秋篠宮殿下 49歳のお誕生日
おめでとうございます
今後ともお健やかでますますのご活躍を
お祈り申し上げます
秋篠宮殿下の記者会見全文
今年一年を振り返ってー高円宮典子女王の結婚、桂宮薨去
災害、皇室の外国訪問など。
「この1年様々なことがありました。
中でも今質問にありました広島の土砂災害、
それから御嶽山の噴火による事故を始めとして、
自然災害が台風なども含めて多かったというのが印象に残っております。
この関東の近辺でも2月に大雪が降って、それによる被害もかなり出ました。
また、短時間に非常に降水量の多い雨が降るというのが増えていると思いますし、
これからも数が多くなってくるだろうという報告書も出ています。
そのような災害に対するリスクの管理が非常に大事になってくると思っております。
また、御嶽山の噴火による事故についても、
なかなか予測も難しいところがあるということも聞いていますけれども、
日本には火山も多い一方で、登山を楽しむ人もかなり多いと聞いています。
そのようなことを考えると、登山をして、
これはいろいろな目的で行く人がいると思いますけれども、
もちろん噴火に対する予知も大事ですし、山を登る人たちのリスク管理と
いうのも大変大事になってくるのではないかと思っております。
また、もう一つ挙げるのであれば、今、西アフリカの方で広がっている
エボラ出血熱があります。
これは非常に感染力の強い感染症ですけれども、
それに携わっている医療関係者には深く敬意を表したく思います。
これに限らず様々な感染症があります。
こういうものがいったん流行したときにどのように対応するか。
何となくアフリカで起こっていることで、日本にいると遠いところで
起こっているような気持ちになりますが、これだけ海外との
行き来が容易にできる時代になっていることを考えると、
そのことに適切に対応することが求められてくると思っております。
日本でも約70年ぶりにデング熱が発症したわけですが、
例えば気候の変化に伴って今後マラリアなどもまた日本で出てくる
可能性もあるかと思います。
そういうことへの対応をきちんと考えていくということが大変大事なことだと思っています。
生物学者らしいお言葉と思います。
今後、マラリアが流行るかも・・・あんて、普通は考えませんけどね。
登山好きな皇太子が「登山のリスク」を考えて登っているとは・・・・
とても思いませんね。
っていうか、そういえば御嶽山が噴火したのに、登山好きな皇太子は
慰問に行こうとも思わないし、山に対する情報収集もなさらないのだなと。
あとこの1年で印象に残ったことというと、
先だってノーベル物理学賞、3人の日本、これはどういう表現をすればいいのでしょうか、
2人の日本人と1人の、国籍がアメリカに移られていますから
日系になるのでしょうか。
日本出身の方がノーベル物理学賞の受賞が決まったという、
とてもうれしいニュースでした。
日本の科学分野がこれからもますます発展していくことを願っております。
それとつい2日前でしょうか、スポーツの話になりますけれども、
お相撲の白鵬関が32回の優勝に輝きました。
大鵬の記録と同じになるわけですけれども、
私なども32回に達するという人が今後出るのかと思っていましたが、
それが実際のことになったことは非常にすばらしいことだと思います。
珍しく白鵬に言及・・・これは白鵬への賛辞ですよね。
「品格がーー」とか言ってる相撲協会を暗にけん制?
