昨日の夕方まで、学習院前での内親王はあいさつなしだった
筈ですが、夜の報道では「楽しかった」としゃべった事になっています。
これはねつ造ですよね・・・・・
そこまでやるか。東宮家。
ではレポいきまーーーす
週刊新潮 「学習院初等科」卒業式に宮内庁記者」と激しい冷戦
「愛子さま」お言葉の機会を
断固拒否した「雅子妃
皇室ウォッチャーの思い出。
「初等科の校門付近を警備しているお回りさんが、ある時
私達に近寄ってきて、こう吐き捨てたんです。
「モンペっているもんだよな」って」
モンペ=モンスターペアレント → この言葉が誰に向けられたものだったのか
理解できないウォッチャーはいなかった。
14日の小町東宮大夫の定例記者会見。
報道陣 「卒業式で愛子様及び両殿下の様子を取材したい。愛子様本人の
感想をお聞きしたい」
小町 「無理でございます」
報道陣 「入学式の時は学校の敷地内に入ってもよかったじゃないか」
小町 「保護者の関係もありますから」
報道陣 「(我々の意見を)承らないんですか?」
(小町の口癖を揶揄)・・・・「承る」が小町大夫の口癖なんですね。
→ 校門前の一家写真が許可されたのみ。
報道陣 「せめて皇太子の感想が欲しい」
小町 「2月23日の会見で随分おっしゃっているので、それを参考にして
頂きたい」
小町大夫が頑なな姿勢を貫いた理由は
「ジョギング中の皇太子が足を痛めた為、登山の予定日が変わった事を
週刊誌が書いた。オフレコの約束だったじゃないか。信頼関係を損ねたのは
そっちなんだから、報道姿勢を改めるのが先だ」
めちゃくちゃな言いがかり
ここまでやるのは雅子妃の「過保護」「過干渉」
2014年9月の「校外学習事件」
「愛子様にとって初めての「お泊り学習」、雅子さまはその全行程を「追尾」したんです」
「愛子さまたち児童が載られたバスを、雅子様はアルファードで追いかけ、
児童たちと同じホテルに宿泊。青木ヶ原樹海の蝙蝠穴と呼ばれる洞窟を
探索した際には雅子様と愛子様が遭遇してしまい「あら偶然ね」と雅子妃が
取り繕う一幕も」
雅子妃は一粒種の愛子様から一瞬たりとも離れられない異常な状態に
あるのではないかとの憶測を呼んだ。
余談・・・雅子様が愛子様を追いかける一方、皇太子さまは初等科から
出発するバスをその姿が見えなくなるまで手を振って
見送っていた。
将来の天皇が一般の母親に混じって我が子に
延々と手を振り続ける姿には違和感。
保護者達は「逆一般参賀事件」と命名。
ちなみにこの追いかけっこには3000万円かかったとか。
のちに女性週刊誌等を通じて「学習院が同じホテルに泊まれと言った」
「バスに同乗させてくれなかった」と言い訳と恨み節を炸裂させました。
「逆一般参賀事件」とは賢い命名。っていうか・・・想像すると憐れすぎて。
たった一人で手を振り続ける次の天皇ですよ。
2011年9月の月曜日事件
「その月のある週末、愛子様は一人で登校。平日もそれが出来れば愛子様の
自立を意味するのではと学習院関係者は期待。しかし、月曜日の3時間目に
雅子妃が初等科に駆けつけ、結局、二人で下校。周囲を落胆させた」
朝は一人で行き、3時間目に登場した雅子妃。
まさに「監視」状態のお局様のようですね・・・・不気味で怖い。
2010年12月「かまぼこ事件」
「当時3年生だった愛子様は初等科の恒例行事である、神奈川県小田原市の
かまぼこ工場見学に参加されたのだ、、他の児童が一緒にバスで行ったのに
愛子さまだけが別行動で。雅子さまとアルファードで現地に向かわれた」
そうそう。こんな事もありましたっけ。
警備がすごくて山中湖同様、児童が怖がったとの記憶が
小学生にも関わらず4万円の高級ブランドバックを持たせた
「ブランドバッグ事件」
皇太子殿下一人に行啓を任せ、雅子妃と愛子様はお友達と
スケートに興じられた事件。
この時、スケート場は江戸川区。皇太子の公務は幕張。
近距離すぎてマスコミに突っこまれた野村大夫の言い訳は
「県をまたいでの公務は無理」という支離滅裂なものでした。
愛子様に付き添うために園遊会を欠席した「公務軽視」
さらに年々、初等科の運動会に参加する関係者に制約が増えるなど
