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ヴェルムランド公爵殿下の結婚式

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スウェーデンのカール・フィリップ王子。ヴェルムランド公爵殿下がご結婚されました。

お相手はソフィア妃。

カール・フィリップ王子は生まれた時は王位継承権第一位だったのですが

その後「男女に関わらず長子相続」になった為、姉のヴィクトリア王太女に譲り。

現在は、ヴィクトリア王女の娘、エステル王女の次ですね。

 

王族方はみな明るい色で軽い生地のドレス。

スウェーデン国王夫妻。

王妃様のティアラが素敵。

妹、マデレーン王女。ご懐妊中。貫禄が・・・・こちらのティアラも素敵。

 

デンマーク。マレグレーテ女王とフレデリク王太子。

真っ赤なドレスが華やか。母と息子のコンビも素敵ですよね。

デンマーク。メアリ王太子日とベルギーのマティルド妃。こっちは色が被ってても

全然気にならない。むしろ「仲がいいのね」って感じです。

皇后陛下と皇太子が腕組んでいたら雅子妃がどんなに怒るかと思うと・・・・・日本では

ありえないかも。

ノリウェー。ソニア王妃。オランダ。マティルド王妃。

ソニア王妃の黄色のドレス。広がったらさぞや綺麗でしょうね。

お二人ともドレスに合わせたティアラをつけて。

高円宮妃。ターコイズブルーのドレス。

どこかで見たような・・・・・宝塚でよくある衣装かなあ。

それにしてもすごい。いやいや本当にすごい。

このティアラも見た事があるような。

秩父宮妃のティアラみたいです。三笠宮家に貸し出される事があったようで。

それを今は高円宮妃が使っていると。

とにかく久子妃はティアラを複数持っている事はわかりました。

ヨーロッパの王族はみな王や王妃などがご出席。

どうして日本は高円宮妃だったのか不思議。秋篠宮両殿下ではだめだったの?


講演会 In 京都について

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サトさま、

コメント欄にアドレスを記載して頂けますか?

こちらからメールを差し上げますので。

 

FUKAさま

以前参加希望を頂きましたがアドレスの記載がなく

御返事出来ておりません。

いかがでしょうか? 

 

申し込んだけど返事がこないよーーという方はいらっしゃいますか?

お心当たりの方はコメント欄に入れてください。(アドレスを含めて)

こちらからメールを差し上げます。

 

時間変更等のメールを差し上げました。来てないという方は

お知らせください。

 

 いよいよあと3週間。

これから予定がわかって「言ってみようかな」と思われる方はぜひ。

タイトル 「11宮家ってなあに?」

時・・・7月5日(日)

時間・・・お昼から夕方5時まで

場所・・・京都市内某所

  

 申し込みの仕方

 

 コメント欄に参加申し込みをする。

自分のアドレスを忘れず記載して下さい。

無料メールはスパム認知されるようなので、できれば個人アドレスを。

それもふぶきのアドレスをスパム認知するように設定している場合が

ありますので、ご注意ください。

  

出来るだけ沢山の方が集まって下さると嬉しいです。

今後、人数によっては会場の変更もあるかもしれません。

お友達を誘って、気軽にいらして下さいね。

「お昼には間に合わないけど大丈夫?」 → OKです

「皇室の事に関心がない人を連れて行っていい?」 → OKです

「自己紹介しないといけないの?」 → 講演会なので自己紹介はなしです。

                         短い質疑応答の時間は設けますが。

 

今回は関西地方は京都で開催しますが、これで人が集まって下されば

次回は大阪とか神戸とか、名古屋とか・・・そういう所でも随時開催したいと思います。

ぶっちゃけていうと、今回の京都は、今後、関西や東海等で講演会が

続けられるかどうかの試金石になると思います。

なのである程度の人が集まって下さらないと今後は難しいかも・・・と思ってます。

この講演会の目的は

「今の皇室を語る為には歴史を知り、理論武装していこう」というものです。

皇室に関心がない人、あるいは「お可哀想」派にどうやって切り返したらいいのか

何を話したらいいのか。

どうして東宮家は異常なのか、何で愛子女帝が誕生してはいけないのか・・・という事を

よりわかりやすく説明できるようにする・・・その事で少しでも多くの人に

関心を持ってもらい、最終的には「皇室のあるべき姿」に戻って頂くという事です。

京都は11宮家発祥の地です。

「今はない11宮家を知る事が今の東宮問題とどうかかわるのか」と疑問に思う方もいるでしょう。

現在、保守派は「皇籍離脱した皇族を復帰させる」案を出しています。

男系派にとってはそれがとても自然な流れなのです。

しかしながら、色々調べてみると「復帰」というのはそう簡単な話しではないんですね。

どこにどう復帰させるか、立場をきちんとしないと意味がないのです。

そこで、かつて天皇家が皇位継承者が減少した、あるいは断絶しかかった時

どのように切り抜けたか、「宮家」というものはそもそもどういうものなのか。

なぜ昭和22年に離脱させられたのか。

それを知る事はとても重要です。

今まで、ブログの中でもそういう事は語って来たつもりです。

それを、よりみなさんの頭の中にインプットして頂こうというものです。

その上で東宮家を語るのと知らないで語るのでは全然違う・・・・というのは

前回、東京の講演会に出席された方々はすでに経験済みです。

なのできっとお役に立つと思うので、ぜひぜひご参加くださいね。

 

 

 

 

今頃「子供の日にちなんで」公務

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 なにをかいわんや

ますます北朝鮮化する皇室なのでありました。

 

 6月16日。皇太子夫妻は新宿区の子育て支援施設「ゆったりーの」を訪れた。

 皇太子夫妻は本の読み聞かせを視察

 皇太子 「この場所にはよく来られますか」

   皇太子妃 「お弁当作りや送り迎え、大変ですね」

 皇太子 「愛子が小さい頃、私も読み聞かせをしました」

         「初めての子育ては大変ですね。私も愛子のことを思い出します」

    皇太子妃 「可愛いですね」

          「どんなお遊びが好きなんですか」

          「お子さんとの触れ合いが楽しかった」

 どっちが母親かわからないセリフを・・・・・

   とにかく遅れても何しても無事に「こどもの日」公務ができてよかった・・・・

   とゆくはずがっ!(ルキーニ風) それがそうはいかなかった

  NPO法人 「ゆったりーの」HP

 そう 「ゆったりーの」はこの日。休館だったのだっ

 「本日、なんと!

皇太子殿下、皇太子妃殿下の、子どもの日に因むご視察(行啓)においでになりました。

できるだけ、いつもの様子をご覧になっていただきたかったのですが、

大勢の人が駆けつける事態になるといけないので、準備は内密に進め、

本日は一般の利用はお休みとしました。

本日利用できなかった皆さん、ご迷惑をおかけしまた。

ご視察は終始、子ども達の様子に笑顔の皇太子殿下・妃殿下でした。

あわせて、新宿区長、東京都福祉保健局次長、厚生労働事務次官の方々にも

ご視察いただきました。

今日明日あたりは、TVのニュースでも出るかな??(FACEBOOK)

 一般でないならこれらの親子はどこから出て・・いや、光栄にも選ばれし

  親子たちだったのだ

  その証拠にほら、一人ひとり名札をつけて、誰一人取り乱す者がいない。

  そうやってみると、子供達のわずかな表情にも「演技」がかいまみえ・・・・・・・・・・・

 っていうか、事前に知らせていなければ大勢がおしかけるなんて事はないと断言します。

  (今時皇太子夫妻に会いたいと思う親子がいると思う?これが秋篠宮夫妻ならわかるけど)

  皇族方が来て大騒ぎになった・・・なんて施設は聞いた事ありません。

  そこまで警戒するなら来なきゃいいのにと施設の人は思っているに違いありません。

 しかも 6月16日。

  それは香淳皇后の御命日。例祭の日なのであります。

みよっ!この勝ち誇った顔を。

動画でもよくよく見て頂きたいのですが・・・・

私、ネットでいくら雅子妃が山岸涼子の漫画に例えられても「いくらなんでもそれは言い過ぎでは」

と思ってましたよ。本当に。

だけど、この「目」特に動画で見て驚きました。

山岸涼子が描いた「負の暗示」の主人公・春雄そっくりなんです。嘘だと思ったら読んでみて。

これは有名な津山事件を扱った漫画ですけどね。

春雄がついにキレた瞬間の眼にそっくりで・・・・・・・・怖すぎる。

 

 

 

映像ではやっぱりほとんど読み聞かせを聞いていなくて、ひたすらカメラをちらちらと

気にしている様子がわかります。

 

今回の「ご公務」の要点

 施設を「休館」にさせた

 会う人を選別した

  香淳皇后の命日を無視      ↓

 完全なる 「やらせ」(新宿区長、東京都福祉保健局次長、厚生労働事務次官も協力) 

国・都・区を巻き込んで「やらせ」を堂々と報道して「子供の日にちなんだ公務を受け継がれた

皇太子ご夫妻」というんだから、もう救いようがありません。

あわれな国民は騙されてしまうか、「そりゃ違うでしょ」と思いつつも何もできず

歯噛みするばかり。

勝てば官軍負ければ賊軍。

「嘘」を「本当」だと言い募る皇室になったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

雨なので

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 腱鞘炎で

エクセルを使ってると手が変になります。

使いこなせてないからですよねーー

でも講演会も近いし、以前よりいい資料を作ろうと頑張ってます。

応援してね。

 

 選挙出来る年齢が18になったって?

じゃあ、いっそ成人式も酒解禁も18にしようよーー

選挙権が与えられるという事は「大人」の証拠なんだから。

なのに成人式だけ20歳なんて面倒。

 

 集団的自衛権について野党のうるささが嫌。

堂々と「憲法違反」って言っちゃう所がいや。

「戦争の足音が聞こえてくる」って街頭インタビューで答えている

おばちゃんの無知さがいや。

「祖国防衛は権利です」

自民党はこれをキャッチフレーズにするべきですね。いいかも ね?

 

 宝塚で「るろうに剣心」をやるって。しかも早霧せいなで。

ルパンからるろうに・・・・・すっかり味をしめたわねという感じ。

何でチギになったら日本物ばっかりなのか

いや、それよりも安易すぎるしイメージじゃない。

チギでアニメやるなら・・・・・・「テニスの王子様」これしかないっ

 

 NHK大河で歴史を歪曲したってさ。

「日米戦争」を「日仏戦争」って言ったって まるで韓国ドラマーーー

春ドラ感想

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 >スナッチャーさまへ

「るろうに剣心」は涼風さんが声を担当したアニメです。

我が家の姫が涼風さんの声にすっかりまいってしまって、今、見まくってます。

江戸末期から明治の話かな?

ただ、イメージがねえ・・ルパンはチギのカラーにあっててたけど剣心は。

それにだいもんがやる役は何?とか考えてしまいますよね。

 

>さるこさま

ありがとうございます。そうそう!この絵。この目!そっくりでしょう?

真っ先にこれが思い浮かびました。

春ドラも続々終わりをつげ。気が付けばもうすぐ7月といところに来ました。

今季の印象は、ひたすら「ぼやーー」っとした感じ。

インパクトがあるドラマがほとんどなくて。

だらだら見ればそれなり。だけどイマイチ集中できないのが多かった。

韓ドラや中国ドラマはストーリーが単純でワンパターンです。でもその分

盛り上げ方が上手です。なぜ日本はそれが出来ないんだろうなと思います。

春ドラで一番出来がよかったのが

「ようこそ我が家へ」

さすがに原作がいいんでしょう。相葉君の平凡な感じがよかったけど

一番はやっぱり寺尾聰かなあ 

どこにでもいそうなサラリーマン。しかも窓際の。この人が底力を発揮する所が

すごい。

沢尻エリカも絵になる美しさできりっとひきしめていたし。

あれ?結果的に印象があるのはわき役ばかり

ただラストがかなり安易な作りでしたよねーーそこに猿之助が出てくる?

え?何で?みたいな。

ラストのラストシーンも、ムードを作るだけ?それとも他に何か?って。

 

次が「アイムホーム」

西田敏行がいい人になったり悪い人になったり、ちょこっとわけわかめでしたけど。

沢村一樹って・・・あれだけに出て来たの?

まあ、とにもかくにもハッピーエンドでよかった系?