皇室の外国訪問については、これは公式と非公式と両方あるわけですけれども、
非公式の方は非常に多様なので、とりあえず公式の訪問というものについて少
し私の考えをお話ししてみたいと思います。
例えば天皇の公式訪問であると、国賓という形がとられることが
多いと考えますけれども、
皇族の場合には、国賓としての訪問というのはまずないわけです。
そうすると国際親善・親善訪問という形になろうかと思います、
枠組みとしてはですね。
ただこれは、なかなか受け入れる側としても、
皇族、しかも天皇でもない皇太子でもない皇族をどう捉えていいかというのは
難しいときがあるのかなという気がします。
私たちも今まで何回くらいか分かりませんけれども、
行った中で向こうの元首の方であったりとか大臣だったりとかとお話をしている中で、
今回あなたたちが訪れた目的は観光旅行ですか、
というふうに聞かれたことが2回くらいありますかね(紀子さまに振り向かれて)。
こちらも観光旅行ではないけれども、かといって単なる親善だけですと
主たる目的が見当たらなくて、なかなか答えるのが難しかったことがあります。
皇族ですから、外交に携わってはいけないわけです。
外交ではない親善、例えば王室がある国ですと、向こうの王室との親善というのは
ある程度分かりやすいかもしれませんけども、
そうでない国もたくさんありますし、もし公式の訪問をするのであれば、
例えば外交関係ができてから何十周年であるとか、
日本と当該国との何か大きい文化行事があるとか、
何か一つの核になるものがあるべきではないかと思います。
そうではなくて単に親善ということを目的とした公式訪問というのは、
目的が曖昧になりますし、そういうものは余りよろしくないな、
というふうに考えております。
これは東宮家への強烈なパンチだと思います。
要約すると
「皇室は外交を目的に外国訪問をしてはいけない。
「親善」という名を借りた海外旅行になってしまってはいけない」
という事でしょうか。
皇太子一家は親善でもない「静養」目的でオランダまで莫大なお金を
つぎ込んで行きました。即位式では雅子妃は「ただ行っただけ」状態でした。
皇太子のスイス訪問は「150周年樹立」のものでしたが、単なる観光旅行
になってしまいました。
高円宮妃のオリンピック招致はまさに「外交」以外の何物でもなく
一番やってはいけなかった事ではないかと。
秋篠宮殿下が「皇室は外交をしてはいけない」とおっしゃった事は
「皇室外交を目的に入内した」雅子妃の生き方を否定したものです。
ここで考え方を変える事が出来ず、まだ側近に「皇室外交を」といい
続ければ自滅の道を歩むという事ではないかと。
それにしても秋篠宮両殿下に対し
「今回は観光旅行ですか」と聞いた人の顔を見てみたい。
両陛下から戦争についてどのように聞いているか
「私が本当に子どもの頃から度々に両陛下から戦争の話を聞きました。
特にあれは、1975年でしたでしょうか。
まだ復帰から3年の沖縄で海洋博が行われたときには、
非常に激しい地上戦になった沖縄の戦争のときの話を、
折に触れてというよりも非常に頻繁に沖縄戦の話を聞き、
またそれに関連する映画を見たりいたしました。
その後も度々に戦争のときの話を聞く機会があり、
私たち(両殿下)は、戦争というものを二度と繰り返してはいけないということを
強く思ったわけです。
ただ、一方で私が子どもの頃にたくさん戦争の話を聞きましたけれども、
それをなかなか子供心に理解するというところには、
非常に大切なことだということは分かりましたが、
きちんと理解するというところには至らなかったと思います。
むしろ、そのことを分かるようになったのは、やはり、ある程度大人になってから
話を聞くとともに、それに関連する昭和の歴史について戦争に
触れているところがたくさんありますので、
それに関連する書籍を読んだりしながら、だ
んだんと理解をできるようになっていったように思います。
ただ、そうではあっても私自身、
私たち自身がその時代に生きていたわけではありません。
終戦後20年たってから生まれています。
そのようなことからこういう出来事があったということは分かっても、
そのときのその時代の雰囲気というのはどうしてもやはり理解、
実際の感覚として分からないところがあります。
これらの言葉は同世代としてはものすごく納得できるし
「その通りです」と言うしかないです。殿下、簡潔に表現して頂いて
ありがとうございます。
ニュアンスとして、その当時聞いていたことに対する印象と
今、現在同じ事に対する印象が違って来ているのではないでしょうか。
私達は子供の頃、ものすごい左翼教育を受けて来たわけです。
殿下も子供心に不愉快な事を言われたりしたでしょうし。
それを乗り越えての今があるんですね。
「また、慰霊についてですけれども、
これは戦後50年の機会に両陛下は大きな被害を受けた
広島、長崎、沖縄と、東京大空襲被害での東京を慰霊されております。
また60年のときに、これも多くの人が犠牲となったサイパンでの慰霊をされております。
