いよいよ新年度です 毎年同じ事の繰り返しなんですけどねーー
本日からまた職場が変わりまして 去年と同じ所に一ヶ月。
こうも細切れに飛ばされると職場に対する愛情が消えますわね。
まあ、最低賃金の職場なのだから愛情もなにもないですけど。
消費税が増税になって、国民の意識も少し変わるんじゃないでしょうか。
つまり、なお一層「格差」を実感するという事
なんせ上と下しかいない世の中になるんですよ。
何かを得る為には何かを我慢しなくてはならない。その度合いが増すという事で。
簡単に夢は見られない。
なかなか厳しい新年度ですね。
「ごちそうさん」が終了。
最初は唖然としたけど、最後はまあまあ ちょっと楽観的なかもしれないけど。
ところどころ、時代設定に合わない言葉遣いなどが出てきて、その度に
眉間にしわを寄せていたものですが。
NHKが描く「アメリカへの憎しみ」ってどんなだろうとも思ったんですが。
食べ物を通じて息子の戦死を受け入れて、アメリカと仲良く・・・かあ。
前向きだなあ。日本人って本当に。これがかの国なら
「100年経っても忘れない」とかいうんだろうなあ
でもまあ、ぎりぎりで思想的な部分はクリアしたかもと思ってます。
後々、最初から通してみたら途中で挫折しそうな気はするけど。
視聴率の割には完成度は・・・・・・
「花子とアン」みました。
三輪明弘のナレーションに驚き。「軍師官兵衛」以上の衝撃かも。
メルヘンな話なのに、ナレーションだけはおどろおどろしい。
赤毛のアンと黒蜥蜴は共存しないよーーー
「赤毛のアン」を読んだことある人には、それにひっかけたシーンが多くて
ちょっと嬉しいかも。
例えば・・・ぶどう畑の景色が、突如りんごの小道になって。
これは「恋人たちの小道」?
おじいちゃんが「そうさな」って言うのはマシュウの口癖でしょう?
小学校の名前が「阿母(あぼ)小学校」(アボンリー)っていう事は、あの先生は
「アン」の中に出てくる、非常に贔屓ばかりする男の先生?
そして石板をバッシーンはやたら有名なアンとギルバートの出会いのシーンね。
あの時、ギルは「にんじん」って言ったんでしたっけ。
今回、朝市は赤ちゃんの髪を引っ張ったわねーー
今後もアンへのオマージュがたんたんと出てくるんでしょうか。
そうそう、「花子と呼んでくりょう」というのは、多分、アンが常々
「Eのつくアンです」っていうのと同じなのよねーー
考えてみると、小学校時代は少女小説ばかり読んでいたのよね。
それい別マとくれば宝塚にハマるのも当たり前なくらいのロマンチストに
なります
モンゴメリの作品はアンシリーズをハードカバーで揃えて、「丘の家のジェーン」
や「可愛いエミリー」が好きだったかな。
家や屋敷に名前がつく
返済しなくてもいい奨学金がある
キリスト教にはメソジスト派と長老教会派がある
女性が学問をするというだけで大事だった
パフスリーブのドレスが可愛い
等々、日本とは違う習慣などにわくわくしたりうっとりしたものです。
モンゴメリ作品にはたいてい、マリラタイプの躾のきびしい女性が出てきます。
その力とヒロインは戦い、そして自分の道をみつけていくのですが
その頑張りが「自分には絶対に出来ない」事という意味で羨ましかったなあ。
アンやエミリーやジェーンみたいに自分が書いた作品を「だめだわ」といって
焼き捨てたり破いたりする勇気がなかったんですもの。
今ならあるけどね。
さて。
地上波から韓国ドラマが消えるという事で。
やれめでたい・・・なんて浮かれてる場合じゃないの。
BSではがんがんやってるもんで。
韓国ドラマを見るなとはいいません(私は見てるもん)
そういう場合はちゃんと専門チャンネルで字幕で見ろと言いたいだけです。
例えば、郡山宮夫妻が退屈しのぎに韓国ドラマを見始めたらとまらなくなって
今や毎日見てる・・・・それも史劇を。
おかげで嫁と姑の会話が弾むようになり、そういう点では嬉しいと思います。
しかしながら、ドラマの中身を信じ込まれたら困るんですよ
特にイ・ビョンフン監督の作品は・・・・「チャングム」「イ・サン」「トンイ」「馬医」
