一夜あけても悔しさはおさまらないですね。私は都民じゃないけど。
こんなにも惑わされるものかという「日本人」のアキレス腱を見た気がします。
舛添さんが都知事になって変わる事?
変わるというより既定路線で東京オリンピックのスポンサーはサムスンとヒュンダイでしょう。
生活保護も今よりより受けやすくなるのでは。
都知事選のおかげか、内閣府の職員変死の件は全く報道されませんね。
都知事選も、舛添&細川の動向は語られるものの、田母神さんは無視ですか?
実は世の中、左傾化している事に気づかず右傾化していると思っている人がかなり
多いんです。
右と左の違いがわからない人も多いんじゃないかな。
池上さんによると、フランス革命時の席の並び方において
ジロンド派→右、ジャコバン派→左・・・だからそれ以降、保守的な方が右で
革新派が左。
でも今の日本ではどうかしら?
右 → 国を愛し、皇室を敬い、日本人の美徳を大切にした国作りを目指している。
もし他国に侵略されたら国を守らなくてはならない。
戦前を肯定する。
左 → 日本の歴史を全否定し、個人の価値観による自由な国作りを目指す。
侵略戦争で日本が悪い事をしたのだから中韓には謝り続け、もし国を
よこせと言われたら渡すべきだと考える。
左の人達は戦後、ひたすら「解放」と言い続けて来ました。
「伝統からの解放」「男女の役割からの解放」「長幼の序からの解放」
その結果、「競争による優劣は不公平」「結婚した男女が同姓なのは不公平」
「女性が子供を産むのは不公平」「男子から名前を呼ぶのは不公平」
「兄弟で差をつけるのは不公平」
ゆえに民法では親の介護の有無や家への貢献度を全く考慮せず財産は
平等に分ける・・・となるし、晩婚化を奨励し、何事も「受ける側が被害者だと言ったらそうだ」
という価値観を受け付ける。
「外国人を差別してはならない」として在日に限っては他の外国人より優遇されている事は
無視・・・自分の都合のいい論理を繰り広げます。
東宮夫妻がいい例ではありませんか。
雅子妃は「好きでもないのに仕事を捨てて結婚させられた」とマスコミにいい、
「被害者」となる事で同情を買いました。
愛子内親王出産後は「男子出産を強要された」と言い出し、「被害者は私」と
訴え続け、それが国民に浸透してしまいました。
何ゆえにそこまで自分を「被害者」に仕立て上げるのか。
その方が同情を買うし、色々物事を運びやすいんですよね。
日本人の価値観として「自己責任」というのがありますが、左巻きの人にはそれが
通用せず、ひたすら「受けた側の気持ち」になれと。
そのいい例が・・・・・
「S−最後の警官」かなあ (話が飛びすぎるけど)
板橋さんという善良な精神科医はガンの告知を受けてから自殺サイトに出入り。
そこで沢山の自殺志願者の相手をしている間に「神父様」と呼ばれるようになった。
その頃、Mという男に大量の弾丸を渡され、これがお守りになるか後押しになるかは
受け取った人次第という事に。
板橋が弾丸を送った11人は自殺を多いとどまり、5人は自殺した。
さあ、悪いのは誰。
無論、弾丸を送りつけた板橋が悪いのはわかる
でも、受け取った側が5人自殺した事までの責任を問う事が出来るんでしょうか?
蘇我は「11人を救った事が問題じゃない。5人を自殺に追い込んだ事がもんだいだ」と
言いますが、果たしてそうなんでしょうか?
弾丸を受け取った時「これで死ぬぞ」と思うのは、その本人でしょう。
「受ける側の気持ち」にまで延々と配慮し続けなくてはならない左巻。
「明日、ママがいない」もそうですが、送り手の気持ちをまるっきり無視、あるいは
歪曲してとって「私が被害者」といえば何でも通る世の中。
それが左巻きの今です。
蘇我はそんな板橋を「許さない」といい、一悟は「救えなかった」というんですが
私から見たらどちらのセリフもおかしい。
蘇我のセリフは前述したとおりですが、姉の死と板橋の行動をいっしょくたに見る事は
出来ないでしょう。
一悟は何もかも上から目線というか、偉そうに見えるんですよね。
たかだか20ー30代の警官なり立てみたいな人に、板橋のような人を救えるはずがない。
中途半端に人工呼吸して生き返らせたはいいけど、意識が戻る事はないと宣言。
それでも「ベッドの上で死ねます」と有難がる親達。これが日本人ですよ。
だけど、冷静に考えたらその後の医療費はバカ高いんじゃないか?とか、
警察病院なのかしら?じゃあ、必要最低限の治療しかしない?
とにかく「S−最後の警官」はとても日本のドラマとは思えません。
蘇我の姉が1度目がレイプで、二度目がめった刺しなんて・・・想像つかないもん。
演出でしたっけ?韓哲氏は「従軍慰安婦の強制連行はあった」と思ってるんだろうなと
嫌な気持ちになります。