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ミスリードされる「美智子皇后」は虚像か本質か   1

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 何だか非常にまず状況になって来たと思うんですよ。

リベラルな両陛下。とりわけ皇后が「女帝派」の急先鋒になりつつあること。

こういう風にリードしていくのはマスコミだけの責任でしょうか?

つけいるすきを与えたのではないかと。

先週発売の雑誌から「美智子皇后」に関する部分をちょこっとレポ。

 

 週刊新潮 「皇后美智子さま」秘録ー工藤美代子

 昭和20年8月15日、皇太子明仁親王は日記にこう記す。

「今度の戦で我が忠実な陸海軍が陸に海に勇戦奮闘し、殊に特攻隊は命を投げ出して

陛下の御為笑って死んでいきました」

 今上陛下が皇太子時代、わずか10歳の頃に書いた終戦の日の日記です。

 本文はもっと長いのですが、どうしてもこの一節が気にかかって仕方ない。

 何でだろう・・・・陛下のリベラルはすでに芽が出ていたんですね。

 そりゃあ・・・日光の疎開先にまで海軍やら陸軍やらが来て、戦況報告をするんですよ。

  いい話ばかりじゃないけど、軍としては「陛下の御為に命を賭して」と言うでしょう。

  そういうセリフが皇太子にはたまらなく嫌なものだったろうという事は想像できます。

  「勝てるとか勝って見せるとか言う前に勝てるもんなら勝ってみろよ」的な思いがあったのでは?

 精神論だけで乗り切ろうというのがあざといとか、「陛下の為、殿下の為」とか言われるのが重いとか。

 普通に考えて「笑って」死んで行く筈がなく。

  すみません。どう解釈していいかわからないのです。この「笑って死んでいきました」の部分。

  心底、そんな風には思ってないように感じられて。

  痛烈な天皇批判のようにも思えて。

 

 SAPIO 10月号 「闘う美智子皇后」

高橋源一郎・・・誰よりも自由に書くことを禁じられた皇后のメッセージを読む

 平成10年の第26回IBBYニューデリー大会基調講演の引用。

 ケストナー「絶望」

  ソログローブ「身体検査」

 「思い出すと、戦争中はとかく人々の志気を高めようと、勇ましい話が多かったように思うのですが

  そうした中でこの文庫の編集者が「絶望やこの「身体検査」のような話を、なぜここに選んで乗せたのか

  興味深いことです。

・・・(略)・・・

世界情勢の不安定であった1930年代、40年代に、子供達の為に

広く世界の文学を読ませたいと願った編集者があったことは、当時lこれらの本を手にすることの

出来た日本の子供達にとって幸いなことでした。

この本を作った人々は、子供達が、まず美しいものにふれ、また、人間の悲しみ喜びに触れつつ

さまざまに物を思って過ごしてほしいと願ってくれたのでしょう。

・・・・略・・・

当時私はまだ幼く、こうした編集者の願いを、どれだけ十分に受け止めていたかは

わかりません。しかし、少なくとも、国が戦っていたあの暗い日々のさなかに、これらの本は

国境による区別なく、人々の生きる姿そのものを私に垣間見させ、自分とは異なる

環境かにある人々に対する想像を引き起こしてくれました。

・・・・略・・・・

 この文章に対して。

 戦後、この国は、その進路を巡り、揺れ続けてきた。戦争と平和について語ろうとするなら

そのことに目をそむけることは出来ない。だが、誰もが知っているように、皇室の方々は

「政治」について発言することをきんじられているのである。

そのとき、この国で、誰よりも、自由に書くことを禁じられている人間は、どうやって書けばいいのか。

私の美智子妃への関心の一つは、そこにもあったように思う。

 高橋氏の文章。2、3回読んだけど意味がわからず。私って本当に読解力がないと自信喪失。

 1930年代、1940年代の日本が、いさましさの対極にこのような作品を編集したというのは

   素晴らしい事ではありますよね。

 高橋氏が一番言いたい事は「皇后陛下は平和メッセージを世界に向けて発信した」という事だと

  思うんです。

  そういう政治的な事が出来ない立場にありながらニュアンスにまぜこんで発信する。

  まさにそれが「闘う皇后」なんでしょう。

 