検察庁に行く時は「もしかしてこれってHERO?」って思ったけどね。

さすがはキムタクです。

 

「アルジャーノンに花束を」

すっきりしない終わり方だったと思います。もうちょっと・・何かやりようがなかったかと。

 

「DR倫太郎」

あんなに精神的な問題ばかり抱えた医者がいる病院には行きたくないと本気で

思いました。

13%視聴率取って有終の美というけど、本当にそう?

堺雅人って本当にラブシーンが似合わない人だなあ。

 

「ヤメゴク」

これって親子の確執物語だったんだーーと最後の最後にわかりました。

千葉雄大君はどこへ?

こんなに簡単に足抜け出来るんだったら苦労しないよねえ・・と。

 

今、ハマっているのが「ちゃんぽん食べたか」

さだまさしの自伝的ストーリーだけど、本当にツボにはまるというか。

みんなみてね。

 

皇室ウイークリー

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ご日程

両陛下

6月10日・・・両陛下 → 第45回戦没・殉職船員追悼式)供花

6月10-14日・・・両陛下 → 葉山御用邸滞在

6月15日・・・皇后陛下 → -創 はじめる-篠田桃紅作品展鑑賞

6月16日・・・両陛下 → 香淳皇后例祭の儀

                 勤労奉仕団に会釈

       天皇陛下 → 通常業務

 

皇太子同妃両殿下

6月12日・・・両殿下 → 皇宮警察本部長表彰の永年勤続功労者に会う

6月15日・・・皇太子殿下 → 海外青年協力隊に会う

6月16日・・・皇太子殿下 → 香淳皇后例祭の儀

                   子育て支援施設「ゆったりーの」訪問

6月17日・・・皇太子殿下 → クロアチア首相と会う

6月18日・・・皇太子殿下 → 離任大使に会う

                    勤労奉仕団に会釈

 

秋篠宮家

6月11日ー12日・・・秋篠宮殿下 → 岡山県訪問

・ 学校法人加計学園御津国際交流会館作品展鑑賞

・ 学校法人加計学園概要聴取・研究活動視察

・ 愛瓢会会員と懇談。企画展鑑賞

・ 40周年記念式典出席

・ 岡山シティミュージアム視察

・ 特定非営利活動法人たけのこ村視察

・ 帝人ナカシマメディカル株式会社R&Dセンター視察

6月12日・・・秋篠宮殿下 → 山階鳥類研究所役員,評議員との集い」出席

6月15日・・・秋篠宮殿下 → 三の丸尚蔵館「鳥の楽園-多彩,多様な美の表現」鑑賞

        両殿下 → 外務省儀典総括官から進講を受ける

6月16日・・・両殿下 → 香淳皇后例祭の儀(武蔵野陵)

                 離任大使に会う

6月17日・・・両殿下 → 福島県訪問

・ 国立研究開発法人産業技術総合研究所福島再生可能エネルギー研究所視察聴取

・ 県勢概要聴取

・ 昼食会出席

・ JAすかがわ岩瀬ファーマーズマーケットはたけんぼ視察

 

・ 白河小峰城視察

 まず・・・・両陛下の葉山静養には秋篠宮両殿下と悠仁殿下が合流されていました。

  紀子様と悠仁殿下が12日に合流。それから一番あとに秋篠宮殿下が合流。

  みなさまで海辺を歩かれていたという目撃情報も。

  なのに宮内庁の日程にも産経のウイークリーにも・・どこにも載っておりません。

  これは一体どういう事なんでしょうか

  別に両陛下と秋篠宮家が一緒に葉山へ行ったっていいじゃない?隠す必要ないじゃない?

  誰がいやな気持になるっていうの?

  事実としてそこにあるのだし、日程に載せないからどうのって判断は東宮家にはないと思って

  います。という事は、こういう日程にちまちましたこだわりを見せる人がいるって事ですね。

  誰でしょう?

 秋篠宮殿下の岡山訪問すは忙しすぎる程のスケジュール。大丈夫なの?と。

   6歳年上の皇太子なら3泊4日はないとね。

   きつきつにしなきゃいけない理由・・・それは皇族費の関係でしょう。

   自腹が多いからなるべく短時間で回らないといけないんですよね。

 福島で秋篠宮両殿下はハマツに御立ちより。郡山市にあるホテル・ハマツは

   開成山の近くにあります。駅前に近いの。そして、その近くに住んでいる

   郡山宮夫妻はいいなあ・・・・・とはいえ、あの方たちは両殿下が郡山へ行った

   事も知らないんじゃないかしら?

   「そういえな来てたとか言ってた」程度よね。

 

 

悠仁殿下 映画鑑賞

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 これぞプリンスっ

 

 20日 午前9時30分。秋篠宮両殿下と悠仁殿下がシネマトゥデイに。

 映画「アリのままでいたい」の特別試写会を鑑賞。

 東映 多田社長

「身を乗り出してご覧になっていました。

別れ際、ありがとうございましたとお礼の言葉をいただきました」

栗林監督

「アリがカマキリの幼虫を襲うシーンで、クロオオアリですか? と

                   種名まで言われたことにびっくりしました」

「楽しくご鑑賞してくれたのは間違いないと感じました」

 紀子妃 「福山(雅治)さんが主題歌を歌われているんですね」

   多田 「福山さんが長崎県出身でお願いしたところ、

               気持ちよくご承諾していただきました」

 なんとまあ、お可愛らしい。前の席の子供達とも会話をされて。

  多分、前の席の子達もそこそこいいところのおぼっちゃん達なんでしょうね。

  でも違和感ないわあ。

   入場の時、拍手されて明るい雰囲気でしたよね。

 

ところで、愛子内親王の映画鑑賞。

こっちは大人ばかり。拍手もしちゃだめだったんだって。

回り全部、関係者で埋めてました。なんだろう・・・・このくらい雰囲気は。

Catch Me IF YOU CAN

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 何だか本当に久しぶりの宝塚ーーって事で。

窓口で11月の「プリンス オブ ブロードウエイ」のチケットを売っていたので

つい思い切って買ってしまいました。

あちらの策略に乗った感じだけど・・・・しょうがないのーーー

 

さてこの作品。ブロードウエイミュージカルです。

前に何度も書いたけど、私はブロードウエイミュージカルがちょこっと苦手。

どこが?うーん。あまりにもプラス思考なところが。

ドラマ性よりも音楽を重視しているようなところが?

宝塚歌劇とブローウエイミュージカルには明確な違いがあります。

個人的には「歌劇」の方が好きなんですけどね。

 

このストーリーもどこまで行ってもプラス思考。明るいのなんのって。

フランキーが、あまり言い家庭で育ってない事はわかる。

わかるけどその描き方が明るいのなんのって。

ただ、お父さんに「どうして止めてくれなかったの?」って言うシーンはずしんときたけど。

人生の勝ち組になりたいが為に、名前や年齢を偽り詐欺事件を起こし

それで金持ちになって・・・でも一人の女性と出会った事で、真っ当な人生を送りたいと

望む。

大人になりきれなかった少年が、漸く大人になりました的な話ですよね。

ここには殺人事件がないから、こんなに明るく見ていられるけど、

どうも頭の片隅に14歳で人を殺し20年後には出所し、名前も出自も変えて

別人としてやっている彼が思い浮かんでしまい

「被害者から見ると、こんな笑い事じゃないよね」と思ってしまったんですけどね。

どんな人生でもやり直しがきく。

確かにそうかもしれません。

このフランキーは元々が努力家で頭がよかった。

そして更生するのに回りの人に恵まれたという事なんですけど

その「更生」「育て直し」という事に関しては、色々考えてしまう今日このごろです。

 

ともあれ、ミュージカルとしてはよく出来た作品ですし

何よりも紅ゆずるに似合ってました。本当にぴったり

変に悪役やったり二枚目やったりするんじゃなくて、紅に似合うのは

こういう底抜けに明るい、単純な作品なんだよなあとつくづく・・・・・・

「黒豹の如く」の紅とはまるで別人 生き生きしてよく歌って踊って。

適材適所におかれた人を見るのは本当に楽しいと思いました。

 

2番手の七海ひろき。

滑舌はいいし、声もいいし。だけど・・・・・地味なの。本当に地味なの。

服装や役柄だけではないと思います。

そして演技派である所は「逆転裁判」で感じた通り。

こんな風にがっちり演技する役が似合いますよね。

 

ただ、「子供だ。あいつは子供なんだ」っていう七海君。悪いけどベニーは

子供には見えないし、あなたよりも年下にも見えないぞと突っ込んでしまいました。

そう、このミュージカルでの唯一の違和感は

「紅ゆずるが子供に見えない事」

「夢妃杏瑠が母親に見えない事」

ですかねーー

そして綺咲愛里もまたヒロインにしては可哀想な役所で。

 

ラウンジのシーンではバーテンの手ばかり見てました。

へえ・・バーテンさんのお仕事ってこういうのかあ、なんて。

名前わからないけど。

その熱心さに惚れたっ

 


50周年と70周年

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 6月22日は日韓国交回復の日で23日は沖縄戦終結の日。

色々考える事がありますね。

 

 日韓国交正常化50年祝賀会

安倍総理 「50年間の友好の歴史を振り返りながら、発展の歴史を振り返りながら、

      これからの50年を展望し、共に手を携え、

      両国の新たな時代を築き上げていこうではありませんか」

     「そのために、わたしといたしましても、朴槿恵(パク・クネ)大統領と力をあわせて、

     共に努力していきたい」

 そして「カムサハムニダ」としめくくる。いかにも日本人らしい爆AGEスピーチでございました。

  個人的には「もう無理」「二度と嫌」「別に仲良くしなくても」と思ってて、安倍ちゃんの

   言葉にいちいち反発していたわけですけど

  この50年。韓国と仲良くしていい事があったか?

  ヨン様が来日した事くらいだよ

  勝手に「李承晩ライン」を引かれて日本の漁師さん達が拿捕され、暴行され・・・

  そうかと思えば、いきなり「独島は韓国のもの」といいだし、突如「従軍慰安婦問題」は

  出て来るわ、独島記念館やら独立記念館だの、ねつ造だらけの建物をさも本物らしく

  みせかけて韓国中の子供達を反日教育し、ああ・・子供達と言えばバジンガーZや

  アトムやキャンディ・キャンディ・を「韓国産アニメ」として放送していた罪は重い。

  「女子挺身隊」と「売春婦」を混同して覚えて、間違いを認めない。

  安重根記念碑を作る・・・彼が殺した伊藤博文は韓国併合に反対していたというのに

  恩を仇で返した。

  50年で学んだこと。

  韓国人は嘘つきである

  韓国人はなりすます事が得意だ

  韓国人は自己の正当性しか認めない

  韓国人は生き残る為なら二枚舌を使う。演技派だ。

 私だってその昔は信じていましたよ。日本による「植民j地支配」を。

  韓流ブームが起きた時、韓国人が日本に来る時のこわばった表情とか

  高飛車な振る舞いに「仕方ないよ」と思った口だし。

  それだけ残虐な事をやったんだろうって。

  だって、自国の総理大臣がそういって謝ったんだもの。

 だけど、ぜーーんぶ「嘘」だったじゃん

 1910年に韓国併合に導いたのは他ならぬ韓国。それも両班

 もし、韓国を併合していなかったらどうなったと思う?

 李氏朝鮮はロシアと組んで、ロシアの属国になっていた。

 ロシア・李氏朝鮮・中国が日本を侵略していた。

国家存亡の危機だったんですけどーー政治家の方々は「日本なんかなくなってもよかった」

とお考えなの?それはさあ、当時、一生懸命国を守った方々に対して失礼じゃないかい?

村山君。河野君他左翼さんたち。

 創氏改名 → 夫婦別姓で婿養子がとれなかった朝鮮。だけど日本の苗字を名乗れば

            家を守る事が出来る。

            満州で匪賊に散々痛い目に合わされていた朝鮮人。だけど日本名を

            名乗れば襲われない。

 李王家 → 日本は李王家を皇族として迎えた。知られている李垠殿下だけではなく

          他2家も同様に。それらを終戦後、国から排除したのは他ならぬ韓国。

 慰安婦 → ほとんどは男親、男兄弟から売られた女子。

          韓国の男女差別のひどさは日本の比ではない。

韓国は小学校の教科書からして「日本人は残虐に韓国人を殺した」と教えています。

南京大虐殺の時もそうなんですが、いわゆる「虐殺の手口」というものが、日本人の

風俗とは全く相いれない。これは完璧に匪賊のやり方です。

日本人は人をこんな風に殺したりはしません。

そもそも切腹に介錯があるのはなぜ?苦しみを長引かせないようにする為でしょう?

