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ミスリードされる「美智子皇后」は虚像か本質か  2

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 山下晋司ー強い思いで慣例を乗り越える美智子皇后

   「改革の55年」

 皇后陛下が「続けてきた努力」の一つに文字通り

 「陛下を守る」場面が数々あった。

 ・ ひめゆりの塔事件のおり、妃殿下が片手をあげて殿下を守ろうとした。

 ・ 陛下のがんなどの治療にも積極的で医務主管や医師から説明を受ける

 ・ 自分の膝が痛いのに陛下の健康の為にテニスを続けている

 皇后陛下の献身

 両陛下の火葬の件。

 陛下が「合葬」も視野に入れたいとおっしゃったら、皇后陛下は「あまりにも畏れおおい」と固辞。

 「自分が先だった場合、陛下の在世中に御陵が建てられることになり、それはあってはならない」

 陛下を支える為、時に周囲や古い伝統と闘ってきた皇后陛下の歩みは、国民のために

  皇室の前例をこえていくこととなる。

 東日本大震災ー被災地の体育館で皇后は自らスリッパを脱ぎ、裸足で被災者に駆け寄ると

  膝を床につけて、被災者と同じ目線ではなしかけた。

 時には、悲しみの底にある女性や子供たちを抱きしめることもあった。

 慈母のごとき皇后陛下に抱きしめられた被災者は心の底から癒され、励まされたことだろう。

 「国民に寄り添う」姿は皇太子妃時代から続く宮内庁職員との「対話」により生み出された

  ものではないか。

 皇后陛下は「国民とともに歩む皇室」を実現する為に、女性ならではのきめ細やかな心配りを

  続けてきた。

 例えば、行事などにおける警備の在り方やお出ましを並んで待つ国民の待機時間まで

  気にして、相当職員に直接考えを伝えるなどしてきた。

 皇室と接する国民に威圧感や「壁」を感じさせないよう、腐心してきたのだ。

  たとえ「慣例」でも「違う」と感じればそのままにせず、職員と話し合うー直接のコミュニケーションが

  行われるからこそ、職員も心をひとつに皇室を支えることが出来るのだ。

 2013年10月の誕生日文書。

 皇后は「五日市憲法草案」に触れた。

  明治憲法公布以前に、民間人が憲法を熱く語り、立派な草案を作った事に

 「近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来に

 かけた暑い願いに触れ、負かい感銘を覚えた」

  政治的発言と受け取られることのないように配慮しながらも、現代の国民が憲法に対して

 どれだけの思いを持っているかと問いたかったのだろう。

 「皇室」の姿勢を国民に伝えるためにはたとえ前例がなくとも旧来の慣例を超える

   「理由」や「重い」をもって実現する。そうした強い意思が、「国民とともに歩む皇室」を

めざし陛下とともに歩んだ皇后陛下の55年を貫いている。

 全てが皇后陛下の「実績」だというのは、ちょっと言い過ぎのような気がするんですけど。

  政治的な発言を避けつつも、やんわりと政府にもの申す・・・というのは、思惑はどうあれ

  そう見られているというのは問題では。

 テニスまで「・・・の為」とか言われるとちょっとひきますよね。

  伝統を守っているだけでは皇室の姿勢は伝わらないんでしょうか?

 皇后陛下はご自分の事が、このように左翼に利用されている事をご存じでしょうか。

  能動的に活動する事は悪い事ではありません。

  だけど、皇室の主体は「天皇」である事を忘れてはいないかと。

  あからさまにミスリードしていく側にネタを提供するような事はしないで頂きたいです。

 

 小林よしのりー美智子皇后の戦いの始まり

 昭和33年11月27日、正田美智子嬢の婚約内定。

  その9日後の12月6日。後楽園ホテルに集まった右翼ら70名。

 「このご婚儀はカトリック教の世界的大陰謀である」

 「小泉信三もカトリックだ」

 「日清製粉のお嬢さんが皇后ではどうも天皇護持も今後は考えなくちゃいかん」

 「そもそも天皇が恋愛騒ぎをするとは何事であるか」

 「皇太子さまに御退きになって頂いて義宮さまに立って頂こう」

 (よしりんのつぶやき・・・今も似たような非難がされているな。東宮家に対して)

  この席にいたのは柳原白蓮。

 柳原白蓮は旧華族の出。松平信子と一緒になって猛烈な「美智子妃反対運動」を繰り広げる。

(よしりんのつぶやき・・・「旧華族」は今なら誰に似ているか。

 自称愛国者こそが天皇を困らせる。今も昔も変わらんな)

 「平民の血が入ると皇統はおしまい」

   「女系を認めたら皇統断絶だ」

  単なる旧弊・因襲に固執したがる右派や旧華族のような存在は今もうごめいている。

 55年前には「旧弊固執」が伝統ではない事を知り、天皇のご意思が全てであると考える

   右翼がいた。

  ところが、現在はそれが全然みあたらない。

  55年前の首相、岸信介は「旧弊固執」の自称愛国者の声をものともせず、大御心に沿って

  尽力したのに対して、その女系の孫である安倍晋三は「旧弊固執」の自称愛国者の

  支持が欲しくて天皇のご意思に反し、首相に就任するや真っ先に女性宮家創設を潰したのだ。

 美智子皇后陛下の戦いは、その後も「旧弊固執」舎との戦いとして続いていく。

 伝統と旧弊・因襲の違い、伝統と皇室の関係、伝統と社会の関係を、われわれも皇后様の

   闘いから学びたいものだ。

 当時、本当に保守派の方々の会合があったのでしょうか?

  これだけ「カトリック」が問題になったという事は、相当な「何か」があったのかもと

  思ってしまうんですが

 柳原白蓮のセリフは

 「皇太子殿下ともあろうものが たかがこなやの娘にほれて騒ぐとは

 外国にきこえでも恥ずかしい。皇后様は皇后様とあがめられるようなお方でなければ

 私共は皇后さまとは戴けない」

皇太子妃なんだけど、すでに「皇后」と読んでいたのねーー?

 「皇后様とあがめられる様なお方」≒血筋が正しい人 という解釈なんですよね。

 義宮を皇太子に・・・・なんて話は聞いた事ありませんけど。

 要するに「旧弊固執」に「果敢に戦いを挑む改革派の象徴」が美智子皇后陛下という事です。

  昔から「なるちゃん憲法」「自ら子育てをする」等々、そういうきらいはありましたけど、ついに

  ここまで来たかという感じです。


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