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Channel: ふぶきの部屋
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まだちょっと体調が

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 まだ調子が・・・・

平気な時は平気なんですけど。春が終わってしまえばいいのに。

(まだ始まったばかりなのに)

毎年この時期は体調を崩しますしね。でもお仕事には行ってます。

体調・・・といえば、昨日、仕事中にヨンジュナから電話があって。

ヨンジュナ、一人が帰って来て一人でくもんへ行く予定だったんですが。

「ママ、お腹痛いの」

(出たよ出たよ・・・またオサボリかい)

「でもくもんにはいかなきゃ」

「一人でバスに乗れないくらい痛いの・・・・休んでいい?」

「・・・・いいよ。でも次はちゃんと一人で行くんだよ」

「うん。携帯で指切りげんまんするね」

といって電話口で大声で歌っておりました。

私って甘い と思いつつ、仕事を終えて家に帰ったら・・・・・

ヨンジュナはグーグーと熟睡しておりまして。

「あれ?本当にお腹、痛かったの?」

慌ててしまった私ですが、目が覚めた時にはケロリとして

それでも「ママがそばにいないとお腹いたいよ」と言い続ける息子でした。

最近、小学校における「韓国化」というのが問題に・・・いえ、問題にしているのは

多分私だけだと思うんですが。

給食のメニューに韓国料理が並ぶことも普通になりつつあります。

びっくりしたのは、今年の「6年生をおくる会」の劇が

「さんねん峠」になった事。これって韓国の民話なんですよ

最初聞いた時はびっくりして言葉も出なかったのですが。

それをまあ、ヨンジュナは・・・・・自分がキャストでもないのに全部覚えてて

独りで語ってくれました そういう記憶力だけはあるのね。

でも、なんで「さんねん峠」なのよ 無意識だとしても時世にそぐわないでしょ。

そういう無頓着な意識が困ってしまう元なんですよね。

そのうち、本気でアリランを歌うようになるかも。そうなったら断固反対運動!!

たとえ教師が左翼教育をしても我が家では認めない。

韓国ドラマをみながら姫がいいました。

「なんでこうも屈託なく嘘をつくことができて、その為に大粒の涙が流せるんだろう」

それは私も感じていた事。

ドラマには必ず陰謀を張り巡らして人を陥れる女が出てきますが

たいてい、「嘘」を語る時、語る前からすでに目には涙がたまってます。

この「涙」が嘘か本当か、なんで涙なんだろう・・・本気で泣いているようにみえる

というか、泣いている時は本気なんだよね。

相手を責める時、相手の弱点をつく時、嘘で塗り固めようとするとき

韓国人は「泣く」のです。大粒の涙を流して。そこにあるのは「本気」です。

これを馬鹿にしてはいけない 

ほっとけばいいと思ってはいけない。これに対処しないと「従軍慰安婦」

問題の嘘は暴けない。

なぜってハルモニ達の涙は「本気」なんだもの。

彼女達が語る時、それがたとえ嘘であっても、そこに「生き残り」をかける

必死さがあるのだから。

こちらが相手にしなかったら余計に泣くでしょ。世界的に「涙」には弱い。

そこに「正しさ」で対処すると、かえって失敗する可能性があるのです。

相手を「悲劇の主人公」にさせない事が重要です。

キム・ヨナに代表されるように、かの国では子供が自分の人生を

自由に選べない。そこに必ず「親」という存在が関わってくるという

お国柄があります。

「親」というのは、その子を産んで育ててくれた存在であるので「感謝」を示すこと

「恩返し」をする事が当然であると考えるからです。

これは中国も同じです

日本だって本来はそうなんだけど、違うのは親側からそれを口にしない事。

例えば・・・・学歴社会の中国で39度の熱があっても勉強させられる子供が

「お母さん、少しは私の苦しみもわかって」というのに親は

「お前こそ私達の気持ちをわかるべき。こんなに大変な思いをして育てて

いるのだから恩返しをしておくれ」という。

多分にキム・ヨナの親も同じような気持ちではないでしょうか?

娘が何かを達成出来なかった時、親は「でもよく頑張ったよ」と慰める。

しかしかの国では違うのです。

「こんなに苦労してこんなに頑張ってみじめな思いをして来たのだから

何が何でも報われなくてはいけない」と思う。そこに「諦め」はないって事。

娘が疲れ切って「もう辞めたい」と言えば「ここで辞めたら何もならない。

またゼロに戻る」と言って励ますのはあちらの親です。

そういう意味では、常に子供の人生を優先的に考えようとする日本の親は

涙ぐましい。

しかし、その涙ぐましさに甘えて「誰も産んでくれと頼んでない」だの

「束縛するな」と言い募る子供も多いですが。

その象徴的な家族が「東宮家」でしょう。

皇太子は長男に生まれたくて生まれたわけではない。皇室に生まれたくなかった。

それを散々責められたら・・・両陛下世代の親はどうしていいかわからないんでしょうね。

自分達が戦前の役割を引きずりつつ戦って来た立場だから、

子供がのもっと自分のやりたいようにさせて」という気持ちが痛い程わかる。

そこに「それでも立場を優先しろ」とか「親のいう事を聞くべき」という論理は

通用しないんだろうなあって。

 

先週の「日本人妻は見た」でちょっと違和感があった事が。

福島出身の彼女が東京に住んでて、外国人の彼氏と会う為に2011年3月12日に

成田を出発する・・・という前日、震災が起きたわけ。

福島の実家は幸いにして全員無事だった。

「すぐに帰る」という娘に親が言ったのは

「飛行機に乗ってカレシに会いにいけ」だった。

何でもその渡航が結婚を決める大事な節目、ある種の「賭け」だったそうで。

娘は悩んだ末に飛行機に乗ってカレシの元へ

美談仕立てにしてあったけど、私は納得がいきませんでした。

いくら家が無事だった。誰も死ななかったとはいえ、あれだけの震災が起きて

なのに「彼氏に会ってくるべきだ」と言った親。それに励まされて本当に

行ってしまう娘・・・というのが今一つ。

これを「個人の幸せの尊重」と言ってしまっていいものかと。

アメリカなどでも本当に飛行機に乗る人はいないんじゃないか。

個人主義を謳歌している自由の国においても、一番大事なのは「家族」であり

その切っても切れない繋がり、煩わしさに日々悩まされるからドラマが生まれる。

でも、日本ではその「家族の煩わしいつながり」がばっさり切り落とされて

それでよしとされている。

だからドラマが出来ないし、つまらないのです。

「執着」は日本において最も嫌われる事。だけど、まるでのりがはがれたように

家族の間もぱりんと剥がれ落ちている様な寒さを覚えるんですよね。

 

お腹痛いのにーーー 

 


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