みなさま、ごきげんよう。
非常に衝撃的なタイトルでびっくりされた事でしょう。
「ヤフオク事件」に関しては沢山のブログで語られており、今さら私が
つたない知識を元にあれこれ言ってもしょうがないかなーーと思っていたのですが
「ふぶきの部屋」で初めて皇室問題を知りましたーー という方も増えて来たので
ここらで一度、おさらいをしてもいいかなと
この件に関して宮内庁は勿論、警察すら動きません。
「ヤフオク事件」が本当なら、日本という国にとって重大な犯罪です。
だって・・・そうでしょう?
有形重要文化財、国宝にだって匹敵する筈のものが行方不明になって
ある日、オークションで売られていたーーなんて事が本当にあったら
ふと、「ベルサイユのばら」に描かれている「首飾り事件」を思い出してしまいました。
あの時、首飾りはバラバラにされて売られてしまったんですよね。
そしてその事件はアントワネットの名誉を大いに傷つけ、それがやがてフランス革命に
繋がって行ったという事を考えると、「たかがオークションされどオークション」です
(いや・・たかがじゃないけどさ)
つまり、この事件が本当にあったというなら、日本の皇室において存亡の危機を
招く恐れがある程の「事件」なのです
これからその話をいたしましょう。
今回の話には、さくらさまが資料を沢山集めて下さいました。
あらためてお礼を申し上げます。
洋装令
ドラマでよく見るように、江戸時代まで日本人は全員「着物」を着ていました。
黒船来航以来、土方歳三とかーー坂本竜馬などが洋服を着て髪を切ったり
ブーツをはいたり。軍服も洋風になりました。
ハイカラで動きやすいというのが重宝されたんですよね。
宮中では明治天皇がいち早く洋装に・・軍服をお召になったのですが
女性方は桂袴姿。
1871年ー服制改革内勅 → 基本、和装から洋装へいくよーー
1872年ー大礼服及通常礼服を定め衣冠を祭服と為すなどの令
→ 正式な服装は洋装で、衣冠束帯は神社でね。
1873年ー皇族大礼服制定 → 男子皇族方の普段着から正装まで決めちゃう
1886年ー女子大礼服制定
それまでは・・・・
こんな姿がいわゆる「正装」
今時は皇族の結婚式でしかみない
それが
これがローブ・デコルテ。
重い十二単衣で体の線をほとんど出さないスタイルから、大胆にも腕が出て
肩のラインがくっきり。さぞや恥ずかしかったろうなあーと思いますが、それもこれも
「国の為」昭憲皇太后は率先して洋装に踏み切ったのです。
でも・・・・あれ?
「江戸時代は着物じゃないの?」と思われたそこのあなたっ
皇族や公家は基本、武士階級のような恰好はいたしませんのよ。
正田美智子さんが「納采の儀」で振袖を着てから、すっかりそれが当たり前になり
紀子妃も雅子妃もそうでしたが、本来はここはドレスか十二単衣だったのです。
女子の洋装は
大礼服 → マント・ド・クール
中礼服 → ローブ・デコルテ
通常礼服 → ローブ・モンタント
と決められました。
これが華麗なる昭憲皇太后のマント・ド・クールです。
実物を見るチャンスがないのが残念ですが・・・・・
ただ、その当時、日本に洋服のデザイン画が入ってくるのはかなり時間がかかって
いたので、多分、日本の洋装ファッションは1時代遅れではなかったかと。
ティアラ
西洋の習慣を取り入れ、日本の皇族女子はみな洋装になったわけですが
ドレスに欠かせないもの・・・・それはティアラとネックレスです。
ティアラ(宝冠)は、その人の身分や立場、権威の象徴です
プラチナの台にダイヤモンドをちりばめ、時にエメラルド、サファイアなどを飾る。
「うちの王室はこれだけすごいのよ」というのはティアラをみれば一目瞭然です。
服は朽ちる、でもティアラは絶対に古びたり腐ったりしない。
まさに「永遠の繁栄」の象徴ともいえます。
ゆえに、王室ではティアラは代々受け継がれるものなのですね。
例えば・・・・・
ジョージ五世妃メアリー・テックのティアラ。
ヅカファンにはおなじみ「エドワード8世」のママです。
そのティアラが・・・・
コーンウォール夫人・・つまりカミラに受け継がれたと。
このティアラは様々な逸話があり、一筋縄ではいかない女性にふさわしいと女王陛下が
思われたようです。
ちなみに
ダイアナ妃のティアラ。これはスペンサー家に
伝わるティアラです。忘れているかもしれないけどダイアナ妃は伯爵家の出なんです。
私は個人的にこのティアラが大好きです。
そしてこれが第一級正装の時のティアラ。
エリザベス女王からダイアナ妃へ受け継がれました
現在、英王室の財産はほとんどが国家財産ですから、勝手に処分したりは許されないし
予算の関係上、新しいものをばんばん作るというわけにもいかず。
キャサリン妃のティアラも女王陛下のもの。
でも、一般庶民でも思う事ですが母から娘へ、嫁へ・・と同じものが受け継がれていくのは
本当に嬉しいし素晴らしい。
使い捨てではなく、よいものだからこそ何十年、何百年と同じ姿をしてそこにある。
流行がーーとか時代遅れ―とかいうのは、「品」を知らない人の言うセリフ。
「伝統の継承」は世界共通の「美」
古いものを大事にとっておく、奥ゆかしさを日本人も思い出すべきですね。
さて。日本で最初にティアラをかぶった方・・・・それが昭憲皇太后さまです。
星の部分は着脱可能だったとか?
