男系男子がなぜ日本の誇りなのか。
男系男子固執論者も、それで歴代天皇が継承されてきたという「事実」こそが
伝統であり、「誇り」だというだけで、それ以上の論拠を明確に示した人を(田中氏は)知らない。
それは「男系男子一統で続いた事」こそが誇りで、世界に例をみない事だからです。
基本、どこの王室だって皇室だって一統の血筋を守りたい筈。
男系男子で繋ぎたかった筈です 仮にそれが女系なら、エジプトのように
娘の婿が継ぐなら継ぐで、それが何千年も続いて欲しいと願うもの。
なぜなら、それが青き血の誇りだからです。
21世紀になって、どこの王室もこれからどうやって生き延びたらいいだろうと考えて
いる筈。
イギリスの答えは「庶民(ユダヤ系)の血」を大幅に入れる事で国民から親しみを
得ようとしました。また財政的にかなり批判されて今後は尚一層の「倹約」を求められます。
ハプスブルクだって本当はマリア・テレジアで血筋を「女系」にはしたくなかったでしょう。
そういう意味では「男系男子」で繋がっている日本の皇室は「もっとも高貴な血筋」と
いう事。それ以外にどんな誇りがあるでしょう。
男系男子説は、もともとシナの古代家族制で、その風習を日本側で上代から享受し、
それが長く続いたという事にすぎない。
当時のシナと今のシナでは民族性も国民性も「国」という定義も違っています。
当時の「シナ」なるものの家族制を受け入れたから、それが「他国のパクリ」とか
「おしつけ」とでも言うのでしょうか?
発祥はそうかもしれませんが、日本では「男女同姓」という独自の風習を作り出しました。
朝鮮や中国のように「妃〇〇氏」なんて呼ばれないでしょう?
古代日本では女性上位の時代もあり(卑弥呼など)女性首長が存在していた。
また「ヒコ・ヒメ制」など共同統治が行われていて、子供は父と母の間に生まれるという意識が強く
男女の優劣をシナのように強調しない。
「夫婦」を「めおと」と呼ぶのは「女・男」の事であり、父母を「母父」(おもちち)と詠ませた例が
万葉集に見せる。「女・母」を「男・父」よりも上位において呼んだ事例である。
日本では、明治以前に「直系」は記載されたが「男系」「女系」などの用語自体、
ほとんど管見に入らない。
しかしもし同様な「系」という用言を用いるとするならば「メオト系」とでも名付けたい。
ジェンダーフリー論者にはこんなに嬉しい話はないでしょうね。
「女性の方が上だぞ」と言ってくれているのですから。
この議論って、小学校のクラスで「男子の名前を先に言うのは男女平等に反する」とか
「男の子に君、女の子にさんをつけるのはおかしい」とかそういうレベルの話では?
古代日本では・・・というけど、邪馬台国が「日本」だったと言えるんでしょうか?
世界共通「子供は父と母の間に生まれる」意識では?