 佐野眞一・・・「見えない国民」に寄り添い語りかけてきた美智子皇后の「祈り」

             − 手を振られた瞬間、私は畏敬の念を覚えた −

 2008年4月。両陛下は館林に行啓。

 自動車部品工場で働く日系ブラジル人労働者たちと懇談するため。

 館林市役所では、皇后と疎開生活を共にした20名の同窓生との懇談会が開かれた。

  しかし、そのスケジュールはどこまでも秘密にされた。

 宮内庁幹部

 「2008年は日本からブラジルへの移民が始まってちょうど100年目にあたります。

 ところが、海外の日系人について監督ケアする組織がない。

 両陛下はその空白部分を担うということをいつも強く自覚されています。

 皇后陛下が同窓生との懇談会について発表を控えさせたのは、大きく報じられると

 本来の目的である日系ブラジル人への表敬訪問が薄れると思われたためだと思います」

 皇后はいつもそこまで「政治」に抵触しないよう気を配りながら行動されていたのか。

 皇后は市役所前広場を埋め尽くした群衆一人ひとりに向かってにこやかに手を振ったが

  手を振られた群衆は、誰もが自分だけに向かって手を振ってくれたと思った筈である。

 美智子皇后と「交感」したという体験は、いつまでも心の奥底に刻まれる。

 美智子妃はいうまでもなく、日本の歴史上初めて誕生した民間人出身の皇后である。

 しかし、国民がミッチーブームにわくなか皇族たちから美智子妃に注がれたのは

 民間からの嫁入りを歓迎しない矢を射るような視線だった。

 小山いと子箸「美智子さま」の一節。

 皇太子夫妻が伊勢神宮に結婚の報告をしたとき。

 「祭主に向かい、ていねいな会釈をなさって顔をあげると、老婦人の刺すような視線に

 ぶつかった。美智子さまの心臓は凍った。

 鋭い刃物で、胸の奥を刺し貫かれたようだった」

(当時の伊勢の祭主は北白川房子。皇太子妃候補の一人だった)

 美智子皇后バッシング。

 これら痛苦な体験をくぐりぬけ、美智子妃は「国母」といわれるまでの存在になった。

  声を失ってからまもなく、美智子妃と親しい関係者は

  「今の自分なら、あれぐらいで声を失うことはなかったと思う。あの時の自分は弱かった」という

  告白を聞いている。

 阪神大震災の時、皇后が体育館の床にひざまずき非難した被災者と同じ目線で人々を

励ます姿を目にしたとき、近代約150年の皇室の歴史のなかで、最も重要な役割をはたしてきたのは

日本を近代化させた明治天皇、戦争と繁栄の二つの世を一身に生きた昭和天皇、そして

美智子妃だと確信を持った。

 戦後日本の平和を維持してきた憲法に抵触する動きに、美智子妃が賛成するとは思えない。

 まず。

  日本の歴史上初めての民間出身の皇后というのは、正確には間違いであると思います。

  歴史上初めての民間出身の皇后、それは光明皇后です。

  光明皇后 → 藤原不比等と県犬養三千代の娘。

             聖武天皇の母、藤原宮子は異母姉。

             聖武天皇の妃となり、基王子と阿部皇女を産むが基王子は早世する。

             聖武天皇には男子が他にいたが、阿部皇女を皇太子に立て、光明子は

            皇后となる。

 それまで「皇后」はいわゆる皇族出身者だったわけですが、その前例を

 覆して「皇后」に立てられた・・・

 小山いと子なる作家の本「皇后様」を高校時代に読んだことがありますが、後々、この作家は

  信憑性に欠けるとの説があります。

  いわゆる「友納尚子」風味だったのでは?

  そう考えると美智子妃の伊勢参拝のシーンは、「プリンセス雅子妃物語」によく似てますね。

  そこまで旧皇族を悪者にしなくてもいいじゃないかと思ってしまいます。

 だけど、この小山いと子が書いたようなイメージを私達はずっと持っていたことは事実です。

  どんな時でも「美智子妃=被害者」で「旧皇族=悪」だった。

  「旧弊で過去の栄光にすがりたい旧皇族・旧華族にとって美智子妃は許せない存在だったので

  いじめた」と。

  そして美智子妃が行った「改革」こそ「善」であると。

 宮内庁関係者のいう「同窓会を秘密にした理由」もよく読むと、おかしいような気がします。

  そもそも日系外国人への監督ケアが云々なんて両陛下の考えるべきことではないでしょう?

  最近、よくテレビでやってる「なぜ?そんなところに日本人」では、よく「日系〇〇人」が出てきます。

  ほぼ100%、彼らは「国捨てられた」と言います。

  移民させるだけさせておいて、あとは知らんぷりされた歴史がそこにはあるわけです。

  そういう人達に心を寄せる事は立派です。

  かつて貞明皇后は「灯台守」に心を寄せて、何度も行啓されています。

  だけど、そういう活動を通して「政府」に働きかけようという動きは皇族らしくないのでは

  「豊かな海作り大会」への出席も、確かそんな意図的なものだったと記憶しています。

  本当にそう思っているかどうかは別として、そういうふうに「解釈される」事が問題なんです。

  しかも、自分のプライベート報道をされたらそっちが大きくなるからって・・・少し自意識過剰な気が。

  いえ、とにかく少しでも「批判」される事が嫌で嫌でたまらないんだろうなと。

  という事は何か良心の呵責がそこにあるんでしょうか?

 「声を失った」事に関しても、「あの時は心が弱かった」とおっしゃったそうです。

   その意味がイマイチわかりません。

  「心が強かったら」倒れなかった?声を失わなかった?それとも抗議したって事ですか?

 手を振ること → 交感

  完璧な人格

  明治天皇・昭和天皇と並び称される程の功績

  もはや人間じゃないのかも?皇后陛下って。

  そんな完全無欠の皇后陛下が「憲法改正」を喜ばないだろうと示唆されています。

  皇后陛下がそう考えるのだから、それが正しいといわんばかりです。

  確かにここまで影響力を持った「皇后」は光明皇后以来なんじゃないかと思う程です。

  そのうち、紫微中台が出来ちゃうんじゃないかと。

  そういえば、光明皇后も逸話として「施薬院」などであかにまみれた人を風呂に入れたとかいう

  「美談」がありますね。壮絶な「上げ報道」はこの時代からあったのかも。

 闘う皇后 → 反戦メッセージ

            国民の前に跪き、心を寄せる慈愛の人

            旧弊な皇室の改革者

 何だかとっても政治的なにおいがするのは私だけでしょうか?    


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