私は小さい頃から日本史が好きで。
高校時代は毎日「日本の歴史」を読み漁っていて。
本当は史学部へ行きたかったけど、家庭の事情で叶わず。
だから私には学位もなければ歴史学を語る資格などありません。
そんな私がいっぱしに学者様の言葉にたてつこうというのですからきっと歯牙にもけかれぬ・・・事ですね。
今回、女系派の田中卓著「愛子様が天皇ではいけませんか」(幻冬舎)
を引用するにあたって、こんな前置きをしたのは、
この本の半分程が、保守派の方々の「揚げ足取り」だからです
三笠宮?仁親王に始まって、竹田恒泰、西尾幹二、新田均、保坂正康・山折哲雄等々の論文の文節を
事細かにちくちく「・・・ではない」という言い方で反論する。
それが正直、目障りで仕方ないのですが、お偉い学者様の書かれる文章なので、
やっぱりそれは正しいのだろうと思います。
ゆえに、私のような無名の素人が何をかいわんやって感じでしょうが、素人だからこそ
語れる部分もあるし、素直な疑問点も見えてきます。
以下、簡略ながら引用させて頂きます。
第一章 「女系天皇で問題ありません」−国民の常識に呼びかける。
いきなりの見出しにドキリとするのですが、ここで一番彼が言いたい事は
皇祖神が天照大神である(女神)
天照大神が「自分の子孫に皇位を継がせる」と「天壌無窮の神勅」がある限り、天皇が
男であろうが女であろうが構わない。
という事なのです。
天照大神は、いうまでもなく皇室の御祖神であり、女神である。
また日本神話の中の圧巻は天照大神の弟のスサノオの尊が、ヨミの国に神去られた母神を
下って泣き続けられる叙述である。
生みの母を恋うのは神話に限らず、古今東西、人の子に共通の心情であろう。
一方、古来より男性が外で働き、女性が内を守って、夫婦相和するというのは神の摂理であって
心身ともにそのように生成されている。
国家にせよ、家庭にせよ、場合や事情によっては、男に変わってーあるいは男と並んで
女が表に立つ必要もあり、それがかえって望ましいことのある事も理解している。
もともと男女に、知能の優劣や尊卑の差別等があるわけではないからである。
冒頭からいきなりこれなんです。
一応、過激な「男女平等論者ではない」としながらも、書いている事はジェンダーフリーそのもの。
要するに「男系男子の皇位継承」は「男女平等」に反すると言いたい。
いや、もっと厳しい言い方をすると「皇位継承」と「男女平等」を同等に論じている。
私が最初に感じた違和感はここでした。
女帝・女系反対派が、盛んに「神武天皇以来の万世一系の伝統ー男系男子」と
強調し、それに共鳴して三笠宮?仁親王が同様な発言を繰り返されるのを見て、心中穏やかに
苦笑を禁じ得ない。
なぜなら、「神武天皇」は架空の人物だと言ったのは長老殿下だったから。
安易に「万世一系」が唱和され、それが国体賛美の合言葉として独り歩きすると、一種の
皇国美化史観になりかねないという危険性。
「万世一系」というのは、有数の歴代天皇の御徳望と、皇国護持に身命を捧げた
忠臣義士の誠忠の賜物であって、危機や辛苦なしに自然に導かれた国体の精華ではない。
最初に「天照大神は女神」と書いておきながら、「神武天皇」は架空の人物で、それ以来の
「万世一系」というのはおかしいと ちょっと意味がわからなかった部分です。
?仁親王らがいう「神武天皇」は実在の天皇というより、「始めから」の意ですよね。
なにせ今上は125代目なんだし。
「万世一系」とは自然発生ではないと言いたいらしいのですが。
「まして男系男子の高騰をつなぐために、一部の為政者が工夫をこらして皇統系譜の連続を
図ったというような政略ではない」とありますので、男でも女でも「万世一系」と言いたいのかな?
日本書紀神代巻「天孫降臨第一の書」
天照大神が皇孫のニニギの尊を高天原から豊葦原中つ国に天降らせた時の神勅
「皇孫に勅して曰く 、葦原の千五百秋の瑞穂の国は、是れ吾が子孫の王たるべき地なり。
宣しく爾皇孫就きて治せ。行ませ。宝祚の隆えまさんこと、当に天壌と興に窮り無かるべし」
これは天智天皇による有名な「不改の常典」と表裏一体をなす未来へのことあげだった。
日本国体の原理が、女神によることあげにある事を明確にしておきたい。日本国体の原理も
皇室の祖神も、天照大神という女神に基づいている事を忘れてはならない。
ここでも天照大神は女性神である・・・と強調しているのですが、関裕二氏によると、天照大御神は
元は男神だったのではないかと。
伊勢の斎宮や斎王が女性である事。「神の花嫁」の意があるから・・・という事で。
そう言われるとそうかもと思ってしまいます。
じゃあ、いつから女神に?当然持統天皇の時代から。
持統天皇の正当性の主張の為に天照大神は女性にされたとしたら?誰の手によって?