そんな国が、他国の人の耳をそいだり、両手足を縛りつけて八つ裂きにするかって?

日本の古代史を研究していればわかる事ですが、陥れる時もその後もあっけない

程あっさり事件が始まって終わる。

これが潔さというものなのか・・・・とちょっと呆れる程です。

 ということで、この50年は日本にとってなーーんも利益のない50年でした。

  お金をばんばん吸い上げられた挙句「これは韓国独自の発展」と言われ、

  大統領は世界中に「日本は悪い国」と吹聴して回る。

   こんな国と仲良くする必要は・・・・・・断じて「ない」

テレビの画面に映し出された笑顔のパク・クネを見てぞぞっ

これがほんとの「二枚舌」

心にもない事を平気で言える。その為なら笑える泣ける。

すごい民族だわーーー

 

 沖縄戦終結から70年

先日、NHKスペシャルの「沖縄戦全記録」を見ました。

期待してなかったけど、そのあまりのひどさに絶句。これは抗議が出ないの?

 沖縄戦はほとんどが民間人だった。軍によって徴集され、国の為に働く事を

   義務付けられた。

 当たり前じゃん。何でそこを疑問符にするの?

  日本軍が守ってくれなかったといいたげなんだけど、あのアメリカの圧倒的兵力を

  もってすれば日本なんて・・・・・集団自決しを強要されたような言い方。違うでしょ。

 アメリカ兵の中に戦争神経症の症状を呈する人達が続出したそうで。わかります。

   完全なる勝ち戦であったけど、死体はみな民間人。それも女性や子供が多かったし。

   あの時の沖縄は、周囲をアメリカに包囲されて本土に帰る事が出来ず、結果的に

   軍と行動を共にするしかなかったんです。

   牛島中将が「最後まで戦え」と言い残して死んだとか言ってたけど、違うよ。

   「沖縄の人達はよく戦った」と言って死んだんだよ。

 「もっと早く戦争を終わらせる事が出来なかったか」というナレーション。

   思わず「それはアメリカに言え」と言ってしまいました。

   要するにNHKは「もっと早く戦争を終わらせる事が出来た筈なのに、無駄な戦いを

   行って多数の民間人の犠牲者を出した。この責任は日本軍にある」と

   言いたいのでしょうね。

   後からなら何でも言える 負けたから言われる。辛い勝利なら何も言われない。

 まさかアメリカが沖縄に上陸するなんて。

   まさかアメリカが原爆を二度も落とすなんて。

  まさかアメリカが東京中を絨毯爆撃するなんて。

  全てが予想外だったと今は思います。そして戦争というのは予想外の出来事だらけなの。

  今、国会で集団的自衛権の行使をめぐって「どういう状況になったら行使するんですか」

  「〇〇は日本にとって関係ないと思うけど」等々不毛な議論を戦わせているけど

  「まさか」の連続が戦争なのであり、その「まさか」に立ち向かう為の「集団的自衛権」

  なんです。

  政治家たるもの、そんな事もわからないの?あ。文民はわからないか。

 で、翁長さん、「アメリカには物を言うけど中国には何も言わない」と批判されて

ますけど、今回もまた基地問題を?「土地を奪われた」って言い方・・・・

どこかの国の人にそっくりなんだけどな。

 

 

1789

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 本当に久しぶりに東京宝塚劇場へ。

離れようとしても離れられない。それが宝塚なんですわ

それも姫ちゃんと一緒でした

姫ちゃん、25日に大劇場デビューするので、心はそわそわ村の空の上。

「ねえ、ママ、何を着て行ったらいい?ねえ、ママ、靴はどれがいい?ねえママ・・・」

面倒なので適当に答えていたら「ママっ娘の事、愛してないの?」というので

「わかった。じゃあ、お洋服を買ってあげましょう。ついでにアクセサリーも」

と・・・貰ったお給料が右から左ーー

二人で有楽町や日比谷を歩いてはいけない。

ママのお財布のひもが緩みすぎるので。

でもまあ、見終わった後の姫ちゃん、久しぶりに目がうるうるしてたからいいっか。

 

 1789 

 ストーリーについて

小池先生はパンフレットに「フランス人が描くフランス革命ってどんなだろう」と

思って、結構構えてみたようですが、実際は「超大衆娯楽」だったと書いています。

堅く考えないでと言われているような。

 群像劇

 歌とダンスパートが分かれている。

 フランス版よりもロナンとアントワネットの歌が増えている。

・・・ああ・・・・それでーーと納得しました。

まず。

主役の「ロナン」がまるっきり主役に見えないんです。

こんなに存在感のない「真ん中」はそうそうないです。だけど、これを宝塚のスターシステムに

合わせて考えるからおかしいのであって最初から

主要人物はロベスピエール、デムーラン、ダントン、ルイ16世、アントワネットと

考えてみる。そしてロナンはいわば「アイドル」がやるような「そこにいればいい役」なんだなと。

例えば「ベルサイユのばら」におけるオスカルとアンドレは架空の人物だけど

歴史物語の「主役」としてしっかり存在しています。

実在の人物との会話や絡みに無理がなく、しかも史実を曲げることなく話が進んでいきます。

ところが、この作品の場合、ロナンが不要人物なんですよね。

実在の登場人物だけで十分ストーリーが成り立っているんです。

だって、多分、当時の農民が革命のリーダーシップをとるという意識がないんだと思います。

物語の中で話しているように、革命を叫んでいたのはプチ・ブルジョワと

呼ばれる人達であり、ロナンとは身分的、経済的に格差があります

本を読む環境になかった、毎日食べる事で精一杯だったロナンとその妹にとって

議論したり、政策を考えたりという事は別の世界のお話。

ゆえに、革命の話が進むにつれてロナンの存在意義はなくなり、結果的に

バスティーユからオランプの父を助け出す為だけにいたような感じになっています。

ロナンの「死」も唐突で、何でここで死なせるかなあ・・・・と思う程。

まるで「ベルばら」のオスカル様そっくりで、「バスティーユに白旗が」って

出てくるか?と期待したら、あっさり人権宣言に行っちゃった

小池先生は女性達のヴェルサイユ行進のシーンをカットしたらしいですが

もしかして東宝版では復活して花總まりさまの素敵なお辞儀が見れるのかしら?と

期待しつつ。

小池先生なら、龍真咲に合わせてロナンをもっと膨らませる事は可能だったのでは

ないかとも考え。そうしなかった理由が他にあるのか?

などとうがった見方をしてしまうのでした。

 

原作がどんな風なのか知るよしもないのですが、フランスミュージカルの流行は

 ミュージカルぽくないポップな音楽

 プロモーションビデオが先に存在する程、独立した音楽

 奇抜な衣装

という所でしょうか。そういう意味では王道。まさに庶民があまり考えないで見る事が

出来る、日本でいうと下町の玉三郎みたいな感じの舞台なんだろうと思いました。

そうはいっても、小池先生が言う通り、日本人の頭の中では「ベルサイユのばら」に

おけるフランス革命の流れが染みついており

(だって・・・・頭の中で池田利代子「ベルばら」のシーンが同時進行してましたよ。

特に三部会の解散のシーンは「ああ、ここでオスカル様が馬で飛んできて

「ここから先は一歩も通さん!」だったっけなどと考えながら見てました。ゆえに

ロナンが死ぬシーンはアランが「バスティーユに白旗が」って言わないといけないわけで)

庶民の味方、ロベスピエールやデムーランがプチブルという認識がなかなか出来ないので

ありました。

(私の中でデムーランは常にベルナールに変換されておりました)

ロナンのようなド庶民とアントワネットが僅かながらもすれ違う風、フェルゼンとロナンが

短いながらも会話をする・・・っていうのが不思議なミュージカルでしたね。

 

 振付について

フランス版はもうちょっとアクロバティックなんでしょうね。

でも宝塚もなかなか負けてないなと。

特に2幕目の最初、手と足を使ったダンスは、面白いというかちょっと歌舞伎っぽいと

思いました。なかなか宝塚ではお目にかからないもので、振りつけた人も知らないし。

フィナーレの群舞も非常にかっこよかったです。

 

 出演者について

龍真咲・・・・龍ファンには申し訳ありません。だけど、あの喋り方が許せない。

        学芸会の延長のようなわざとらしい喋り方。今まで、くせのある話し方を

        するトップは何人もいましたけど、これほどとは・・・高汐巴以来の不愉快さ。

       さらに主役としてここまで目立たなくていいのか?という印象。

       歌はまあまあ、だけどダンスになると「私は踊りません」って言ってるみたいに

       上から目線に見えてしまう。

       フィナーレの群舞で途中でいなくなってくれてほっとしてしまったし、デュエットダンスに

       至っては、ほとんどからまず。これでいいのか?トップスター。

       今回は若い専科が二人に別格が二人。下級生なのに妙に貫禄あるってのが一人で

       並のトップでも威圧されそうな雰囲気ではありました。

      だけど、逆にここまで実力派を脇でがっちり固める程のトップなんだよーって話で。

      いわゆる「宝塚らしさ」を追及しているわき役に対して、ただそこに君臨している

      だけのトップでは困るのではないかと。

      作品に恵まれ、100%観客が感動して帰る。それはいい。だけどそれは決して

      ロナンに感動しているわけではない事を自覚して頂きたい。

愛希れいか・・・・ちゃぴ様は登場シーンからすごかった。いやいやほんと。

       以前も書きました。月組の実質トップは愛希れいかであると。

       今回もその通りでした。トップとトップ娘役の実力の格差がありすぎて。

        愛希は決して美人というわけではないと思います。花總まりや白城あやかの

      ような神々しい美しさを秘めた人ではない。

      けれど、彼女がひとたび舞台に上がると圧倒的な存在感で観客を魅了します。

      その立ち姿、演技力、メキメキ上達した歌唱力、そして自由自在に踊る姿。

      何もかも、近年の娘役の中では突出しています

      まさに「ちゃぴ様」です。ちゃぴ様が踊れば横に龍真咲は必要なく、ちゃぴ様が

      歌えばそこに龍真咲は必要ない。そんな感じですね。

      それでいて、自分勝手に動いているのかといえばそうではなく、相手をたてる事も

      ちゃんとご存じ。それに応えていないのがトップというだけで。

      ちゃぴ様の前にひれ伏す月組はまとまっています。

凪七瑠海・・・なぜロベスピエールではなくデムーランなのか。そのわけがわかります。

       ぱっと見、綺麗なんだけどどうにも弱い。おまけに歌が・・・・

       この人がエリザベートをやったってほんと、認めたくない事実です。

       でも今の方が幸せそうですけど。

美弥るりか・・・アルトア伯。姫いわく「星組出身の人ってコスチュームが似合うだけじゃなくて

        ごてごてメイクの研究もすごいのね」だそうです。

        確かにこのアルトア伯(何でプロヴァンズ伯じゃないのかしら)

        媚薬を使って女性をとりこにするちょっと変質狂。フランス映画によく出てくる

         タイプ。でも「私は神なのだ」とエコーを聞かせた声で歌うとドキドキしました。

       フィナーレの銀橋に出てきた時は貴公子に早変わり

       本当にかっこよかったです。群舞でも中心にいると落ち着く人ですね。

星条海斗・・・・恐ろしいペイロール様。鞭がこんなに似合う人とは。さすが専科の貫禄です。

        場面が引き締まりますね。

沙央くらま・・・・何気ない役柄なのにそこにいるだけでほっとするダントン。

         助演者として実力を発揮できるといいですね。

珠城りょう・・・・背は高く、ごっつく、男役の為に生まれて来たような珠城りょうは

         ロベスピエールのイメージにぴったりでした。歌もそこそこだし

         美弥も凪七も、龍をも吹き飛ばしてしまいそうな存在感があります。

         ただ「華」があるかどうかは疑問符。

海乃美月・・・いわゆるヒロイン。その任によく耐えて頑張ったなと。

       特に色気もへったくれもない龍真咲相手に演じるのはプレッシャー

       だったのでは。

暁千星・・・正直「メリーウイドウ」の時から気にはなってたけど、適当な「七光り」組

      なんだと思ってました。今回のフェルゼン抜擢もその一環?と思ったけど

      アントワネットの愛の告白を聞くフェルゼンの横顔に惚れた・・・かも。

      声がいいのよねーーアントワネットとのデュエットは芸術的でした。

      今後、注目して行こうかな。私のハートをつかむにはもう一歩。メイクが

      上手になってね。

 

いわゆる「本場フランス革命物語」を見つつ思ったのは

「ベルサイユのばら」の面白さです。本当によく出来た作品だったんだなあと再認識。

日本人ってすごい。

 

 

 

夏も近づく・・・・・

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 奥様方ーーご存じでした?