当時の技術の粋を集めた名品。外国にもひけをとりません。
小さくて小柄だった皇太后によく似合ううような形にしていますよね。
貞明皇后(左)と香淳皇后(右)
そしてこれが現皇后。
新しいものを作るというより、少しずつリフォームしているようですね。
このティアラが・・・・いずれ雅子妃に受け継がれていくのです。
扇
次は扇です。
扇と扇子の違いは・・・・・? 私達も扇子をよく使いますが、それは夏に
仰いで「ああ涼しい」って感じでしょう?
扇子をもっとゴージャスにしたものが扇なわけですが、日本の場合、
十二単衣姿においても洋装においても重要な役割を果たしていました。
「扇」といえば、ヅカファンはすぐに「エリザベート」の一節
♪ 扇で顔を隠していた ♪
が浮かぶわけですが・・・・(え?違うの?)
これがエリザベートの扇。
シルク製です。エリザベートは人に顔をさらすのがきらいで、よく扇を顔の真ん中に
持ってきて隠していたらしい。
また、扇はコミュニケーションツールとしても活用され、舞踏会などで言葉を交わさずに
意思表示をするもの。
例えば
「扇で頬をなでる」 → 愛しています
とかね。
日本の場合、古来より「檜扇」が使われてきました。こちらは木製。
お雛様も持っているでしょう?
こういうの。
両端に紐がついてたりしますよね。実際に開いて仰ぐとかいうより、持っている事が
重要であるというような代物。
伝統を受け継げなかった皇后
ダイアナ妃がスペンサー伯爵家の出で、自分のティアラを所有していた・・・無論
スペンサー家の紋章も。
しかしながらキャサリンは庶民階級なのでティアラは勿論、紋章すらないので
結婚の時に新しくデザインして作った。
一般的に見れば新しいものにこそ価値があるけれど、王室や皇室にとっては逆。
受け継ぐ伝統がない=下位のものという位置づけです。
キャサリンがどんなに将来の王妃であっても、家柄はカミラ夫人には叶わなないし
ダイアナとも雲泥の差
だからこそ、ダイアナの婚約指輪を受け継いだ事は重要な儀式であったと思うのです。
美智子皇后も同じでした。
納采の儀
前述したように「納采の儀」では十二単衣かローブ・モンタントを着用するのがそれまでの
伝統。しかし、正田家はそんなものを持っていないし、戦後でものがない時代という
事もあり、振袖を着用。
ド庶民からみれば、あの時代に素晴らしく美しい「振袖」を持っている事自体がすごい事で。
結婚の儀
十二単衣もそれまでは、実家のものを使っていたようですが、正田家にはそういうものは
ないし、新調も出来ず・・・・仕方ないので元宮家のをお借りしたというのが正直なところ。
その代わりといってはなんですが記者会見や皇居へ向かう時のドレス、ローブ・デコルテ
には精一杯のお金をかけてゴージャスに
ティアラも同様。ないから当時の皇后からお借りしたのでしょう。
臣籍降下した元宮家や元華族からしてみたら
「十二単衣もないの?」「ティアラも持っていらっしゃらないんですって」
(ご自分達だって財政難で手放した方も多かったでしょうが)
「伝統継承」という自分達のアイデンティティが一挙に崩されるような恐怖を覚えたろうと
思います。
後々、秋篠宮・皇太子結婚の儀の時は、装束は全部新調。
「背が高いから」という理由でしたけど、本当は皇后の中に、自分が結婚した時の
コンプレックスが頭をもたげたのではないかと・・・・そう思うのは考えすぎ?
だって、浩宮も礼宮も学習院の制服は父君のを着てたわけだしねーー
(どなたのお考えだったか)
結婚の儀の装束だって。
悠仁殿下の着袴の儀の衣装も新調。
新調なさるなんてすごい。さすが両陛下!(ちなみに愛子内親王も新調の筈)
と思ったけど、よくよく考えると少し意味が違ってくるのかなと。
心の中のどこかに「お下がりはちょっと・・・・」という思いがあったとしたら
私達に非常に近いメンタリティの持ち主であったと思うのです。
とはいえ、雅子妃と紀子妃の納采の儀の振袖にはご自分の帯を渡されたわけですし・・・
自分のはいいのかな。
今思えば紀宮が披露宴の着物を新調せず、わざわざ皇后陛下のお下がりを選んだ
事には重大な意味があったのではないかと思うのです。