藤原不比等。という事は、当時すでに持統天皇という「女帝」に対する反発があったという事ですよね。
だって推古天皇や皇極天皇の時は、神話を使ってまで正当性を主張しなかったわけですから。
重要なのは、この「神話」を作り出したのが藤原不比等だったという事
古代における天皇家の最重要外戚の蘇我氏だってそんな事をしなかったのに。
歴史の改ざんというか、神話を操作してまで女帝を認めさせた不比等。日本人じゃないなと。
それは別として、この不比等の手に乗った田中氏は、利用されているのではないかと思う程です。
かつては皇統を永続する為に計9人もの側室をもつ制度があった。
これは古来の風習の一面と、シナの令制に倣うものだが、これだけの用意があっても、
その結果は、歴史上の実例として、皇統の男子の役半数が皇后の嫡出意外の「皇庶子孫」である。
(明治天皇の生母は中山慶子、大正天皇生母は柳原愛子)
側室制度を廃止したのは昭和天皇。この時に旧典範の「女帝」も含めた改正をして
おかなければならなかったのに、そのままに残され、その上に、新・旧典範でが皇族以外の「養子」も
認められない規定の為、今や現実に、男子の皇胤が途絶えようとしているのである。
この明白な現実を無視して、どこまでも「必ず男系男子」をと主張するのは、決して歴史の
「伝統」でも「正統」でもなく、約五割の役割を果たした側室制に目をつぶった、守旧で観念的な、
無理を承知の横車に近いだろう。
近代において、側室を持たなかった天皇の最初は大正天皇です。これを忘れてはいけません。
小説にも書きましたが、貞明皇后は天皇の身の回りの事まで行う事によって、側室を持たせまいとし
その責任を果たして、4人もの男子を産んだのです。
一方、昭憲皇太后は元々体が弱く、お子の誕生はそれほど望まれていたわけではなかったようです。
つまり「皇后」の役割は「子を産む」事だけにあったわけではないのです。
昭和天皇には3人の弟君がいたので、自分が側室を持たずともそれほどの危機感はなかったと
思います。その代わり、きっちり2年ごとにお子様を産むという努力をされました。
何かを変える時には必ず「責任」が発生します。
「皇統」をつなげる為に側室を置きたくなければ自分で産むしかない・・・・という状況ですね。
昭和天皇は女官制度を住み込みから通いにし、未亡人などを雇う政策を実施しましたが、それが
すなわち「側室制度廃止」という大仰な意志があったかどうかは不明です。
貞明皇后はご自分の女官制度は変えなかったので
「一夫多妻はシナの真似」というのは女系派がよく言うセリフです。
「シナの令制をなぜ日本が真似て伝統にするのか」というのが主な意見ですが
この一夫多妻が定着した頃、「日本」「シナ」などという観念があったかどうか不明ではないかと。
そんな事を言い出すと、天皇家自体、元々大和に住んでいた人達ではないから日本はシナのものと
言い出せてしまうのでは?
一夫多妻は、古代において子孫を残す為の最善の策であった事は確かです。
そして「男系男子」であれば、母が誰でも構わないのです。
父方の血筋を辿って全てが「天皇」に行きつけばいいのですから。
ある意味、大らかな慣習ではなかったかと。
確かに、現在の日本では側室制度は受け入れられません。でも、必ずしも「皇孫」を
皇太子妃が産まなくてはならないという決まりはないのです。
雅子妃問題の根幹は「自分で産まない(産めない)なら産める人に託すべきだったのに
それすら否定し、自己中心な家族制度に固執した事」にあるのです。
すなわち、雅子妃が子供を産まないからといって、産児制限された秋篠宮家の事を言っているのです。
不妊治療している人が、子供を産みたい女性に対して「私が産めないのにあんたが産むわけ?
信じられない。遠慮すべきじゃないの」とは言わないでしょ?
よく「年賀状に子供の写真を使われると傷つく私」という投稿がありますが、それだって
気持ちはわかるけど、だからといって「私の為に子供の写真を使うな」という権利はない筈です。
もし、今後も「男系男子」に固執すれば、やがて皇后となられる皇太子妃は、どれほど
優れたお方でも、その家系永続のためには、お子様が女子ではだめ、必ず男子を生まないと
失格となるわけだから、男女にかかわらず、全くお子様が生まれなければ皇室典範に定められた
継承順位に従い、次のお方に譲られるのは当然だが、そのような、人格と生理とを無視した
非情ともいうべきリスクの大きいポストに、進んで自ら就任される覚悟のお妃選びは、
おそらく指南となり、昔のように、親の権威で娘に結婚を強いる事も許されない現今、
むしろこの点から「皇統断絶」の危機が生ずるであろう。
正直、それで皇統が断絶するならそれは天命ではないかとすら思います。
「世継ぎ」プレッシャーはあるだろうけど、それに挑みもしないでひたすら「子供産むマシーンじゃない」
と言い続けたりするのは間違っているのではないかと。
必ずしも皇太子妃が産まなくてはならないわけではなかった。
もし、秋篠宮家に産児制限をかけなかったら、もしかしたらあと数人お子様が生まれて
悠仁親王は長男じゃなかったかもしれなかった。
皇太子妃だからといって「皇統」を断絶させてもいいわけではないのです。
現在、悠仁親王という皇室典範に決められた皇位継承者がいるにも関わらず、
それを奪って「皇太子の長女」が皇位を継ぐというのは理にかなっていません。
愛子内親王が天皇になる道があるとすれば、それは悠仁親王に子供が出来なかった
場合のみでしょう。