皇太子夫妻は「ゆったりーの」の職員にドイツ製のクッキーを配ったんですってよ

ドイツ製よっ ドイツ製 何でも小和田家ゆかりのクッキーなんですって

皇族が外国製の、それもクッキーを手土産に持って行くなんてあり?

それって税金で買っているのよねーーもしかして「次世代の公務」というのは

施設に外国製の手土産を持って行って懐柔する事なのかしら?

持って行かない「秋篠宮家はケチ」とかいうのかしら

どうせなら「お手製」になさればよかったのにねーー

さらにっ

雅子様の新しい公務は「貧しい国」に心を寄せる事らしいです。

トンガに行くのもそれなんですってよーー

トンガの皆様、怒っていいわよーー日本の皇太子妃は自分より「下」の国にしか

いかないらしいので。

あ、オランダの皆様、御免あそばせ。私が言っているのではなく、あくまで

「皇太子妃殿下」の御心のうちらしいので。

文句があるなら女性週刊誌におっしゃいっ 近重氏に。

あの方、見て来たようにおっしゃるから。言葉遣いも馬鹿丁寧で

「私こそ代弁者」と言いたげなお顔でしてよ。

 奥様ー夏も近づいてまいりましてね。

最近、大雨が降ったり雷が鳴ったりすると「誰のせいだーー」って叫びたくなりますの。

そんな事ございません?

なんせ、ほら、東日本大震災ですら、あの人達のイギリス行きを止める為の

悲しい災害であったと・・・噂でしてよ。噂。

でも、つい先日、いつでしたっけ、あら9日でしたわ。地震があったの。

とにかく東宮家が動くと天変地異が起こるって・・・・最近、有名ですものね。

あら、奥様は伊勢の神様を信じていらっしゃらない?カトリックでいらっしゃるから?

それとこれとは違うと、私は思いますけど、いっしょくたにされる方もいらっしゃるわね。

よろしいのよ。仕方なくてよ。でもね、これは本当の事なの。

確かに雅子様がどこかへでかけたり晩さん会に出たりなさると、変な事が起きますのよ。

嘘だと思うなら、日々のニュースをしっかりご覧になってて。

土曜と日曜の朝には15分だけですけど皇室番組もございますわ。

そこで地震や大雨や噴火のニュースとすり合わせると、あら不思議。符合するんですのよ。

怖いわねーー

毎日、分刻みでお天気が変るのでやっていられないわよね。

お洗濯ものは御外に?私は無産階級ですので、毎日お仕事ですのよ。

全然お金にもキャリアにもならないお仕事。

今日もプライドがズタズタですわ。でも仕方ないんですの。

生きていくという事はそういう事。耐えなくては。

私ね、雅子様の一つ下ですのよ。でもとっくの昔に自分探しは止めました。

だって日々が大変で。

子供達は大きくなるし、下には小学生がいるし

いつの間にか「やりたい事」より「やるべき事」を優先してしまう。

ほんと、無産階級に生まれたばかりにねーーいつまでも「お妃外交官」とか

言っていられる方が羨ましい。

え?どなたの事?

雅子様よ。あの方ね、結婚して22年になるのにまだ「やりがいのある仕事」を

お探しなんですって。

世の中にはご自分の実家をかさにきて、意地悪をいう嫁がいますわね。

何かって言うと「うちは・・・〇〇大学を出て」みたいな?そんな事ありません?

あら、奥様、恵まれていらっしゃる。

「日本は夫婦同姓だから不平等」なんて事もおっしゃって、しまいには

「キャリアを捨てて結婚してあげたのにーー」と心の病になってしまう嫁もいましてよ。

互いに気をつけましょう。

息子がそんな方と出会ってしまったら一族が滅びますわ

まあ、私達のような庶民など吹けば飛ぶようなものですけどねーーほほほ。

あら、何の話をしていたんでしたっけ?

最近は物忘れがひどくて。

しかもこの陽気でしょ。分刻みのお天気。雨だの雷だの。

ああ・・・・そういえば70年目の涙雨だったのでしょうね。

それはよろしいけど、かの国の「慰安婦」とかいうご老人の集団

「天皇が謝罪しろ」とかおっしゃってるんですって。

右を向いても「謝れー」「左を向いても「謝れー」

総理大臣は腰痛になってしまいまてよ・・・・ああ、そう、謝ってしまったらね。

腰痛にならない為には謝ってはいけないのです。

だって悪くないもの。

え?奥様、まさかまだ信じていらっしゃるの?御親戚が朝日新聞?

じゃあ仕方ない わけないじゃございませんの。

もしかして奥様のご先祖は半島の方?

あら、冗談でしてよ。まあ、テレビも新聞も毎日「謝れー」の大合唱ですもの。

これが8月15日まで続くのかと思うと頭が痛いですわ。

頭だけではございません。心も痛いですわ。

いくら人のいい私だって、堪忍袋の緒が切れましてよ ぷんぷん。

ねえ、奥様。一度靖国神社へ行ってみません。ご一緒に。

それからご一緒に本屋さんで本を買いましょう。お勧めの本を沢山

教えてあげましてよ。

せっかくの70年目なんですもの。

私達、あらためて日本の現代史を知るべきですわ。たとえ主婦でもね。

そりゃ最初はショックだと思いますの。

だって今まで見聞きして来た事が全部ウソだったってお話なんですもの。

でも、その時には私がいます。

どうしてそんな嘘を本当と信じさせられて来たのか、一日中だって

教えて差し上げてよ。椿屋珈琲と集を梯子してもよろしいわ。

夜はしっとりワインで乾杯。いかが?

秋篠宮家創設25年目の疑問   1

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 日本と言う国は本当に変わっています。

1945年8月15日を境に民主主義になって、階級がなくなり

平等になった筈。政治犯もいなくなって言論の自由が保障された筈。

それなのに、政府が「事実」を事実として言わない、言えない雰囲気を

国中が作っているのです。

 植民地支配・・・という言葉はない

 「併合」は植民地ではない

 「慰安婦」=売春婦 であり、「女子挺身隊」ではない

 軍が慰安婦募集に関与したのは、民間や朝鮮人の女衒による

  「強制性」を排除する為だった

これらは全て「事実」として定着しているのです。

なのに。国がそれを認めないというのはおかしいのではありませんか?

しかも、「謝らないと外交上大変な事になる」的な印象を植え付け、圧力をかけるとは。

村山&河野両氏他、中国や韓国におもねる政治家がこの世に存在している事が

すでに「害」であるのですが、日本国民の多くが「そんな事どうでもいい」と思っている事が

問題なのです。

彼らはテレビを見ても、最初の数分しか見ていませんし、コメントをじっくり聞くわけでも

ありません。「見出し」だけ見て終わる人も多いでしょう。

ゆえに「印象操作」されやすいのです。

そして一度印象を植えつけられたらなかなかそれが覆されないという事。

 いい例がマリー・アントワネットです。彼

女は「パンがなければお菓子を食べればいいのに」と

言ったとされます。それは事実ではない事は誰もが知っている筈・・・・だけど

やっぱり「アントワネットといえばパンがなければお菓子を食べればいいのに」と言った

人だよね」と言われる事が多々あります。

200年たってもこの調子ですから70年、いや25年ごときでは、とても払拭できる

ものではありません

「従軍慰安婦」も「強制連行」もある日、ふってわいたような嘘。それを本当に単純に

何も調べずに信じたおバカな総理大臣がいたという事。

全ては政治家の「無知」によるものだったのです。

公民は得意だったけど日本史は嫌い、世界史なら好きってタイプが政治家になった

のかしらね。

日本人が「嘘」を信じてしまう理由には、戦後の価値観の変化があると思います。

今まで信じて来たもの、絶対に「正しい」と思ってきたものがひっくり返されて

「あれも悪これも悪」とGHQによって洗脳されました。

そしてアメリカのドラマによって、非常に心地いい思いをさせられ、

「こんなに裕福で幸せそうなアメリカ人が悪い筈がない」と思ったのかもしれませんね。

日本人なのに日本の「過去」を信じられない、認められない。なんと恐ろしい事でしょう。

だから、やっぱりこういうブログなどで、草の根的に何度も同じ事を書いて

真実を伝えて行かなくてはならないのです。

 

皇室に関しても同じです。

両陛下が結婚されて56年。

ネットを知っている私達は「美智子妃殿下」の幻想から抜け出ました。

抜け出てみるとその「事実」に愕然としてしまう日々です。

あれもこれも実は仕組まれた事だったのか・・・・と考えると心が折れそうになります。

だけど、多くの国民はまだ「洗脳」されたままなのです。

平和と繁栄とゴージャスに酔いしれた昭和34年の印象を忘れはしないのです。

 

 浩宮と礼宮の印象操作

今じゃ「紀子様がお妃になったのは天啓」という事になっていますが

時計の針を昭和に戻すとちょっと違って見えます。

浩宮=優秀で公平な兄

礼宮=やんちゃで成績が悪い

私達、礼宮と同世代の人達はみんなこんな印象を持っていました。

そういう印象になったのは、美智子妃殿下が礼宮の事を「スサノオ」と呼んだから

ではないかと。

それをマスコミが大げさにとらえ独り歩きしていったと。

 

「浩宮は将来天皇になり、厳しい環境に身を置くので優しく、礼宮は将来は

気楽な宮家になるから厳しく」というのが皇太子夫妻の教育方針。

「ナルちゃん憲法」はスポック博士の育児書以上に世の中のママ達に影響を与えたでしょう。

そんな事、真似しようとしても出来ない事はわかっているのに。

でも、まだ10代の私が聞いても「兄は甘く弟は厳しく育てる」という言葉には違和感が

ありました

あったけど、その疑問符を言葉に出せない雰囲気もまたありました。

「あの美しく聡明で完璧主義の美智子妃がそういうんだから絶対」というような刷り込みが

あったのです。まして、結婚もしてない子供も産んでない10代の娘には何も言えないと言うか。

なんで違和感を持つのかさえわからない程に。

個人的には「礼宮様って将来、とってもハンサムになりそう」だったんですけど

きっと・・いや、絶対にハンサムになるっ

シンデレラの王子様みたいにハンサムになるっ そしたら日本中がフィーバーする

そう信じていたんです。

期待通り、礼宮殿下は大層ハンサムになられ、しかもファッションセンスが素敵

加冠の儀の束帯姿もかっこいいっ・・・・・のに、フィーバーしなかった・・・・・・

それどころかやんちゃ伝説が独り歩きして、いつの間にやら

「礼宮って皇族のくせに不良だ」みたいな?お話がちらほらと。

で、国民は騒ぎたくもないのに浩宮のお妃候補探しにやっきになって。

あの時代に10-20代だった私が証言しますが、正直、浩宮のお妃が誰になるかなんて

全く関心ありませんでしたーー

っていうか「お妃になりたいって人いる?」みたいな?

それというのも、美智子妃入内後、例の「美智子妃いじめ」報道のせいで

すっかり「皇室って堅苦しくて怖い場所」というイメージがついてしまったからです。

あら?今とよく似てる。

だって、婚約が決まると正田家に散々嫌がらせの電話が来ただの、匿名の手紙が来た

だの、婚約記者会見の「手袋事件」だのって、そりゃあおどろどろしい話ばかり聞かされたんです

もの。将来の皇太子妃になりたい人なんている?