愛子様を社会から隔離」する傾向はその度を増して行った・・・
ブータン国王夫妻来日中にも関わらず、愛子内親王の付添をして
お出迎えも晩さん会も出なかった事件。
皇后誕生日に自分は参内し、愛子内親王には自宅待機をさせ、戻ってから
6時間目だけ一緒に登校した「時差登校事件」もお忘れなく。
11月の学習院試験休み期間中にマスコミに映像を公開するのが嫌で
愛子内親王を東大病院に無理やり入院させた「プチ家出事件」もあるよー
「愛子の学校が休みでないと泊まりがけや地方公務は無理」事件も。
こうした事件の引き金は「イジメ事件」
「いじめ事件」以来、1年半以上にわたる雅子妃ないし皇太子殿下による
登下校付添、そして雅子妃が授業の様子を見守る「一人授業参観」が
始まった。
学習院保護者の回想。
「愛子様は給食の時間も愛子様に付っきりで他の児童と離れた貴賓室で
食事をとらせていましたが、授業はみんなと一緒に受けられるのに、
給食だけダメというのは筋が通らない。
愛子様は食事をゆっくりとされる方ですが、学習院には全て食べきらないと
昼休みに吾ぞべないというルールがある。要は早く遊びに出させるべく
食べ残しても咎められないですむように考え出された「抜け道」だったのでは
ないかと勘繰りたくなります」
不登校の原因は給食だった やっぱり そんな感じでしょうか。
「付添は車で行われる事が多かった。
でも、雅子様がいらっしゃるんですから、イジメから守る為であったとしたら
歩いて行き帰りした所で何の問題もない。
しかも、初等科では車での送迎が禁止されているんです。
つまり、イジメを理由にして、単に雅子様のわがままで、可愛いわが子の
特別扱いを通していたにすぎない気もします」
とどのつまり、この6年間の「事件」の数々は、イジメだけに由来
するものではなく、雅子妃による「愛情過多」が招いたものと
見られているわけだ。
雅子妃による「愛子様囲い込み」によって、卒業式での愛子様の
コメントも認められず、初等科入学から卒業まで、一切肉声が伝わらない
事になった。
初等科入学どころではなく、2歳10か月の時の「もういいかい?」映像が最後。
「もういいかい?」映像は影武者だったと言われてます。
つまり生まれてから一度も肉声がない内親王なんですね。
6年間、愛子様の担任をしていた女性教員は、不登校問題が起きた時、
目がくぼむ程の心労に見舞われた。愛子様の卒業で、彼女に限らず、
初等科全体がほっとしている筈。この6年間の間に
愛子様の特別扱いに付き合わされた結果、初等科の評判が下がった事は
否定できない。
上記の「雅子妃と愛子内親王」像を冷静に第三者の目から、皇族ではなく
普通の人として眺めると、それは新潮が最後に〆ているような
「愛子様の存在が雅子様の唯一生きがいになってしまっているので、過干渉に
なっている」
とか「愛子様が自分の手元から離れていくと、マサコ様は「空の巣症候群」
に見舞われる可能性がある」
などいう問題ではない事がよくわかります。
これは「愛情」ではなく、「虐待」だし、モンスターペアレントなどという
軽い話ではなく、「隠蔽」と呼ぶにふわさしい事件の数々です。
1年半の雅子妃と皇太子の付添は、ありえない程異常だった。しかし、
二人にはそうせざるをえない理由があった。
それは表に出ようとする「愛子様の真実の姿」を隠す事。
「・・・だったという」という表現を借りて非常に大げさに優秀伝説を流す
一方で、常に監視の目を光らせ犯人捜しに余念がない皇太子夫妻。
この二人にとって6年間はまさに「戦い」だったのではないかと思います
すさまじい執念、ばれたら命がない・・と思う程に隠したかった事。
それが愛子内親王の「姿」だったとは。
やる事為す事北朝鮮風味で、これが日本の皇族の姿かと思うと
がっかりを通り越して怒り心頭です。
かの国は「一旦嘘をついたらたとえばれても本当だと言い続ける」という
風習があります。
なぜなら「嘘を嘘だと認めてしまう事」≒「死」に繋がるから。
それくらい厳しい環境のかの国とのほほんとした日本。
そしてかの国のDNAを発散し続ける日本の皇太子妃。
すでに日本はクリミア状態なのかもしれません。