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ラスト・タイクーン

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 昨日のVISA貸切に行ってまいりました。

 

 ラスト・タイクーン 

 

 生田大和作・演出

「いくたひろかず」って読むんだーーへーー などと言ってる場合ではない。

この人の作品「BUND/NEON上海」「ランスロット」「春の雪」など、色々スカイステージで見たけど

どれも途中で挫折してしまい、見応えがあるものがなかった。

「春の雪」は比較的見やすかったけど、それは原作があっての事だったし。

つまり力量としては未知数であり、どこに特色があるのか、よくわからない人ではあります。

 

 「失われた楽園」との比較

「ラスト・タイクーン」といえば、小池修一郎の「失われた楽園」と比較するっきゃない。

あちらも花組、真矢みきが主演でした。

真矢みき演じるアーサーは「映画バカ」ともいえる存在で、わがままで横柄。

こだわりが強く、そして亡き恋人への思慕が強い人。

リア・モンテスを愛するものの、やっぱり心の中には彼女がいて。

愛華みれが演じたエリオットは作家でアルコール中毒?アーサーと正反対の

穏やかさが素晴らしかった。

悪役、海峡ひろきのマックス・ジョンソン、香寿たつきのレスリーがどんどん

おかしくなっていく様、どれもこれも「キャラ」が立っていたと思います。

紆余曲折があっても「アーサーだから・・ついていくしかないよね」という回りの心情も

よくわかるし、レスリーが薬中毒になってアーサーを殺す瞬間、リアは女優デビューを

果たすというラストも見事でした。

登場人物それぞれに味があり、きちんとした役割があった。

 

対して「ラスト・タイクーン」の場合

 モンローは「映画ばか」というよりビジネスマン風

 明日海りおのブレーディは悪役なのか何なのかはっきりせず

 望海風斗の役割が全然理解できず

 キャサリンは男運が悪いだけの女

って・・・感じ?

何で労働組合が出てきて、果ては共産党まで来るのか・・・そこまで話を発展させて

何がしたかったのかさっぱりわかりません

一番現れているのは「5セント」の扱い方でしょうか。

「失われた楽園」でも、「ラスト・タイクーン」でも映画を見る事が出来る「5セント」は

非常に重要な「夢の鍵」になっています。

小池版をちょこっと引用

アーサー ; ある晩、酔っぱらった君が、バルコニーから札束を撒いた。10ドル札を

       何百枚とね。

エリオット ; 泥酔して、一晩で5千ドル使い果たした

アーサー ;僕 はその10ドル札の一枚を拾う事が出来た。それはたちまち

       貯めこんだ家賃とい夜学の学費に消えた。それでも5セント余ったんだ

       その5セントのニッケル玉を握りしめてどこへ行ったと思う?

エリオット ; 酒も、バクチも無理だな

マギー ; 映画館ね。

アーサー : あたりだ。5セント玉一つで夢をみれる所、それは映画館だけだった。

        その晩見たのはチャップリン。端役で出ていた女の子が天使に見えた。

マギー ; ニーナね。

エリオット ; それで映画界に?

アーサー ; あの晩、僕は夢を見つけた。いつまでも見飽きる事のない夢をね。

        いいかい、この世界には昔の僕と同じ貧しい奴が何万といる。

        みんなに見せてやりたいんだよ。5セントの夢を。

 

アーサーとエリオットの会話の中には

 エリオットとアーサーの関係

 ニーナと出会ったきっかけ

 5セントの理由

これらが凝縮して表現されています。

そして「5セントの夢」という曲も歌われるのですが、映画という夢の世界への

切符を買うのが「5セント」とても重要なキーですね。

 

一方、「ラスト・タイクーン」における「5セント」が出てくるシーンは

第5場ABです。

モンローのオフィスに来たボックスれー。彼は作家で脚本を書けと言われている。

モンローには「あんたの才能を買ったのであって芸術を買ったわけじゃない」と言い切る。

映画なんか見た事ない彼にモンローはあるシーンを想像させる。

「ストーブは好きですか?ある女が入って来て手袋をストーブに入れようとする。

そこに電話がかかってきて・・・・」

なぜか、そこに唐突に出てきた5セント玉。

ボックスレーは「それから?」と聞くけど、モンローは「さあ・・・」

何で5セントが?映画を見る為のお金だと答えた・・・ような気が。ウロですみません。

つまり生田版では5セント玉が象徴的に生かされていないんですよね。

何の為にストーブを登場させ、女が手袋を入れようとしているのか、それがどんな

きっかけになったのか、これ以降、そのシーンがどう生かされていくのかという

関連性が一切ないのです。

「伏線」「後処理」の仕方を学ぶべきではないでしょうか。

 

 大劇場ゆえに

演出家にとって大劇場というのは、理想を形にしてくれるすごくいい舞台です。

なんせセリがいくつもあるし、盆は回るし、宙に浮かせることだって出来るし。

だから演出家は自分の頭に浮かんだ映像のような場面転換をなんのためらいも

なく行う事が出来る。

いえ、行ってしまうのです。

1時間半の舞台に場が17個。非常に多い。多すぎます。

つまり、脚本の因数分解をせずに次から次へと場で繋ぐ・・・しかもまずい事に

暗転して役者が舞台の端からはしまで走って行くシーンが見えちゃう。

テレビや映画ならそこでぶちっときれるけど、舞台はそうはいかないという事が

あまりよくわかっていないのでしょう。

盆やセリを使えばいいってもんじゃありません。

なるべく使わないようにするにはどうしたらいいか、登場人物をもっと凝縮させるには

どうしたらいいか・・・そんな風に考えないといけないのです。

ブレーディの浮気シーンは娘の反感を買う為だけに必要だったのか?

ブロンソンはリーダーなのかそうでないのか?何でキャサリンを縛りつけるような

事をしているのか?

キャサリンの登場シーンに火事を持って来たのはいいけど、その火事が誰のせいで

何で起きてどうなったか、そしてキャサリンの夫であるブロンソンはどこにいたのか。

次から次へと考えてしまいますよね。

結果的に主役が飛行機事故で死んじゃった・・・・しかも、それがラジオニュースで

流れるなんていう終わり方。

と、思ったら天国で長々語り始め銀橋に出て延々と立って笑って歌って・・・・

これじゃ流れた涙も引っ込んでしまう。

演出家としては「そうだった。モンローに最後の台詞を言わせなきゃ。その後どうなったか

も色々語らせないと・・・・」と思ったんでしょうけど、キャサリンがその後どうなったか

再び一つになった仲間たちは何をどうしたのか、一切語られないで終わり。

どんなに中身がよくてもラストシーンのまずさに全てがおじゃんになってしまいました。

 

この舞台で唯一よかったなと思ったのはラブシーンのみ。

ただ、モンローが何度も「ミアはもういないのだ」というシーンはうざかったですけどね。

いないのなんのって言いつつも、そっくりだったから好きになったんでしょう?

認めなよ的な?

 

生田君、ちょっと大劇場デビューが早すぎたかもしれません。

小池先生の真似をして映像をがんがん使って、盆をぐるぐる回して場面転換して

みせて、みんなで歌って踊って場を盛り上げようとしても、中身がないんだもの。

どうしようもないよね。

今一度、脚本の書き方を勉強すべき。

 起承転結

 場割りの仕方

 登場人物の個性を出すためには?

この3つが重要ですよ。

 

 

 

 


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