正田家のゴッドマザーはなんだってそんなネガティブキャンペーンをしたのか

じっくり調べてみたいテーマではあります。

 

さて。

礼宮に彼女がいる・・・というのは彼が大学に入った頃から噂にはなっていました。

でも誰もあまり騒がなかったというか、マスコミが時々取り上げても「浩宮のお妃候補」

に比べると関心が低かったというか。

ハンサムな礼宮は「ナマズの殿下」になっちゃうし。

外国王室のプリンスチャーミングには夢中になる日本人も、自国のかっこいい「源氏の君」

の事はよく知らないというへんてこな現象が起きていたのでした。

皇室を語る事がタブーだったんでしょう。

お妃は外から入った人だけど親王は恐れ多い・・・というような雰囲気もあったのかも

しれませんが。

 

で。1989年、突然の「婚約発表」に国民は驚き、そして大喜びしたのですが

思えば、この結婚、どうして許されたんでしょうか?

川嶋紀子さんのお人柄だけですか?

礼宮のわがままでしたか?

結婚直後から始まった紀子妃への執拗なネガティブキャンペーンをみると

この結婚が許された背景には、本人達より第三者の思惑が大きかったのでは

ないかと

礼宮はその利害関係の一致にすいっと乗ったような印象があります。

礼宮殿下は時々、こんなサプライズをやってのける人なのです。

「愛」だけでは結婚は出来ません。まして皇族であれば。

兄殿下のありようが少しずつ脇道にそれていくムードを感じた礼宮の奇策

どうしても1990年に結婚しなくてはならなかった理由がそこには

あったのだと推察します。

 

 

 

皇后陛下傘寿記念 桃華楽堂演奏会

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 26日。宮内庁楽部主催による

  「皇后陛下傘寿記念演奏会」が開かれた。

桃華楽堂に入られる紀子妃と佳子様。

清楚。

桃華楽堂に入られる皇太子夫妻。

お正月や天皇誕生日等と何が違うんだろう・・・・という写真。

一枚を何年も使い回ししているような?

笑顔満開で手を振る皇太子妃。

 

 皇后陛下作曲「おもひ子」や陛下が歌った琉歌に皇后陛下が曲を

  つけられた「歌声の響」など5曲が演奏された。

後列に黒田清子さんがひっそりと座っていらっしゃいます。

サーヤ・・・珍しく髪が目にかかって。

何か大変なことでもあるんでしょうか。というか、普通に「公務員の妻」をしていると

こういう場に出てくるのも大変だと思います。「体面」を保つのが。

サーヤの中では「元皇族」の殻は脱ぎ捨てているのではないかなどと思ったり。

皇太子妃はどこを見ているのでしょうか。

 

楽しそうな両陛下。皇后陛下のコサージュは何の花でしょう?

この一瞬の写真が妙に怖い私です。

佳子様の隣は信子妃。信子妃の服装はゴージャスですね。

ちなみに皇太子妃の隣の華子妃は緑のスーツ。

紀子妃は眼を伏せていらっしゃる。偶然2枚ともそうなんですね。

姿勢のよろしい事。

そして麗しの佳子様。

夏休みに入られたんですね。

週刊になんと書かれようとも、母君と御一緒に、背筋をきちんと伸ばして

凛としていらっしゃる姿は本当に美しいと思います。

 

皇太子妃がどうして出て来たかって?

多分、桃華楽堂系は「お仕事」として自分の中でうまく整合したんでしょう。

「でてやってる」感がいなめないけど、とにかく出ればマスコミが「公務復帰のお覚悟」

とか持ち上げてくれるから。

秋篠宮家創設25年目の疑問  2

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>カエルさま

別腹説は置いといてお気持ちはわかります。

皇后陛下は冷遇しているつもりはないのです。「長幼の序」を守っていらっしゃる

だけです。

「将来一宮家」

「将来民間人」

お育て方をされただけ・・・・・と思っていらっしゃるでしょう。

サーヤは小さい頃から年に1度、皇后陛下と私的な旅行をされていました。

それは「将来、降嫁される宮様との思い出作り」みたいに報道されていました。

個人的には「紀宮はそんなに早く結婚するのかしら」と思っていたんですけど

結果的に35歳まで皇室にいらした。今だって皇居に出入りはご自由。晩さん会にも

ご出席。「内親王の降嫁」も随分イメージが変わりましたよね。

じゃあ、あの私的旅行は一体なんだったのかと。

>ナビちゃんさま

紀子妃のお気持ちねえ・・・・心が折れまくっていると思いますよ。疲れていらっしゃるし。

ただ小さい親王を抱えていますから馬車馬的に頑張らないといけない。

立ち止まれない状況だと思います。

ゆえに、何かきっかけがあったら突如、ぽきっといきそうな気がして心配です。

秋篠宮家に関する本はなかなか出ておりません

「日本の血脈」(石井妙子・文春文庫)あたりはいかがでしょうか?

 「沖縄2紙が左翼に乗っ取られている」まさにその通りなんだけど

そのまま言うと大騒ぎに。

それがそもそもおかしいのはわかってる。だけど誰も味方にならない悲しさを感じます。

 

 礼宮が結婚を急いだ理由は何か

あくまで個人的な印象を述べますね。

昭和60年・・・川嶋紀子嬢、学習院大学に入学。

         本屋さんで礼宮が見初める。

         早速自然文化研究会に誘う。

昭和61年・・・・「私と結婚してくれませんか」

          「よく考えさせて頂いてよろしいでしょうか」

平成元年・・・・紀子嬢、大学院入学。婚約。

平成2年・・・・礼宮と紀子嬢結婚。

という流れです。

 

礼宮の行動は用意周到というか、非常に策略的です。

その裏には、成人するやいなや「お妃は誰に」と騒ぎだしたマスコミへの

警戒感があったのだろうと思います

実際、浩宮の「お妃選び」はマスコミ先導型の仕組まれた感すらありました。

浩宮自身も「価値観が同じ人」だの「ティファニーであれやこれや買う人は困る」

だのって言ったものですから、よけいにマスコミが騒ぐ

そうかといって、イギリスの王子たちのように女性と付き合っているという噂は

一切聞きません。

女性と並んで歩いているというシーンすらなかったんじゃ

無理無理ブルックシールズとツーショットとか・・・柏原芳恵に薔薇を渡すシーンを

撮影しては「お妃候補か」と大騒ぎ。

今思えばかなり滑稽でしたよね。

根拠がないのに騒ぐマスコミを知り、礼宮は自分の結婚について、噂レベルで

言われたりするのは嫌と考えたのではないでしょうか。

だから、川嶋紀子嬢と知り合うと、まず自分のテリトリー(サークル)に引き込み

回りを学友で固め、極力二人きりにならないようにする

付き合い初めてわりとすぐに東宮御所で皇太子夫妻に紹介。

「運命の相手」というのは、付き合ってる時間ではなくて一瞬のひらめきの

ようなものでしょう。

出会って1年の間にサークルに入れて、ひそかに付き合って両親や家族に紹介。

多分、昭和天皇もご存じだったのでは。

「お印に檜扇菖蒲」を選ばれた理由を考えるとそんな気が。

 

だけど、考えてみればであった時、紀子様は18歳。礼宮は19歳です。

礼宮は成年式を終えた時点でプロポーズしたという事になるのでしょうか。

礼宮20歳の頃、浩宮は26歳。

 昭和61年といえば、浩宮がエレナ王女のレセプションで小和田雅子さんと

出会った年。

ここに大きなカギがあるような気がします。

小和田雅子さんの魔力に魅入られた浩宮と、すんなり「結婚」に行きそうにない

ムード。当時の宮内庁はまだ「チッソの娘はダメ」という雰囲気でしたでしょう?

浩宮の執着をそらす為に別な女性を・・・・と考えても不思議はありません。

そして、学習院育ちで皇太子夫妻とも仲が良い「礼宮のガールフレンド」を・・・

と誰かが考えてもおかしくはないのです。

この時点で美智子妃殿下は紀子嬢を気にいっていたと思われます。

紀宮とも仲良しで、まるで生まれながらに皇室にいたかのような懐かしさを

感じさせる女性に誰もが夢中になったに違いないのです。

浩宮にとって紀子様は「好み」だったかどうか。

大きな瞳と外国人のような容姿が好きな浩宮ですから、ちょっと系統は違うかも。

でも柏原芳恵の雰囲気は少しはあるかなと

 

川嶋紀子嬢は賢い女の子でした。

礼宮と付き合い始めると言葉遣いが変わったと学友が話しています。

つまり「覚悟」があったのです。

それを「好きで皇室に入ったんだから」というとらえ方をするのは間違っています。

紀子嬢は学習院の教授を父に持ち、自らも学習院育ち。

「皇族」と付き合う事がどんな事なのか、一般の人より知っていたのです。

その上で、礼宮の「相手」としてふさわしい女性になろうと努力したのです。

 

最初は「紀子ちゃん」と可愛がっておられた皇后陛下ですが

これが「結婚」になると、難色を示します。

皇后陛下のおっしゃった言葉は「長幼の序」

つまり弟は兄より先に結婚してはいけないというもの。

今じゃ「結婚出来る人から先にどうぞ」ですけど、25年前は確かに

そういう「序列」は大切にされていた時代です。

それは礼宮にもわかっていた筈。

にも関わらず「どうしても今、結婚したい」とおっしゃった。

 紀子嬢は学習院大学大学院入学決定

 礼宮は大学院からイギリスへ留学

この二つが決まっていた事を考えると、そこで「結婚」は普通、考えないでしょう?

「大学院を卒業したら結婚しよう」という話になった筈。

無論、両陛下もそれを望んでいた筈です。

紀子嬢が大学院を卒業する2年後には皇太子の結婚も決まっているのではないか・・・・・

と期待していたかもしれない。

にも関わらず。

礼宮は「今」と説得。

若さ弾ける情熱・・・というものとは全く違う思惑がそこにあったのではないか。

すなわち「今を逃すと紀子嬢は永遠に自分のものにならないかもしれない」

という不安ですよね。

紀子嬢の気持ちは決まっていました。

礼宮とであったその日から。

だけど、いくら本人がそう願っても、求婚してくる相手が礼宮より上位の場合は

ましてや、その後ろにいる人達の事を考えると、とんでもない話になります。

皇太子の気持ちはこの際、考えません

小和田雅子嬢がイギリスでマスコミに対し「そういう気持ちはありません」と言った

時点で、頭の切り替えをしようとしたかもしれないし。

これはあくまで憶測ですよ。

 

婚約記者会見で礼宮はは

「今の時点で兄の結婚が決まっていないという事」を婚約の理由に挙げていました。

男性24歳の結婚は当時でもちょっと早いかな・・・あと2、3年は恋人期間を

楽しみたい人が多い中で「家族になる事」を真っ先に考え行動した礼宮。

川嶋紀子嬢のおっとりとした雰囲気と賢さや可愛らしさは「皇太子妃にこそふさわしい」

と考えた人々。

それらの期先を制する形で礼宮は結婚を決意したのでは・・・・と思うのです。

 

そして無論、それを許した両陛下の側にも思惑が。

それは「即位の大礼に妃が欲しい」という事。

本来なら皇太子妃が欲しい所だけど、それはもう絶対に無理・・・それだったら

この際、弟宮妃でもというお気持ちだったのでは。

皇室における高齢化の波は差し迫っていたのです。

 

皇室ウイークリー

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ご日程

両陛下

6月17日ー18日・・・・両陛下 → 山形県訪問

・北原尾地区開拓記念碑視察

・北原尾地区入植者等と懇談

・平成9年第48回全国植樹祭お手植えの樹木視察

・さくらんぼ農家視察

・会食

・河北町紅花資料館視察

・(紅花関係者と懇談

 

・知事より震災時の聴取

6月19日・・・両陛下 → 部課長と昼食

                三の丸尚蔵館「鳥の楽園」鑑賞

      天皇陛下 → 高等裁判所長官,地方裁判所長及び家庭裁判所長会同らと会う

                通常業務

                ニジェール大統領と会見

6月21日・・・皇后陛下 → 前橋汀子 アフタヌーン・コンサート Vol.11鑑賞

6月22日・・・両陛下 → 第71回日本芸術院授賞式出席

                同茶会

6月23日・・・両陛下 → 外務省より進講を受ける

                勤労奉仕団に会釈

                離任スーダン大使夫妻に会う

                トンガ随行員に会う

                人事異動者に会う

     天皇陛下 → 通常業務

6月24日・・・両陛下 → 在京外国大使夫妻と午餐

                第7回日本・メコン地域諸国首脳会議について説明を受ける

6月25日・・・皇后陛下 → 養蚕

        天皇陛下 → 内閣府事務官から進講を受ける

                 離任デンマーク大使に会う

                 認証官任命式

         両陛下 → 文部科学省研究振興局長,千葉大学名誉教授,九州大学大学院

                 システム情報科学研究院主幹教授,東京大学大学院理学系研究科長・

                 理学部長と会う

 

皇太子同妃両殿下

6月19日・・・両殿下 → 外務省から進講を受ける

6月22日・・・皇太子殿下 → 離任スーダン大使と会う

                   茶会に陪席

6月23日・・・両殿下 → 海外青年協力隊と会う

6月24日・・・皇太子殿下 → 勤労奉仕団に会釈

                   大英博物館鑑賞

 

秋篠宮家

6月19日・・・秋篠宮殿下 → Human-Chicken Multi-Relationships Research Project

                   出席

6月20日・・・両殿下・悠仁親王 → 「アリのままでいたい」鑑賞

6月21日・・・両殿下 → 香川県訪問

・ 香川県農業試験場視察

・ 主基斎田100周年記念式典出席・懇談

6月22日・・・両殿下 → 宮中茶会陪席

6月23日・・・両殿下 → 外務省より進講を受ける

                「水大賞」について説明を受ける

               人事異動者に会釈      

6月24日・・・両殿下 → 宮中午餐陪席

      秋篠宮殿下 → 研究会出席

6月25日・・・紀子妃殿下 → 第11回ICMアジア太平洋地域会議・助産学術集会」について

                   説明を受ける

 25日。

  皇太子殿下は愛子内親王の授業を参観。

  理科、保健体育、音楽、道徳の授業を見ていた。雅子妃は来なかった。

  ……娘の授業参観に父親が来る。しかも延々と4時間以上見ていたという事?

