ優先で皇太子妃が外国で活躍できなかったと

それは同情的に報道しております」

「世継ぎ優先なのは当たり前の事じゃないの」

「今時の若い人達はそうは考えないのです。仕事を優先して考えるようですね」

「子供を産む事も立派な女性の仕事だろう」

「女性の仕事・・・と言ってはいけないのです。それは差別になるんだそうですわ」

「・・・ミーは今時の若者について随分詳しいようだね」

「いえそんな。ただ、結婚と出産を別物として考える風潮はあるようでございます。皇太子妃は

私達と違って大学を卒業してから仕事をしていたので、キャリアウーマンになりたい思いが強く

だからあのような言葉が出たのかと」

「キャリアウーマンねえ。皇族は結婚してもしなくてもずっと仕事をしているよ」

「そうではありますが」

天皇には何を言ってもわからないのだろう。かつて自分達もそうだったと言っても。

皇后が若かりし頃は、女性が仕事につかず、学校を出たらすぐに結婚し、専業主婦になる事が

当たり前だった。むしろ、職業につくという事は褒められた事ではなかった。

ブルジョワジーの中で育った皇后もそうだったのだ。

けれど、もし、今、自分が若かったら国家公務員になったり、企業のキャリウーマンになったり。

そんな人生もあったかもしれないと思う。

皇后は、自分にも才能があると信じて生きて来た。

皇太子妃になったのも、「才能」を見出された部分が大きかったのではないかと思う事もある。

心のどこかに、この人生に挑戦してやろうという野心があったのだろう。

現実に結婚して以来、早々にヒロノミヤを産んでからは日本のファーストレディ、日本の女性の鏡、

ファッションリーダーとしての役割が大きかった。

一方で、理想の妻、母、嫁を完璧に演じる術も見につけた。

それらは全て自分の「才覚」によるものだと信じている。

そんな自分に比べたら、マサコなどは「へたれ」の部類である。

ちょっと注意すればすぐにふくれて出てこなくなるし、嘘はつくし、言葉の使い方を知らないし。

そんな嫁を正しく導くのも自分の役目であるし、そういう「才能」もあると信じてきた。

けれど、今になって思えば・・・・マサコの気持ちが中途半端にわかるだけに、なかなか物が言えなくなっている。

あのような言葉をテレビの画面の中で言われるなら、もっと海外に行かせるべきだったのではないかと。

そしたらもっと真剣に妊娠や出産に取り組んだかもしれない。

先日のオーストラリア・ニュージーランドへ行く時の、晴れやかな満面の笑顔を思い出すと

心の中がずきっと痛くなるのである。

あの時のマサコの表情はまるで子供のようだった。

飛行機に乗れるのが嬉しくて嬉しくて仕方がない。残していく子供の事など微塵も考えていない顔だった。

ここ数年、思い詰めたような、あるいは涙ぐんだ顔ばかり見て来たから、本当によかったと思ったのだが。

 

