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両陛下とキリスト教 2

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 そもそもそうしてこのような話題になったかといえば、巷では

「皇后陛下が皇太子一家を制御できないのは、キリスト教精神に基づいての

思想があるからではないか」

と言われているからです。

陛下の言動とキリスト教にどんな関係があるというわけ?

もし関係があったとして、それは悪い事なの?

と様々な疑問がわき出てくるわけで。

答えになるかどうかわかりませんが、少し語ってみたいと思います。

小和田雅子氏が入内し、皇太子妃となって20年が経過しました。

「適応障害」になって静養に入って10年が経過しました。

代替わりが近い筈なのですが、皇太子妃は祭祀一つ満足にできません。

このままでは雅子妃が皇后になった時、いわゆる「皇后が受け継ぐべきしきたり・伝統」

が全て消えてなくなるかもしれないのです。

次世代を導き、教育するのは現役の大切な仕事。

皇后の役割は、次の皇后へきちんとバトンを渡す事です。

それは「天皇」も同じでしょう。

伊勢神宮が20年に一度、古代と全く変わらないやり方で新しい宮を建てるように

「天皇」「皇后」の役割もまた、決して変わらない部分があり、それを継承していくという

大切な役割があるのです。

それは「日本人」としての精神性です。

 血の継承

 祀りの継承

日本人という民族の「生と死」を司るのが天皇の役割であり、その一翼を担うのが

「妃」の役割。大妃はその長です。

 

 皇室にキリスト教が入った時期

ネットでググって「天皇とロザリオ」をちら見した所によると

終戦直後、GHQは皇室にキリスト教を持ち込もうとし、昭和天皇を引き込もうとした

らしいです。でも寸前で機転をきかせた侍従によって阻止されたと。

昭和天皇はその事が「トラウマ」になり、以後、「キリスト教」とか距離を置かれた・・・らしい

昭和天皇は、母君の貞明皇后程、祭祀に熱心だったわけではないようですが

この事をきっかけにして、非常に熱心に祭祀に取り組むようになったとか。

 

とはいっても侍従職や御用掛けにクリスチャンが多かったのは事実のようで

その最たる人が「小泉信三」

正田美智子さんを入内させた張本人ですね。

皇室をキリスト教によって変える・・・・なんて壮大な考えはなかったと思うのですが

結果的に「皇太子妃」になった正田家は非常にキリスト教に近い家であったことは事実。

 正田美智子嬢の祖父母はクリスチャンだった。

 正田美智子嬢は聖心女子出身。

 正田富美子氏は晩年になって洗礼を受けた。

 2012年、皇后の弟ご夫婦が洗礼を受けた。

正田美智子嬢が皇太子妃に推薦された頃にも、「キリスト教に近い家から皇太子妃を

出してもいいのか」という議論はあったようですが、「洗礼を受けていない」という事で

「問題なし」になっています

(何だか書いてて・・・「チッソ会長の孫が皇太子妃になっていいのか」という議論が

あった時に「江頭氏は水俣病が発生した当時に会長だったわけじゃない」から

「問題なし」になった事と随分似ていると思うのは私だけでしょうか?)

 

私達が正田美智子さんに抱く印象は「テニスコートの恋」というタイトルの

いわば「皇太子の求婚を断る事が出来ない立場にいた、美しく聡明なお嬢様」

だったと思います

先に見初めたのは皇太子。

その後、求婚するも正田家は固辞し続ける。

ヨーロッパに逃げるように行ったけれど、結果的に受け入れざるを得なかった。

「家庭を持つまでは死ねないと思った」という皇太子の言葉にほだされて美智子嬢は

入内を決意。

常陸宮妃や秋篠宮妃が決まった時と違って、刊誌や新聞の

記者が本人に張り付いて「入内決意」までの過程を延々とルポし続ける。

取材するには本人の承諾が必要で、当時、その「承諾」を与える為に、色々画策したのは

正田富美子さんだったと言われています。

 

これは昭和時代も言われていたことですが、本当に皇室に入りたくなかったら

「洗礼」を受けてしまえばよかったわけです。

娘を聖心に入れたという事は、「キリスト教信仰」に関して、何の反発もなかったという事ですから。

(だからって眞子様の「ICU」入学がキリスト教の信仰と重なるかといえば

それは違います。そこらへん、時代の差というべきか)

後に洗礼を受けた正田家の方々。

この時点では正田美智子嬢の「キリスト教的思想」の深さに気づく事は無理だったのかもしれません。

 

それというのも、戦後、当時の皇太子と義宮(常陸宮)はクエーカー教徒の

バイニング夫人から教育を受けました。

厳密にいえば「カトリック」「プロテスタント」「クエーカー」全然違うものです。

だけど、当時の日本人からしたら「アメリカ人=クリスチャン」だったでしょうし

宗派がどうであれ、「アーメン」の人というイメージだったでしょう。

そういう人から教えを受ける事に対して昭和天皇は反対しなかったのか。

反対など出来る立場になかったというのが本音でしょう。

だって「戦前」の全てが「間違っている」と教育しようとしていた時代です。

「神道」「教育勅語」「御真影」「日の丸」「君が代」ぜーんぶダメ。

歌舞伎で「切腹」があるから上演させないとか・・・

日本的な思想は許されない雰囲気ではあったんでしょうね。

 

キリスト教に入信するのではなく、「教育の一環」「教育的思想の一部」として

それを学ぶなら問題はなかった。

ゆえに、正田美智子嬢入内も「洗礼を受けてなかったからよい」となったわけです。

 

 宮中聖書事件

当時の皇太子が結婚して5年ほどたった時、弟の義宮が昭和天皇の前で

「お姉さま(美智子妃)ががいらして下さったので聖書の話がしやすい」と

言ってしまい、昭和天皇の逆鱗に触れたという事件。

天皇は激しく美智子妃に怒り、以後キリスト教の話はするなと言われたとか。

一説には義宮にキリスト教を教えたのは侍従で、彼をかばう為に美智子妃の

せいにしたという・・・・

 

戦後の「皇室」におけるキリスト教とのかかわりを簡単に述べました。

 

2013年、式年遷宮にわいた伊勢神宮。テレビでも大々的に中継され

ひときわ注目を浴びたものでした。

2014年、高円宮家の典子女王が出雲大社に縁付く事になり、日本中が

何となく嬉しい気持ちになりました。

若い人たちが神社に足を運ぶようになり、「パワースポット」ブームはまだ終わっていません。

だけどこれが50年以上前だったら、果たしてこんな風に好意的に受け取られたでしょうか。

「皇室を祀りあげて軍国日本に逆戻り」とか叩かれていたんではないかと。

つまり、キリスト教的思想を持った正田美智子嬢の入内は時代が要請し

生みだしたものと言えるでしょう。(要は流行・・・・?

 

 

 

 


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