 

 朝日デジタル 「秋篠宮ご夫妻、心配りの25年」転載

■ 豊富な人脈生かし震災支援

 公的な活動を通じて国民の期待にこたえ、天皇陛下をお助けする――。

秋篠宮さまは会見などで皇族としての役割をそう語ってきた。

数多くの団体の役職を務めるなど、活動量は皇族方の中で群を抜く。

 象徴的だったのが、東日本大震災での慰問活動だ。

天皇、皇后両陛下の思いを受け継ぐように発生直後から頻繁に被災地を訪れた。

 2011年5月には、紀子さまと岩手県大槌町に足を運んだ。

東京から新幹線と車を乗り継いで約6時間。変わり果てた街並みを悲痛な面持ちで見守った。

 淡水魚の保存活動を通じてたびたび町を訪れていた秋篠宮さま。

震災直後の4月、親交のある町の男性に「ご迷惑のかからない時期に、

町にお見舞いに伺いたい」と伝え、翌月の訪問につながった。

 ご夫妻は友人を訪ねるように住民一人一人に声をかけ、安否を気遣った。

がれきの撤去作業をする自衛隊員をねぎらい、地元の文化保存会の活動拠点にも足を運んだ。

 大槌町在住の男性は「ご一家の存在が住民の励みになっている」と話す。

眞子さま、佳子さまも、ご夫妻の思いを受け継ぎ、ボランティア活動に参加した。

 震災支援に限らず、秋篠宮ご夫妻はこれまで培ったネットワークをもとに、活動の幅を広げている。

 「自分は多様な人々を結び、調整するコーディネーターでありたい」。

秋篠宮さまは自身がかかわるさまざまな研究分野について、

20年来の親交がある国立科学博物館の林良博館長にそう吐露している。

 秋篠宮さまは総裁などとして、多くの団体に関わっている。

共通するのが、そこに集う人たちのつながりを重視している点だ。

秋篠宮さまの提唱で03年に創設された「生き物文化誌学会」には、

研究者を始め全国各地の企業家や地域の文化人、高校の先生など多種多様な人材が集まっている。

秋篠宮さまは毎回、会員と肩を並べて前列に座り、自ら質問に立ち、懇親会では酒を手に語り合う。

 3代目会長で、秋篠宮さまが小学生のころから親交を重ねてきた湯浅浩史・進化生物学研究所

理事長は、「長い年月をかけて築いた市井の人脈が、

秋篠宮家ひいては皇室を支えているのでしょう」と話す。(島康彦、伊藤和也)

■ ご一家で支え合い

 秋篠宮さまと紀子さまの出会いは学習院大学在学中だった。

周囲も公認の仲だったにもかかわらず、記者が紀子さまに交際について尋ねても、

いつも笑顔でけむに巻かれていた。

 だが、1度だけ、記者の前で紀子さまが涙ぐんだことがある。

秋篠宮さまが大学卒業後、英国に留学中の時のことだ。当時は携帯電話やメールは

一般的ではなく、海外との連絡は時差を超えての国際電話だった。

学習院のキャンパスを散策しながら、記者が

「英国にいらっしゃる殿下から連絡はありましたか」と尋ねたところ、

紀子さまは弱気な表情を見せ、涙顔になった。

お二人の今後を案じた様子には、秋篠宮さまへの思いがあふれていた。

 秋篠宮さまが英国留学から戻った1990年に、お二人は結婚式をあげた。

それから25年。3人のお子さまに恵まれ、秋篠宮家は皇室最多の5人で構成される。

ただ、秋篠宮さま、悠仁さまと2人の皇位継承者を擁するものの、決して支援態勢は十分ではない。

 皇太子ご夫妻と愛子さまがいる直系の皇太子家には宮内庁の一部局「東宮職」が置かれ、

専従の侍医を含む約50人のスタッフを抱える。一方、秋篠宮家の職員数は約20人で、

侍医もいない。

限られた環境をご一家全員で支え合ってきた。

 宮内庁関係者によると、秋篠宮ご夫妻は地方を訪れる際、

公務に支障がない限り、日帰りを希望するという。

小学生の悠仁さまと少しでも一緒に過ごしたいという親心からだ。

悠仁さまが幼少時、ご夫妻が家を空けた際には、

眞子さまや佳子さまが自主的に離乳食を作ったこともある。

海外訪問から帰国するなり、幼い悠仁さまを抱いて歩く紀子さまの姿を見たことも。

 紀子さまは「妃殿下」として秋篠宮さまの国内外での活動に同行するほか、

宮邸内では「妻」として日常を取り仕切るなど

「何役も果たさなくてはならないお立場」(宮内庁幹部)だ。

しかし、紀子さまと親しい関係者はこう明かす。

「常に前向きで、何事にも努力を惜しまない。すごく我慢強い。

私たちにも何も言わないんですよ」(斎藤智子)

■秋篠宮ご夫妻の歩み

1965・11・30 秋篠宮さま誕生

  66・9・11 紀子さま誕生

  84・4   秋篠宮さま学習院大学法学部政治学科に入学

  85・4   紀子さま同大文学部心理学科に入学

  90・6   結婚の儀。秋篠宮家を創設

  91・10・23 長女眞子さま誕生

  94・12・29 次女佳子さま誕生

2006・9・6 長男悠仁さま誕生

■ 秋篠宮さまの主な役職

 皇室会議予備議員▼山階鳥類研究所総裁▼日本動物園水族館協会総裁▼御寺泉涌寺を護る会総裁▼恩賜財団済生会総裁▼大日本農会総裁▼大日本山林会総裁▼世界自然保護基金ジャパン名誉総裁▼日本テニス協会名誉総裁▼日蘭協会名誉総裁▼全日本愛瓢会名誉総裁▼日本水大賞委員会名誉総裁▼日本ワックスマン財団名誉総裁▼サイアム・ソサエティ名誉副総裁▼東京大学総合研究博物館特招研究員▼東京農業大学客員教授▼生き物文化誌学会常任理事

 

我慢と忍耐の25年。本当に素晴らしい事だと思います。

 


秋篠宮家創設25年目の疑問3

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 秋篠宮両殿下 銀婚式 おめでとうございます

これからもお健やかに仲良くお過ごしくださいませ

国民は秋篠宮家の繁栄を心から祈っております

1989年の8月。そのニュースは突如私達の耳に飛び込んできました。

「礼宮さまご婚約内定」ニュース。

学習院のキャンパスを父君と歩く紀子嬢は、音声がないものの

清楚な雰囲気でいかにも「女子大生」と「いう雰囲気。

っていうか、バブルのあの頃、あそこまで清楚な女性はそうそういなかった

婚約会見で生の言葉を聞いた時

「こんな時代に、こんな言葉遣いをする人がいたの?」状態。

なんせ「お答えしてもよろしゅうございますか?」ですよっ

それは「礼宮様は初恋ですか?」と聞かれた時の答え。

私なら「はい」か「いいえ」で答えそうな処、紀子嬢は

「お答えしてもよろしゅうございますか?」とお聞きになった。

そして礼宮殿下は自信を持って「どうぞ」とおっしゃり、紀子嬢は

にっこり笑って「はい。そうでございます」と答えられたのです。

また「お子様は何人ですか?」ときかれて、礼宮がじょうだんめかして

「何人にしましょうか」というと、紀子嬢は吹き出しそうになるのを耐えつつ

「それも・・よく相談して」と。

まあ、なんて奥ゆかしいのっ 誰もが思い出した。

「初恋」ってこんな感じよねっ 一途で甘くて酸っぱくて。

回りが顔を真っ赤にしてしまう程、お二人は愛し合っていたのでございました。

が・・しかし。

実は「紀子様バッシング」はこの時からひそかに始まっていたのです。

婚約時期が昭和天皇が亡くなられて半年後の事であった事が、異常に取り上げられ

「喪中なのに婚約を強行したわがままな礼宮」から始まり

「実は紀子妃は堕胎していた」やら「そもそも礼宮とは身分が違う川嶋紀子嬢は

結婚が認められるとは思わなかった」等々

紀子ちゃんフィーバーで、世間は大騒ぎしている陰で、こんな報道もいくつかみられたのでした。

 

天皇家としては1990年の11月には即位の大礼があり、どうせ結婚させるのなら

ぜひこれに参列してもらわねば困る・・・・(と考えたのが陛下なのか宮内庁なのか

それはわかりませんが)

紀子嬢は単に「礼宮のお妃」として宮中に入るだけでなく、いきなり「筆頭宮家の妃」

という立場で「即位の大礼」に臨まねばならなくなったのです。

皇太子妃不在のこの時、「筆頭宮家の妃」は皇后に次ぐ地位

国際的に大きな行事であり、失敗は許されませんでした。

もし、この時、雅子妃がいたら・・・・・と思うと、ちょっとぞっとしますよね。

 

私達国民は、ただただ庶民的で可愛らしい、だけど「育ちのよさ」を十分に感じさせる

可愛い「紀子スマイル」にまいっておりました。

礼宮とのツーショットがラブラブで、いいなあと思った人も数知れず。

そして迎えた1990年6月29日。

その日は曇っていて、とても寒かった・・・・本当に寒かったんです。

朝、ピンクのワンピースを着てご両親に「ありがとうぞんじました」とおっしゃった

可憐な紀子嬢は、颯爽と新調した萌黄の十二単に身を包み、まるで平安時代から

タイムスリップして来たのか?と思う程美しい姿を私達に見せてくれました。

まさか、朝見の儀、秋篠宮の髪を直す紀子妃の写真が物議をかもすなんて

思いもよらなかった事

朝見の儀を終え、ローブデコルテにコートをお召の紀子妃は本当に美しかったです。

コートがゴージャスで私は大好きでした。

でも、車がオープンカーでなかった事にはちょっとがっかり。

窓から手をふられる紀子様は、一瞬にして「秋篠宮妃」として存在していました。

この時、必死に「お妃らしく」振る舞おうとされたのでしょうね。

そして、宮邸について、着替えて庭で取材を受けた時の姿を見てびっくり。

え?あれが宮邸・・・・・?

申し上げておきますが、事大はバブル最終期。

結納金は100万。婚約指輪はダイヤで給料の3か月分、新婚旅行はヨーロッパ

やニューカレドニアが当然だった時代ですよ。

新しい宮家の誕生に、てっきり宮家を新築するのだとばかり思っていたのに

なんと職員宿舎とはっ

 

それでも「そのいち新築するんだろう」と思っていました。

だって皇族だし、筆頭宮家だし。

ところが!