日本の皇室は昔から女性に優しい。というか、武士階級に比べたらずっと平等意識が
強いと思いますね。
約2000年の昔、神武天皇によって建国されて以来、一系の皇室によって統治され
他系の権力者や外国の侵略者によって帝位を略奪されたことが一例もないという、
世界にも類をみない歴史の事実。
そのような一統の君主による2000年の歴史が生まれた根本の要因は、
統治者である歴代天皇の御聖徳はもとより、忠臣・義士の献身的貢献、
国民の父祖伝来の尊皇心など、君臣一体の働きによる。
それこそが日本国民の精華なのであった。
何が言いたいかわかりません。
国民の働きによって、21世紀の皇室を正常な形に戻したいと・・切に願っています。
昭和天皇の英断によって廃止された側室制
明治時代までは、皇室における側室制は別に異常ではなかった。
むしろ明治の「皇室典範」には「皇庶孫」が公認されていた。そのような世情の中で
「皇室典範」の第一条「大日本国皇位は祖宗の皇統にして男系の男子之を継承す」が
定められたのであった。
しかし昭和天皇は「女官制改革」を行い
・女官の通勤制
を導入。これによって従来の「お局制」が廃止された。
しかし、皇太子(今上)誕生で「皇室典範」改正案は沙汰やみに。
本当はこの当時に「側室制の廃止」と「男系世襲というシナ伝来の監修」との矛盾を解決して
おくべきであったのに、「待望の男子御生誕」という大慶祝の蔭に消え去った事は惜しまれる。
現在も同様な失敗を繰り返してはならない。
昭和天皇が「女官制の改革」を行った時、果たして21世紀に、それが「英断」と
持ち上げられて皇統の危機を招く事になるとは思わなかったのではないかと。
単に、イギリスから帰って来て自分の後宮を見てみたら、女官はみな住み込みだった・・
可哀想だから通いにして、年齢も若いのではなくある程度の年齢の者にしたいと
思っただけで、側室制の根本的な廃止ではなかったと思います。
大正天皇が側室を持たず、4人の男子に恵まれ、昭和天皇の弟が3人という状況で
あった為「自分に男子が生まれなくても弟に生まれる可能性がある」という事だったろうと
推察します。
現皇太子のように、弟に産児制限をかけたり、紀子妃の懐妊に「激怒した」などと
報道される事はなかったと。
昭和天皇は側室を持たなかった代わり、出来る限りの事はしました。それが2年ごとの
ご出産でしょう。「私は子産みマシーンじゃない」と香淳皇后はおっしゃらなかった。
長女の照宮を東久邇宮妃にして、昭和天皇・香淳皇后両方の血筋を保ちながら
「男系男子」を維持されたのです。
旧皇室典範があったとはいえ、国民の誰もが「天皇陛下に男子が授からないなら
長子の照宮が女帝になるべきだ」などとは言わなかった。
「もし陛下に男子が授からなければ秩父宮に。それが叶わなければ高松宮に、
それでなければ三笠宮に」となっていた筈で、現代の田中氏の意識こそが
皇室の中では「異常」なのです。
皇太子に男子が授からなければ秋篠宮に、秋篠宮家に悠仁親王が出来たなら
そちらに皇統が移るのは当然。悠仁親王に男子が授からなかった場合のみ、
(今から20年後くらい?)考えるべきです。
日本の歴史を顧みれば行為が「兄弟相及ぶ」時に、皇統が「分裂」し、乱がおきる場合が多い。
周知の例で申せば「壬申の乱」や「南北朝の対立」である。
この事は「直系継承」の重要さを示しており、現下の皇太子殿下以降の皇位継承を考える
場合でも、参考とすべき大原則ではないだろうか。
兄弟相続は多々あり、壬申の乱などはそのわずか一部にすぎません。
皇室が大昔から、兄弟、父子、伯父甥、祖父孫の間で皇位争いを繰り返して
いた事は事実です。
兄弟に限った事ではありません。
再び「不改の常典」を引き合いに出す。
「神勅」→ 天照大神が「吾が子孫の王たるべき地」と仰せられているのであって
「子孫」というのは、男子でも女子でも、双方が含められている表現であり、「男系」固執とは、
まったく関係のない言葉だ。
むしろ天照大神が「女神」であることを覚え場皇統の始まりが「女系」であったと申しても
よいのである。天照大神から始まる以上「女系」だ。
天照大神は男神から生まれたんじゃなかったですか?
天照大神は天皇ではありません。
皇統の始まりはあくまで「神武天皇」ですが、田中氏は本の冒頭でそれらは全部
神話の世界で実在しないと書いているではありませんか?
神武天皇らが神話の話で嘘なら、天照大神も嘘なんじゃありませんか?