等、いかにも本物らしく作ってる。
特に「トンイ」はストーリー運びもいいし、衣装も綺麗で、視る側の
ヒロイン願望をどんどん叶えてくれる。
だけどーーいくら何でも李氏朝鮮で、医学があんなに発達してるわけがない。
「水戸黄門」なら「うっそー」ですむけど、なまじ外国の話なので
そのまま信じてしまう事が大いにあるわけです。
頭ではファンタジーだと思っていても、ついついそういうイメージでかの国を
見てしまう事ってありますよね。
わかってて冷静に見るのと、深く考えずに感化されてしまうのでは違いますから。
専門チャンネルのようなお金を払って字幕で見るなら、最初からある程度
覚悟をしてみるけど、地上波はだらーーっとつけていれば目に飛び込んで
くるものですから。
だから、そういう意味では消えるというのはよかったんじゃないかと。
最近の韓国ドラマは面白くない・・・というのは事実のようで。
「JIN」「家政婦のミタ」等々、日本の作品のリメイクばかりになってる部分もあるし
史劇では、歴史上の人物が少ないため同じ人物を何度も描くはめになり
タイムスリップさせてみたり、中世なのにファッションショーをしてみたり
暴走気味
特に気になるのは「悪役」の性格。
もはや病的というか、人格障害というか・・・・
「冬ソナ」のチェリンなんて可愛いもんです。
90年代から2005年あたりまでの悪役は、自分が悪い事をしている自覚が
あったんですよね。
でも、最近はそれがない
嘘を嘘で塗り固める事に使命感すら持って挑んでいるという印象。
例えば
誰かに意地悪をする
仕事を奪う・嘘をついて悪い印象をあたえる
理由づけ「やっつけないと自分の身が危ない」
「母あるいは父あるいは好きな人の愛情を得続ける為」
嘘がばれる → 「絶対に嘘はついていない」
悪事がばれる → 「(貶めた相手の)為に行った行為なので私は悪くない」
「こんな自分にしたのはあなたである」
「なんで私がこんな思いをしなくちゃいけないのか」
「私は悪くないのに。私は可哀想。世界で一番不幸だわ」
・・・・これって従軍慰安婦問題と同じ展開でしょう?
「トンイ」の中でチャン・ヒビンが数々の悪事を王様にばらされて言ったセリフが
「私がこうなったのは王様のせいです。罪は王様にあるのです」
ここらへんを皮切りに他罰傾向が強くなって来たような気がするんです。
愛情を失うのが怖い
理由はたった一つですよね。
その為には何だってする。二枚舌を使い、演技をし・・・嘘をつく。
パク・クネ大統領がオバマ、安倍ちゃんとの会見の席ではツンとして
いかにも嫌そうな顔をしておきながら、陰では安倍ちゃんと握手して
にこやかな表情だったとか。
そして言ったセリフが「この事は絶対によそで言わないで」
つまり、私が国の中で置かれている立場を理解しろ、理解するべきと言ってるわけ。
もしそれを拒否ったら
安倍ちゃんに泣いてすがって「そうしてくれないと私の立場が終わるの。そんなの嫌。
お願い。日本と韓国の仲でしょ」と言い出す・・・・・
日本人は優しいから、そこまで言われたら「わかったよ」って言っちゃうよね。
ついさっきまで泣いていた女が、一瞬にして真顔になる。
パク・クネ大統領の演技性人格障害は見てるだけならドラマ的だけど
それを国際舞台でやられたらたまったもんじゃない。予想もしてないから。
オバマも案外騙された口じゃないの?
最終的には倒れる・・・・という「技」も持ってるし。
ドラマの中でも悪役がばれそうになると、突然倒れる・・・というシーンが多々あります。
話がそれたけど、ようするにワンパターンすぎる。
ゆえに韓国のドラマ界は案外行き詰まっているんじゃないかと。
かといって新しい価値観など出てくるわけもない。
国はどんどん保守的、閉鎖的になっているし、周辺国は利用するだけーーに
なっているので、ストーリーもそれにのっとった設定になるんですよね。
まあ・「明日、ママがいない」騒動の日本も似たようなものかもしれませんが。
いずれにせよ、現在のようなドラマ作りを続けていればいずれ日本の
熱烈なファンも冷めるんじゃないかと思います。