みなさん、連休を楽しんでいますか?
私は姫と一緒に宝塚へ
久しぶりに出待ちをしたら・・・・星組さん達ってほんと、よくしゃべる
壱城あずさなんて、お茶会のノリでしゃべってて、しかも服装がすごくかっこよくて。
そんな・・・みんなが喋っている間にさりげなく組長や副組長は去っていくのでした。
さて。星組「THE LOST GLORY」を見たのですが、あまりにもひどい作品ゆえに
怒り心頭 (そもそも開演アナウンスが「専科の轟悠です」って所から嫌でしたが)
植田景子は宝塚初の女性演出家です。
90年代は男女差別な作品が多くて(木村信司とか石田昌也とか・・・)
女性の脚本家で演出家なら、きっと私達女性の気持ちにそった作品を
作ってくれるのではないかと期待したものです。
植田景子と児玉明子は、そういう期待を持たれていたのです。
でも、ふたを開けてみたら
児玉明子はあんな状態で、結果的に退団してしまったし。
そして植田景子のこのていたらく。
植田景子程、男女の心の交流を知らない作家も珍しい。
年齢的にいくつか知らないけど、恋愛一つした事がない、人生経験が浅すぎる。
嫌々ながら脚本を書いているような印象すらあります。
宝塚歌劇団に演出家として入るのは大変です。
一番の「難」は新卒じゃないといけない事。
そもそも22歳くらいで将来がどうなるかなんてわかならないでしょう?
歳をとってからいい脚本を書く人もいるだろうし、宝塚にふさわしいものを追及する
人だっている。
だけど、とにかく「新卒」じゃないととらない。
そんな中、とにかく植田景子は恵まれた環境にいて、しっかりと学ぶ時間もあった筈。
にも関わらず
脚本家や演出家としてのキャリアを何一つ身に着けていない、素人中の素人、いえ
素人より素人なプロといえるでしょう。
もし、このブログをヅカ関係者が見ていたら、ぜひとも申し上げたい。
宝塚愛がない作家に何を書かせても無駄です
植田景子には素質も才能も技術すらない。
このような人は歌劇団にとっても、ジェンヌにとってもファンにとっても為になりません・・・・
この作品の何が致命的って
脚本が整理されていない
準主役に中半端なナレーションをさせたり、場が16もあったり、脈路のないセリフが
出て来たり。要は書きっぱなしの本です。
天寿光希が演じたレイモンドとその妻、礼真琴が演じた靴磨き、壱城あずさが演じた
宝石商など、意味のない人物だらけ。
登場人物の説明なし
そもそもなんでディアナは「素晴らしい女性」なんですか?
「高名な画家」というセリフはどこにもないし、それらしきセリフもありませんよ。
オットーとイヴァーノの似て非なる点がどこかわからないので、イヴァーノが恨みを持つ
理由がさっぱりわかりません。
誰一人印象的な人がいない
スターだらけなのに、誰一人印象的な動きをする人がいなかった。
全員かすみがかかっているようにしか見えませんでした。
その理由は、多分「見せ場」がなかったから。
個性的なキャラでなかったから。
セリフが行き当たりばったりで、心に少しも響かないのでそう思うのかもしれません。
時代考証
1929年。世界恐慌前夜の禁酒法時代のアメリカという設定。
この時代のアメリカでいうところの「階級制度」ってどんなものだったんですか?
日本人からすれば、アメリカは移民の国で、黒人と白人の差別はあっても
いわうるイギリス的な階級差別でのしあがれなかった・・・という事が?
オットーとディアナ。あの時代であれば「入籍」だけでなく、きちんと式をあげるのでは?
ロナルドが拳銃を出した時点で、射殺されてしかるべき。
今も昔もアメリカってそういう国だよ・・・・
イヴァーノが恨みを持つ理由が、時代と合わないような気がして。
まるで半島系の人みたいな「逆恨み」
短絡的すぎるというか、あの時代、イヴァーノ程頭がよければオットーの元を去っても
自力でなんとか出来たんじゃないか?
轟悠主役の動機づけがない
トップスターがいるのに、どうして専科で理事の轟悠がわざわざ主演しなければなかったか。
納得できる理由が何一つありません。
「だって書きたくて書いたんじゃないもの。歌劇団から轟さんを主役にしてと言われたから」
って・・・そういう言い訳しないでね。
今まで、「黎明の風」も「長崎しぐれ坂」も、「青い鳥をさがして」も、何となく
「ああ、轟さんでよかったな」と思って来たけど
今回ばかりは、何でオットーが轟じゃないといけなかったか、わかりません。
結果的に、「この物語は何がいいたかったのか」がさっぱりわからず。
次章では具体的にどこが問題だったかを書きます。