こじつけのような言い訳にまともに返すのも馬鹿みたいな感じですが、あえて
田中氏風に言えば「吾が子孫」とは確かに男系女系と書いてはいない。
しかし、それは敢えてそう書かなくても「男系」というのが不文律だったからだ・・・と
いう事です。
そもそも、「古事記」「日本書紀」が成立した時代は、女帝が続いた時代です。
「女帝」擁立の言い訳が必要だったとも言えます。
もし「日本書紀」の神代巻が書かれた時代ー6・7世紀でもいいーが「男系一辺倒」の世の中で
あるあらば、皇室の初めの大神をー作り話としてもー必ずや「男神」と表現したに違いない。
その方が「男系」の時代の始祖説話として、自然であり、合理的であるから。
それをなぜ、ことさらに「女神」と書き、その御にスサノヲの尊との御子の男女交換説
まで造作したのか、男系論者には説明が難しいだろう。
スサノオの尊が文中で天照大神に対して「我が心清く明きがゆえに、我が産める子は
手弱女を得つ。これによりて言えば、おのづから我勝ちぬ」と勝利宣言されている。
つまり女子を生んだので清明心が証明されたというのである。(BY古事記)
これは、シナの影響で日本では「男系」が優位であったけれども、古来の伝承として、
もともとは「女系」の名残があったため、皇祖神天照大神の女体説を否定しえなかったと思う。
これは説明が必要ですね。
タイトル → 「姉と弟の誓約」
イザナギ;可愛いスサノオよ。そなたは海を治めるがよい。
スサノオ;やだーー母上ーー母上ーー私は母上がいる根の国に行きたいっ!
(スサノオ、大暴れする)
イザナギ;やめないか!お前のようなだだっこは追放だ!
(スサノオ、しょんぼり・・・ピンスポット)
スサノオ;誰も私の気持ちをわかってくれない。そうだ。姉上だったら。姉上は母上そっくり
だからきっと私を慰めてくれるに違いない。
(スサノオ、高天原に上るが勢いづいてしまい、風が吹き建物は壊れ、女達は大騒ぎ)
アマテラス;もしや弟が私の天を奪いに来たのか。
みな、弓を構えよ。
(兵士たちがスサノオに弓を向ける。驚くスサノオ)
スサノオ;ちょっと待って。私は戦いに来たわけではありません。これから根の国へ
行くからお別れにと思って。なのに姉上ったらひどい。
アマテラス;そなたはツクヨミと違って乱暴だし感情過多だし、まるっきり理解できないんですもの。
どこまでが本当の事やら。
スサノオ;なら潔白を証明してみせましょう。
アテラス;どうやって。
スサノオ;私と姉上、それぞれの持ち物を交換し、そこから生まれる子が女だったら私が
潔白である証拠。
アマテラス;・・・いいわ。
(アマテラス、スサノオの剣を持ち振り回すと、そこから女神(宗像三女神)が生まれる。
スサノオ、アマテラスの勾玉を投げつけると、そこから5柱の男神が生まれる)
アマテラス;私の勝ちね。
スサノオ;なぜです?姉上が振ったのは他ならぬ私の剣。ゆえにその娘達は私の娘。
だから私の勝ちです。私の心が清らかだからこそ、娘が生まれたのです。
アマテラス;よくいうわ・・まあいい。それなら男神達は私の息子ですね。
その理屈によってそなたを許しましょう。
スサノオ;ありがとう。姉上。
アマテラス;私は結局、この弟に甘いのよ・・・・
というのが古事記。
じゃあ、日本書紀は? 日本書紀では男子を生んだスサノオの勝ちになっているそうです。
私はスサノオの言い分は屁理屈だよなーーと思うだけですが。
どちらにせよ、この「勝負」はスサノオが勝たねばならなかったと解釈するのが自然では?
シナの「男性優位」が云々という話はこじつけっぽいです。
そういえば、宝塚の作品「スサノオ」では、アマテラスとスサノオは「男と女、どちらが偉いか」
と勝負するシーンがあります。
あの時、結局結論はわからずじまいだったような?
アマテラスばかり強調する田中氏ですが、私は大地の神、豊穣の神であるスサノオと
いう男神を無視できないと思います。その後、降り立つ神はみな男だった・・・
それはいいとして。
そんな神話の時代までさかのぼって「男女平等」を説く必要性があるのでしょうか?
「心が清いから女神を得た」というのは、「女性=柔らかさ、清らかさの象徴」である
という事にすぎないのではないかと。