「学生結婚なのに新宮邸は贅沢」と言われた(誰に?)為に

延々とこの職員宿舎にお住まいになったのでした。

確かに学生結婚に違いないのですが、でも、お二人は若い皇族として

両陛下と皇太子に次ぐ立場。

賓客をもてなす事もあるでしょうに・・・・・何で宮邸を新築しなかったのでしょう。

秩父宮妃がそのあまりのみすぼらしさに

「自分が死んだらこの宮邸を使って」と遺言を残され、やっとお引越し。

一時、秩父宮邸より広い高松宮邸に移るのでは・・・・という噂がありましたが

それも「辞退」

悠仁殿下が生まれた時はプレハブで増築でしたっけ?

 

申し上げておきますが、平成になって吹上御所は新築されました。

東宮が結婚する時も東宮御所が大幅に改修され、その後も改修されました。

高円宮邸も改修されています。

というか、末端宮家が宮家を創設する時には「職員宿舎」という選択はなかった

んですよね?

 

なぜに秋篠宮邸は新築される事がなかったのか。

今もって疑問です

学生結婚でも学問も公務もしっかり務め、さらにお子様を産んで育てていらっしゃる。

その「成果」をなぜに認めて差し上げなかったかと。

「両陛下の強い思い」はこういう時は絶対に出て来ませんけど

それだけではなく、私達は小さな眞子姫や佳子姫の着袴の儀の画像すら

見せて貰えないのでございますよ。

確かに秋篠宮家への様々な「遠慮の強制」は雅子妃入内以後、表面化しましたが

実は結婚当初から、なにかにつけて「遠慮」させられてきたのが事実ではなかと。

その理由はよくわかりません。

 今上と常陸宮兄弟の親密さがない事

大正天皇まで一人っ子だった皇室は秩父宮が生まれた時

「天皇の弟」への扱いに苦慮したと言います。「弟」とは何をする人なのか

近代の皇室にそんなマニュアルなど絶えて久しかったからです。

慎重派の昭和天皇に対して、一つ違いで「スポーツの宮様」と呼ばれた

秩父宮はとても人気があり、一時は「擁立」を考えた人がいる程。

高松宮は有栖川宮家の祭祀を受け継ぐというちょっと特殊な宮家。

そして末っ子の三笠宮は、思うに兄宮と年齢が離れすぎてあまり親しみを

感じた事はなかったのではないかと思われます。

 

昭和天皇に皇太子が生まれなかったら、皇位は間違いなく秩父宮に移って

いたろうし、その後は三笠宮系統で繋がっていたかもしれませんね。

今上と常陸宮は兄弟とはいえ、あまり親しさを感じません。

幼い頃から別々に暮らしていたという事もあるでしょうけど、「弟」として

あまり期待されていなかったせいもあるのではないかと

(それは公務ではなく、やっぱり世継ぎの話で)

今上は現皇太子程「弟」にライバル心を燃やしたことなどないでしょうし

弟が自分に匹敵する立場になるという事も考えてはいないでしょう。

(古い話ですけど、日揮事件でぽしゃった常陸宮様の喜寿のお祝いは

どうなったんでしょうか?陛下が「中止」にしたのですけど)

要は気遣いがないんですよね。

 

現代、皇太子と秋篠宮で逆転現象が起きています。

「兄と弟、どちらが天皇にふさわしいか」という事です。

世継ぎのいない兄、世継ぎをもうけた弟。

本来なら皇統は弟に譲られるべきであり、それ相応の扱いを受けるのが当然。

しかしながら、今もって秋篠宮家は沈黙と遠慮を押し通しています。

けれど、依頼される公務の質や量が、今までの宮家の比ではなく、どの宮家も

経験した事のない立場の「重み」というものが秋篠宮家にはあるのです。

沈黙も遠慮もしていられない状態になっている筈です。

もはや「長幼の序」は逆転しているのだという事に両陛下も気づいて頂きたい。

本当に将来の皇室を憂えるなら、目の前にいる皇統」を大事にして頂きたいです。

 

 

 

 

ラブラブ25年目の対談  1

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 秋篠宮両殿下は25年目の結婚記念日に対して「文書」ながら

対談形式で思いを綴られました。

 

  結婚25年にあたって

〈出会い〉

 秋篠宮 「今年は結婚をしてから25年が経つようです。

       時間は常に経過していますので、取り立てて25年に意味づけをするものでは

       ないと思いますが、少し振り返ってみるのも記憶と記録を整理する上で

       よい機会かもしれませんね。

 紀 子 「はい。私たちの今までを整理する方法のひとつとして、

     対談の形もあるのではないかとのお話になりました。

     このような形に慣れておりませんが、どうぞよろしくお願いいたします。

秋篠宮 「もっとも、結婚する前にしばらく付き合っていた時期があるので、

      そのあたりから始めましょうか。いつのことか覚えていますか?

紀子 「30年位前になりますでしょうか。私が大学1年生の春、

    本を探しに大学内の書店に立ち寄りましたとき、初めてご挨拶をさせていただきました」

秋篠宮 「私の記憶に間違いがなければ、1985年の5月のことです。

      ちょうどそのころ、各地の文化や自然を楽しむことを目的としたインター・カレッジの

      サークルを作ったので、そこに誘ったところ喜んで入ってくれました。

      白川郷の合掌集落などずいぶんあちらこちらに出かけましたね。

紀 子 「はい。いろいろなところを旅行して、地域の豊かな文化や多様な

     自然にふれることができました。

秋篠宮 「そして1986年、ある集いがあった後、あなたを送っていく途中に…。

紀 子 「二人で信号を待っておりましたとき、突然、将来のことについてのお話があって、

   びっくりいたしました。大学卒業後は、海外の大学院に行くことを考えていましたので、

   どのようにお返事をしたらよろしいかと迷い、考えさせてくださいとお話しさせていただいて。

〈結婚にむけた準備〉

秋篠宮 「少し時計の針を進めましょう。私が大学を卒業したのが1988年ですが、

       その年の夏から暫くの間英国に滞在しました。

       この間、昭和天皇のご不例と崩御があったことから、

      しばしば日本に帰ることになりました。

      日本にいる間は、諸行事に参列するためだったのですが、そのおりに、

      将来のことについていろいろと話す機会にもなりました。

      そして、1989年の9月に公表するに至りました。

      これはいわゆる結納に当たる正式な婚約ではなく、皇室会議の議を経て

      婚約が内定したということを発表する機会でした。

     服喪中のこうした発表は異例なことと思った人がいたようですが、

    1951年7月の順宮(現池田厚子)様の発表は貞明皇后の崩御から約2ヶ月後で、

     しかも当時参考としていた旧皇室服喪令によると、

    私たちの発表時期より一段階重い

    服喪期間中でしたので、手続きを終えたという発表は前例にもあり問題ないと

    宮内庁は判断したわけです。

    そして、私たちの結婚の時期についてです。

    秩父宮両殿下のご婚儀が1928年9月末で、昭和天皇の即位の礼が

    同年の11月初旬。

    その間は2ヶ月もなく、大変だったことを両陛下が聞いていらしたそうです。

     そのようなことから、私たちのときには、結婚から同じ年の11月予定の即位の礼までに

     ある程度の時間があったほうがよいとのことで、私が帰国した直後に式が

    おこなわれることになりました。

紀 子 「とてもありがたい思し召しを賜り、感謝申し上げております」

秋篠宮 「話が少し前後しますが、昭和天皇の一周年の行事が終わり、

      私は1990年の1月から6月にかけては英国に滞在していたわけですが、

      その間、新たに住む家については、あなたに任せきりでした。

      もっとも、改築の平面図を見てもイメージすることができない私より、

      多少は空間認知に優れているあなたが見る方がよかったのは明らかでしたが。

     今のは自分にとって都合のよい言い訳なのですが、

     実際のところ帰国したのが6月21日で、6月29日の結婚式までは

     約1週間しかなかったことを考えれば、新居での生活の準備は完全にあなたへ

     依存していたわけで、このことについては申し訳なかったとしか言いようがありません。

紀 子 「いいえ。むしろ、英国よりのご帰国を待っていたのかのように、

     式までの約1週間、宮中行事の習礼(しゅらい)をはじめ、

     関係者とのこまかい打ち合わせが多くおこなわれましたが、

     時差がある中、大変ではありませんでしたか。

秋篠宮 「幸いなことに、私は一般的に言われていることとは逆で、若いころは東へ向かうほうが

     時差の影響が少なかったため、それで大変ということはなかったと思います。

紀 子 「新しい生活にむけての準備や支度は初めてのことばかりで、新居について、

    相談をしたいと思いましても、当時は連絡手段としてメールはまだ普及していなくて、

    電話やファクシミリで、英国との時差もあり、すぐには連絡がとれない状況でした。

    式までに考えるべきこと、決めるべきことがたくさんあり、大学院の講義も受けていましたので、

   時間が経つのが早く、準備を終えられるか心配でした。

   そのような中、宮内庁の職員が、改築や内装をはじめ、よく考え、提案してくれました。

   そばにいらしてくださったら、どんなに心強いかしら、と思うことはありましたが、

   いろいろな人の助けを借り、用意をある程度進めることができました。

   帰国されたときは、本当にうれしく、それまでの不安もどこかにいってしまうくらいでした。

 もおうっ 勝手にしてっ 羨ましいっ それだけっ

 一度だけ、紀子妃が記者達の前で涙目になった事があった裏にはこんな事が。

   新居について任せきり・・・普通は「私の好きにしていいのね」だけど、公のお客を

   迎える事もあるし、宮邸として恥ずかしくない調度を整えなくてはならないし。

   泣きたくなるよね。

 順宮と秩父宮の結婚も服喪期間中だったんですね。

  でもあの時のマスコミはかなり「異常事態」と騒ぎました。じゃあ、一体

  あそこまでバッシングしたマスコミはなんだったのよっ

  宮内庁が庇わなかったからでは?

  両陛下も「前例がある」とわかっていたら、誕生日会見等で少しは言って

  あげてもよかったんじゃ。

 

ラブラブな25年目の対談  2

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 結婚の日と生活

 

秋篠宮 「さて、1990年6月29日の結婚の日は、結婚の儀にはじまり朝見の儀、

       その他の諸行事が朝からたくさんあり、夜の10時頃でしょうか、

      一息ついたときにようやく結婚したことを実感した記憶があります。

      もっとも、その翌日からもいろいろと行事があったので、

      何となく慌ただしかったですけれどね。

紀子 「はい。このよき日の行事を滞りなく終えたときは、安堵(あんど)いたしました。

    大学院生としての日々から、公的な仕事をする生活となったことは、大きな変化でした。

    そうした中で、折にふれて、両陛下が導いてくださり、あたたかくお見守りくださいました。

    各宮妃殿下方にも、行事の所作や服装などを丁寧に教えていただきました。

    さまざまな形で多くの人から支えられましたことを、ありがたく思っております。

秋篠宮 「少しばかり新居となった家のことを話しましょうか。というのは、

       私にとって10年ほど過ごしたこの家には、けっこう思い出があるからです。

      当初、宮内庁は新婚の我々のために、仮住まいではあるけれど同じ場所に

     新たな家を建てることを考えていました。しかし、いずれ何処かに居を構えるのに、

      仮住まいのためにたて直すその計画は無駄が多いように思い、

     現存している建物を一部改築して使いたい旨伝えました。

      たしかに大勢の人とそこで会うのには適当ではありませんでしたが、

     こぢんまりとしていたぶん、非常に落ち着く場所でもありました。

     玄関を入って少し大きな声で呼べば、どこにいても大抵聞こえたのではないでしょうか?

     結婚後の生活をあの家でできたことはよかったと思っています。

紀 子 「約60年の木造家屋を、二人で過ごせるように直して、新しい生活がはじまりました。

     そして、娘たちの誕生にあわせて部屋を増やしました。

     その中で、娘たちは成長していき、子どもたちの元気な声が響き、

     ギターやピアノの音もよく聞こえる、温もりの感じられる家でした。

秋篠宮 「今の家からは近くにあるので、この前行ってみたのですが、

      子供たちが小さい頃に遊び回っていたことを想い起こし懐かしく感じました。

      彼女たちも気に入っていましたよね。

紀子 「はい。今の家に移りましてから、またあちらの家で住みたい、と娘たちが話して

     いたこともありましたね。

 

〈日本国内・海外の訪問などに関連して〉

秋篠宮 「ところで、結婚後には公的私的は別にして、日本の各地や海外を訪問する

      機会がたびたびありました。

      また各種の行事にも出席をしてきました。訪問場所や行事そのものというより、

      それらに関連して何か印象に残っていることはありますか?