この霊について、やはり戦争中、そして終戦、それから戦後の復興を見てこられた
両陛下にとって、その礎となった人たちのことを、考え、
思いを寄せないわけにはいかないというお考えがあったと思います。
そして1回慰霊をするごとに、また新たな事実を知るようになり、
やはり慰霊をすることが非常に大切なことだという気持ちに
自然になっていかれたと聞いております。
特に、サイパン。今の陛下にとってサイパンが取り分け印象に残っているのは、
戦争がだんだん激しくなって、疎開が始まって、
最初の疎開をされたのが静岡県の沼津だったのです。
沼津の疎開中に、ある日学校の授業から帰ってきたときに、
お付きの人からサイパンが陥落して、危ないので日光の方に場所を移しますと
いうことを言われて、それでサイパンが陥落したということが
大変なことなのだと強く印象に残っているということを伺ったことがあります。
いずれにしても、やはり戦争の中に日々の生活があった両陛下にとって、
戦争の記憶を風化させることがないようにするという気持ちが非常に強くて、
それが国内、それから海外での慰霊というものにもつながっていると
私は理解しております。
子どもたちについてどのように伝えているかということですが、
私たちも時々戦争の話を自分が知っている範囲で伝えることはあります。
一方、子どもたちが御所へ伺ったときに、折々に両陛下から、
その当時のことについてのお話がありました。
先ほども申しましたように、私たちは戦争そのものを知らないので、
自分の子どもたちに大事なことで伝えられることは伝えますけれども、
なかなか当時の様子というのを正確に伝えることには限界があります。
その意味からも両陛下から子どもたちへの話というのは非常に大切な
機会であると思っております。
私たちが今までしたこととすれば、例えば戦争で大きな被害を受けた場所に
一緒に行って、その場で慰霊碑に花を手向けたり、
体験のある方から話を聞いたり、そういうことはいたしました。
先ほど質問にもありました、今年が学童疎開船対馬丸の悲劇から
70年という節目の年ということもあり、
その行事に家族で出席をしたわけです。
これはそのときに長女から聞いた話ですが、彼女は対馬丸のことを、
私たちがそのときの話をしたり、沖縄に行ったときに当時のことを知っている方から
聞いたことが最初だと思っていたのですが、学校の図書室に、対馬丸の、
(紀子さまに振り向かれて)
何て本でしょうね。ちょっと題名は分かりませんけれども、あって。
小学校の低学年の頃だと思うのですが、そのときに本を読んで、
そういうことがあったことを知ったということを話しておりました。
私からは以上です。
「理解している」という言葉の裏に殿下の苦渋が見え隠れ。
本当は年齢的にも「慰霊の旅」はやめて欲しいのではないでしょうか。
けれど、陛下からサイパンの話などを・・多分、何度も何度も同じ事を
話されて「だから行かなくちゃいけない」と言われたら止めようがない
んだろうなあと
息子である殿下に出来る事は「お気をつけて。体調に変化があったら
無理をされませんように」とおっしゃって、側近にお願いする程度かも。
かといって戦争経験者の両陛下を尊敬申し上げているからこそ
殿下はお子様方にも積極的に戦争の記憶を伝えようとなさっているのですね。
眞子様は「対馬丸」の本を学校の図書室で見つけたのですか・・・・
だったら愛子内親王も見ててもいい筈ですよね。
私は「ああ対馬丸」という漫画を読んだことがきっかけですが、何が
きっかけになるかわからないので、そういう機会は大事にしないと
いけませんよね。
紀子妃
「宮様とご一緒に参内しました折などに、両陛下より戦争や慰霊のことについて
お話をお伺いすることが度々ございました。
戦争によりかけがえのない尊い命を失われた多くの人々やそのご遺族に対する
深い思い、そして戦後の荒廃から復興に向けてたゆみない努力をされてきた
人々に寄せるお気持ちをこれからも大切にしてまいりたいと思います。
天皇陛下が皇太子殿下のときにお話をされた
「日本人として忘れてはならない4つの日」には、
子どもたちが小さいときから一緒に黙とうをし、
戦争で亡くなった人々のことを静かに思いながら過ごしてまいりました。
また、本を読みましたり、戦争を体験した人や専門家からのお話を伺いましたり、
関係する場所を訪れたりすることを通して、
子どもたちが自然に平和の尊さを感じることができるよう心がけてまいりました。
戦争を直接知らない世代の私たちにとって、
戦争を体験された方々の様々な思いをしっかりと受け止め、
次の世代に引き継いでいくことは容易なことではありませんが、
これからも戦争と慰霊について考える時間を大切にしていきたいと思っております。
無論、妃殿下は「皇族」としておっしゃっているのですが、
本来、こういう言葉は皇太子夫妻から聞くべきことではないかと思っています。
愛子内親王はもうすぐ13歳なのですが、皇太子殿下の記者会見の中で
「戦争」についての教育を受けたとかした・・というような話は一度もありません。
「心を寄せる」事の意味がここまで重要だったとは。