ドアがノックされて、女官が入ってきた。

「アキシノノミヤ妃殿下が参内されました」

皇后は立ち上がる。

入ってきたキコは鈍色のスーツを身に着けていた。 

天皇も立ち上がった。

「さあ、寒いだろう。こちらへ来て座りなさい」

キコは黙って椅子に座った。

「落ち着きましたか」

皇后が声をかけると、キコは伏し目がちに「はい。ありがとうございます」と小さく答えた。

皇太子夫妻が出国の日、キコの祖母であるイトコが亡くなったのだった。

95歳だった。

会津藩士、イケガミシロウの娘して、夫は内閣統計局長。子供達を学者にした女傑。

そしてキコの名前の元はこの祖母なのである。

キコがアヤノミヤと結婚する時にしたためた手紙

「謹みて御祝詞申し上げ参らせ候

おそれ多くもあなた様には礼宮殿下との御婚約御整わせられ御輿入れの御事

誠に御目出度く心より御祝詞申し上げ奉り候

御婚儀の暁には背の君にあたらせ給う礼宮殿下に御心も御身もお捧げ参らせ

温かに御仕え遊ばされ度く願い奉り候

かたじけなくも天皇、皇后両陛下御はじめ皇太后様、皇族方にも心優しくお仕え遊ばされ候よううち願い奉り候

申し上げ候もおそれ多い御事ながら内に慈悲の心を持ち風になびく如く

物柔らかの温かい御心を持たれ多くの御方々に御接し遊ばされ度くお願い申し上げ候

この様な御心お持ち遊ばされ候はば神の御声もおわしまし候御事と存じ奉り候

                            かしこ

「ひんがしのあかねの色に染められて 富士の白雪桃色に映ゆ」

これはキコの宝物だった。

この手紙に書かれたように「背の君に御心も御身も捧げ 温かに仕える」事を肝に銘じて入内したのだ。

キコの強情といえる気の強さと辛抱強さはこの祖母譲りだろうと思われる。

その祖母が亡くなったのだ。

アキシノノミヤ夫妻は急きょ、皇太子夫妻の見送りを中止、静かに喪の行事に入った。

本来なら参内してはいけないのだが、皇后がこっそりとキコを慰めようと思い立ち、非公式に呼んだのだ。

キコは多少やつれていた。目も涙でにじんだあとがあり、可哀想になる。

けれど、その瞳はどんな時にも一点の曇りもなく堂々と自分達を見つめる。

「カワシマのご両親も、悲しんでおいでだろう。大切にするように。よく慰めてあげて」

天皇はそっと声をかけるとキコは「恐れ入ります」と答えた。

「親というのはいつかは死ぬ存在だ。それはわかっていても、息子というのはね、母親だけは

死なないと思っているから」

先年、皇太后を亡くした天皇は遠い目をして言った。その瞳と父の瞳が重なってキコは

少し涙ぐんだようだった。

「あなたも疲れたでしょう。よく体を休めて下さい。マコちゃんやカコちゃんに変わりはありませんか」

「はい。私は丈夫なだけが取り柄ですし、マコもカコも幸いにして、まだ風邪をひいておりません」

「素晴らしいわ。そうはいっても、今年は寒いから」

会話が堂々巡りになりそうだった。

マコやカコの様子を聞くといっても、ついこの間も参内したばかりだった。

「両陛下には格別のお計らい、感謝申し上げます。カワシマの父も大層恐縮しておりました。

またお心を煩わせたこと、申し訳なく。皇太子殿下・妃殿下のお見送りも出来ず」

「いいのよ。いいのよ」

皇后はキコの口上を止めた。この子は・・・どんな時でも完璧だと思う。

決して感情を高ぶらせず、冷静に、どんな嫌な事があっても笑顔を忘れない。

その完璧さが時々、ちょっとうざったく思うのはなぜだろうか。

まるで自分に挑んでいるようで・・・・キコは皇后である自分のやり方を全て踏襲してくれている

完璧なコピーにすぎないのに。

いや、もしかしたら自分がこのように肩肘はった人生を送って来たとでもいうのだろうか。

まるで合わせ鏡のような自分とキコ。

だけど、マサコの気持ちの方が理解しやすいとも。

「そういえば両陛下も健康診断を受けられたとか」

「ああ、定例のね。やはり歳をとると色々あるね」

天皇は苦笑いをした。

その顔を見てキコはいぶかしげに皇后に視線を移した。

「何か・・・ございましたか」

こういう時のキコはめざとい。天皇はそんな嫁にまるっきり隠すそぶりもなく言った。

「実は健康診断で少し問題があったんだよ」

「何が・・あったのでございますか」

「うん・・よくわからないが、再検査の途中だよ。前立腺がどうとか」

キコは少し顔色を失う。

祖母が亡くなったばかりだというのに、またこのような患わせる事を。皇后は少し厳しい目で天皇を見た。

どうもこの方はキコの前では無防備になる。

「陛下。変にキコちゃんを心配させないでくださいな」

「ああ・・悪かったね。ついね」

「とにかく、気にせずに。私達も70近いのですよ。どこか悪い所が出来てもおかしくありません」

皇后は言葉を濁して笑った。

キコはただただ不安そうな目でこちらをみていた。

 

ちょうどそのころ、皇太子とマサコは久しぶりの海外旅行を楽しんでいた。

本来なら「公務」なので、楽しむ余裕はない筈なのだが、

皇太子夫妻のスケジュールはどこまでもゆるゆるで、観光が主な仕事のようだった。

ニュージーランドでマオリ族の歓迎を受け、非公式な総督主催の昼食会、献花など

そこそこ公務をこなす。

気候もよく、景色もきれいで、特にロード・オブ・ザリングの撮影所を訪れた時は胸がときめいた。

もっとも興奮したのは、夜にこっそりクイーンタウンカジノに繰り出した時だった。

ラスベガス程ではないにしても、カジノの雰囲気は一級品。

ただ見るだけではつまらないので、ついついいくらか賭けて負けた。

でも、一緒にいる皇太子は楽しそうだったし、カジノでVIP待遇で過ごす夜の格別さといったら。

まるで自分がアメリカのドラマの主役になった気分だった。

(やっぱり海外がいい。私に日本は小さすぎるんだわ。そして自由のない日本は大嫌い)

マサコはあらためてそう感じる。

 

オーストリアでは本物のコアラを抱っこして、その感触の柔らかさについ「ソーラフィ」とつぶやいた。

どこへ行っても笑顔のマサコに随行員もほっと一安心といった顔だ。

病院訪問時には、足が悪い男の子に「お子さんの写真を見せて」と言われて

気をよくしたマサコは、バッグの中ら、いつも持ち歩いているアイコの写真を取り出して見せた。

歩行器で歩く姿を見せて「LIKE YOU」と言ったが、他意はなかった。

その「LIKE YOU」にみな笑ったが、少年だけは笑うに笑えなかった。

マサコが何に対して「LIKE YOU」と言ったのか、同じサッカーのユニフォームを着ていて

同じように歩けない姿が同じと言ったのだろうか。

回りの無神経な笑い。

マサコのくったくのない笑顔。少年はそこで文句を言うわけにはいかなかったのだ。

 

そんなささやかな事件はあったものの、皇太子夫妻は無事に8日間の旅を終えたのだった。

 

その頃、皇居ではすでに大きな問題が起こっていた。
 

 


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