紀子 「この25年の間に、日本国内、国外でいくつもの場所を訪問し、行事に出席いたしました。

    そして、さまざまな出会いがあり、多様な分野の人のお話を伺ったり、

     取り組まれている活動を見せていただいたりするなど、貴重な経験をいたしました。

秋篠宮 「そうですね。各地で温かく迎えてくださる方たちがいることは、

      うれしいしありがたいことです。

紀 子「また、健康作り、子育て支援や食育など、幼児から一人暮らしの高齢者まで地域の人々の

     暮らしを見守っている方々にも多くお会いしてきました。心強い活動と感じています。

秋篠宮 「私の場合には、たとえば学術や環境関係の授賞式等でご縁の

      あった人や団体が、その後さらに発展した形で社会への

      貢献をしたときなどは、とてもうれしく感じます。

     公的ということに関連して、あなたもよく知っているように、

    皇族には国事行為の臨時代行以外に公務は存在しません。

    あくまで公的な行為もしくは活動であり、言葉としてきちんと区別するべきものと考えます。

    そのような公的な仕事は、公務と異なりある程度自分の裁量で

    取捨選択ができてしまう。そのようなことから、声をかけていただき、

    それらが適当と判断されたものについては、

    できるだけ応えるように心がけてはいます。

紀 子 「私もそのように努めてまいりました。

      そして、公的な活動でも、生活の中でも、宮家に関わる宮内庁や

      皇宮警察の職員をはじめ、さまざまな形で支えてくれる人たちが

      いることを大切に思っています。

秋篠宮 「いっぽう、これは私的なことになりますが、

     国内外であなたとは一緒でなく訪れている場所もけっこうあります。

     なかには、一緒に行ってみたい場所もありますので、

     近い将来の楽しみとして考えることにしましょうか。

     ちなみに、この時は眞子と一緒だったのですが、

     かなりの悪路ではあるものの、マダガスカルのチュレアールから

     ムルンベへ行く途中に3種類のバオバブやパキポディウムを見ることができ、

     コーデックス好きにとっては素晴らしい12時間半のドライブを楽しみました。

     もちろん、ほぼ同じ時間をかけて帰ってきたのですが、

      ムルンベのバオバブの景観は本当に素晴らしいですよ。

紀子 「いつか見てみたいですね。

 

〈子どもたちのこと〉

 紀子 「子どもたちが小さいときは動物園や博物館にでかけ、また、一緒に旅行もしました。

      その他にも、子どもたちとはたくさんの思い出がありますね。

秋篠宮 「先日、英国にいる眞子から父の日のカードが送られてきました。

      普段は必要最小限の連絡事項をメールでしているだけなので、

      妙にうれしい気分になりました。久しぶりだったからかな。

 25年前、新居についてもあれやこれや報道されていた事を両殿下は

  御存じです。私は殿下のこの言葉を100%信じているわけではありませんが

  ここは「お察し」して先手を打ったと見るべきかもと思いました。

 

ラブラブな25年目の対談  3

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紀子 「すてきですね。私も眞子より母の日に羊の親子のカードを受け取りましたときは、

    胸が熱くなりました。

秋篠宮 「佳子とは比較的最近のことですが、珍しく一緒に買い物に出かけたことがありました。

      父親にたいしてつっけんどんな態度のことが多いのですが、

      意外と優しいところもあり、私が自由に選んだものについて、

      代わりに会計をしてくれました。もっとも、帰りに彼女にそのまま荷物を

      持たせていたら注意されましたけれどね。

紀子 「ほほえましいですね。佳子が小さかったとき、

    誕生日によく手作りのものを贈ってくれました。

     幼稚園のときだったでしょうか。私の誕生日に2つの贈り物を考えていたのですが、

     先に作った貝殻の贈り物を私に見せたくて、早めに渡してくれました。

     そのあと、誕生日にもうひとつの贈り物をもらい、

     お祝いを2回してくれた、かわいらしい思い出もあります。

秋篠宮 「悠仁もしばしば折り紙などの作品を届けてくれます。

     上の子どもたちと同様、もらったものには年月日を付して

    、飾ったり、保存したりしています。

     最近は、絵も上手になってきましたね。

     自分が絵を描くことが下手なので言うわけではありませんが、

    何かを観察してそれを絵として表現できると旅をしたときの記録として

    意味が出てきますので、どんどん描いてほしいものです。

紀子 「絵を描いたりするほかにも、切り紙をしたり、

    厚紙で入れものをつくったりしながら、

    いろいろなものを創り出すことを、悠仁は楽しんでいますね。

    私たちの手許(てもと)には、子どもたちの小さいときからの作品がいくつもあります。

    どれも大事な宝物。普段なにげなく描いた絵から、

     本に登場する主人公や生き物などを描いたものが廊下の壁にかかり、

    折り紙やペーパークラフトが部屋に飾られています。

 

〈結婚したころと今と〉

 紀 子「 ここで、結婚したころと、それから25年たった今のお気持ちを伺ってもよろしいでしょうか?

秋篠宮 「このような機会がないと考えることもないですからね。

       1990年というのは、ついこの間のことのように思えますが、

       やはり相応に時間がたっているということを感じることはあります。

      仕事や研究などでいろいろな事柄を解釈・判断するときに、

      若いころでは思い至らなかったことが多々あると感じます。

      そのことで、ずいぶんと周りに迷惑をかけたことがあるように思います。

     もちろん、いまだに不十分で、反省と後悔すること多々ありです。

     精神年齢が未だ20代から進化していないのでしょう。

紀 子 「私も結婚をしたころは、慣れないことや戸惑うことがあり、考えすぎることや

    力を入れすぎて、ご迷惑をおかけしたことがいろいろあったのではないでしょうか。

    今は遅ればせながら、力を抜くこつが少しずつわかってきたように感じていますが。

    このようなことにも「進化」という見方があるのですね。

     今でも、20代のときのような探究心や若々しい感性や創造性をおもちに

    なっているのではないでしょうか。

    例えば、研究会に参加されているときには、そのように強く感じることがあります。

秋篠宮 「たしかに研究会等への出席は、今まで自分がもっていなかった知識を

      得る機会にもなり、有意義に感じることが多くあります。ま

      だまだ好奇心は残っているなと。出かける前と帰ってきた後とでは、

      テンションが違うと感じることがあるでしょう?

紀 子 「はい。お話しくださる様子から、心がはずむ時間を過ごされたのではないかと

     感じることがあります。

秋篠宮 「いっぽう、フィジカルな面は劣化していますね。

     走り回ることについては、佳子が小学生の時にリタイアしてしまいましたが、

    最近不便に感じているのが老眼。

    もともと遠視があったので遠からずそうなるだろうと予想はしていましたが、

    眼鏡が放せなくなってしまいました。まあ、いたしかたないことではありますが。

紀子 「私も小さい字が急に見えにくくなりました。

     また、疲れたとき、回復する時間が以前に比べてかかるようになりました。

      毎朝のように散策をされたり、休みの日には庭仕事をされたり、

     よく身体を動かされていますね。週末は、散策に私も誘ってくださいますので、

      四季の移り変わりを感じながら歩くこの時間は、健康のためにも、楽

     しみのためにもありがたいです。

秋篠宮 「25年というと、親・兄妹と過ごした年月より長く一緒にいたことになります。

      それだけの期間をともに過ごしていれば、共有することができた貴重な経験は

      数多くあります。また、誰かの言葉を借りれば導火線が短い私ですので、

      口論も多々あるのはごく普通のことでしょう。そのようななかで、

      ほとんど言葉に出さないので不満かもしれませんが、

      感謝の気持ちもきちんともっていますよ。

紀子 「それはうれしいです。

秋篠宮 「さまざまな書類、私の所に届くまでに不明な点などを整理しておいてくれますね。

      これは非常に助かっています。

紀子 「まだまだ至らないところもあると思いますが、そういう面でもお役にたっておりますなら、

    幸せです。

秋篠宮 「また、昔から何故か階段を踏み外しやすいことから、階段のあるところでは

     、滑り落ちないようにさりげなく支えてくれていますね。

     周囲から見ると、私があなたを支えているように見えているかもしれないけれども。

 顔から火が・・・・出そうな程ラブラブ。

   照れながらおっしゃる秋篠宮殿下とそれをさらりとかわす紀子妃。

   絶妙だなあ。

 

ラブラブな25年目の対談  4

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紀 子 「こちらこそ、いつもこまやかにお教えくださり、また健康面も気遣ってくださり、

     深く感謝しております。

     また、一緒に生活をするようになってからわかったことですが、

     食べ物の好き嫌いがほとんどありませんね。私は、いくつか苦手なものがありますが…。

     食材を自由に選ぶことができて、助かっています。

      旅先でもいろいろな郷土料理を一緒に楽しむことができ、

      食文化に親しむ機会が増えたように思います。

      ほかにも、用事が立て込んでいましても、余裕をもって時間を守られていることには

     敬服しております。

    私は自分の時計の針を早く進めても、遅れ気味になってしまいます。

    もっとも、行事の前に私のところにいらして、あと何分と言われると、

   プレッシャーを感じますが…。

     お互いの気づきや発見がいろいろあり、自分と違う考え方だなと感じるいっぽうで、

   共有できる見方もありました。また、理解するのが難しかったこともあれば、

   言葉を交わさずとも心が通じ合うようになり、助けられたことも多々ありました。

秋篠宮 「そうですね。結婚するまでまったく異なるところで暮らしてきたわけですから、

      考え方などで共有できるところとそうでないところがあるのは当然のことでしょう。

      その上で、我が家の場合に限って言えば、経験を共有することと

      趣味を共有しないことがよかったと思います。

      経験は共有することで将来的に発展しますが、

     趣味、たとえば、あなたが瓢箪(ひょうたん)に興味をもってそれを共有したとすると

     競ってしまいますので、良好な関係でなくなる可能性大です。

     趣味はそれぞれ楽しみましょう。

紀 子 「それぞれの趣味もありますが、一緒に音楽を聴いたり、自然に親しんだり、

     旅行にでかけたりという時間も楽しいですね。

〈夫、妻、親として〉

秋篠宮 「さて、ときどき夫もしくは親としてどのように認識されているのか

     気になることがあります。あなたも同様でしょう。最後に評価でもしてみませんか?

紀 子 「気にしているかどうかわかりませんが、面白そうですね。

秋篠宮 「本来であれば、第三者、まったくの第三者というわけにもいかないので、

      私以外の家族に委ねなくてはいけないのでしょうが、

      それをするにはまず自らを振り返ることが必要です。

      とはいうものの、あなたと子どもたちから私の評価を聞くことは、

      今までの自分の行いを考えると少し怖い気もするので、

      今回はあくまで自己点検・評価でいきましょう。

     きちんとした項目立てをして、優・良・可・不可で客観的に点検および評価を

     したわけではありませんが、漠然としたメルクマールからすると、

     私の場合には限りなくボーダーラインに近い「可」といったところでしょうか。

紀 子 「私も仲良く「可」にいたします。いろいろな可能性を秘めている

      「可」ということでいかがでしょうか。

秋篠宮 「おたがい、改善点が多いということですね。

      「良」や「優」は、今後の努力目標とすることにしましょう。

紀 子 「はい。これからも、可能性を大事にしつつ、努力目標にむけて一緒に年を 

     重ねていくことができれば幸せに思います。

秋篠宮 「それでは、このあたりで終わることにしましょうか。

紀 子 「そうですね。ありがとうございました。

 導火線が短い殿下ならではの「プレッシャー」

   長く付き合っていても「うるさいわね」と思いそうなものですが。

   はっきりと「「プレッシャーです」と言えるから、適応障害にならないのだと思いました。

 また「可」という評価。こんな評価のつけかたもあったのだと思いました。

   私達はついつい両陛下にならって「感謝状」だとか「100点」だとか想像しがちですが

   「可」でいいですよ。結婚50年目に「優」になっていれば。

   謙虚で素晴らしいなと思います。

 ご結婚記念日、本当におめでとうございます。

   これからもご家族仲良くお過ごしくださいませ。

 

 

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