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韓国史劇風小説「天皇の母」173(ずっとフィクション)

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皇后の誕生日。その昔は持久節と言われ、天長節につぐ大がかりな

祝いをしたものである。

無論、それは現代に至っても変わらない。

その日は朝から皇族方がみな参内し、誕生日の祝いに訪れ

宮内庁や外国大使などからも祝いを受ける。

昼には昼食会、午後には茶話会などが催され、その昔に使えた人や

恩師などが挨拶に来る。

夜は夜で東宮とアキシノノミヤ家、ノリノミヤと共に夕食を囲む。

今年は特別な年になる筈だった。

なぜなら皇后は「喜寿」を迎えたからだった。

祝いもひとしお、前年に続く天皇の喜寿に続き、様々な祝いの形を

披露する筈だった。

しかし。今年の誕生日はなぜかとても静かだった。

報道陣も殊更に「喜寿」を強調しなかったし、それについての感慨も伝えられない。

皇后は思い悩んでいた。

娘の結婚発表を延ばしてしまった事に。

例の「人格否定」発言以来、マスコミはこぞって東宮家の味方をするようになった。

「人格」「キャリア」という言葉を今の日本人は大好きである。

何となくその言葉を使うと現代的というか、民主主義のような気がする。

それは天皇や皇后とて同じだった。

「平和」「権利」「自由」「人格」「キャリア」「平等」

皇后らが小さい頃には、子供にも女にも「人格」があるなどと考えられた

事はなかった(と感じている)

子にとって親や教師、年上の人間全てが「上」であって、対等にものをいう事など

考えられない時代だった。

そして皇室というのは「天皇」を中心とした序列の世界であり、ピラミッド型を

している世界だ。

その中に身を置く皇后にとって、時々ではあるが「これでいいのだろうか」と

思う事があった。

日本はとっくに戦争が終わって21世紀を迎え、民主主義が花開いている時代。

親子といえども「話し合い」が重視される世の中というのに、

皇室だけは今もって「天皇」が一番上で、下は従うしかない。

それが「伝統」である事はわかっていても。

天皇は皇室と言う「家庭」の中に民主主義を取り入れようとした。

何事においても相手を尊重しようとする姿勢である。

東宮家の独立もそうだった。

内廷皇族として家計を同じくする天皇・皇后と東宮家ではあるが

組織的には完全に独立させ、滅多なことでは意見をさしはさまない・・・という

姿勢をとって来た。

ゆえに、今回の騒動でも「個人」としては皇太子に質問はしても

「釈明せよ」と強制は出来ないと天皇は思っている。

天皇が権力を行使するような事態になったら「民主主義」は滅びる。

その考えには皇后も賛成だった。

皇太子は子供ではない。自分の言った言葉や行動には責任が伴う事が

わかっている筈である。そう教育してきた。

だから必ず自分の言葉で何か発するだろうと期待して待っていたのだった。

しかし。

皇太子は全く自ら答えを出そうとはしなかった。

「皇族」としてどう振る舞うか・・・・それはわかっている筈。

しかし、皇太子は妃の気持ちを尊重したいと考えたのだ。

妃が生きて来た人生と生活と道を理解し、認め、そして尊重したいと

思ったのだ。

「尊重」それはなんとあまやかな響きだろうか。

きっと考えがあるのだ・・・きっと何か言う筈・・・そんな思いは砕け散った。

ノリノミヤによれば皇太子は

「陛下とマサコ、どちらの意見を優先すべきかわからない」

と言ったそうである。

何と!どちらを優先すべきかわからないとは!

皇室において何よりも最優先されるべきは「天皇」の言葉であり行動なのだ。

それなのに・・・・・

しかし、そう聞いても皇后は諌める事が出来なかった。

なぜなら、自分自身そういう人生を送って来たから。

成婚以来、常に常に「根っからの皇族・華族」と闘って来たのだから。

先帝を疎んじたりという事はなかっただろう。

疲れ果て心を病んだ時、

夫は「何事においてもミーを一番尊重するし優先する」と言ってくれた。

結婚する時は「公務優先」と言っていたのに、あまりにも打ちひしがれた自分の

姿に同情して下さったのかもしれない。

でも、それで随分救われた事は事実である。

勿論、その言葉に甘えた事などない。

何年も皇室で過ごすうち、どうしたら先帝や皇太后に自分の立場を

わかって貰えるか研究し、そしてそれを実践してきたからだ。

あの当時の自分にとって、味方は「国民」だった。

血筋のない自分を「皇太子妃」として崇め、毎週のように美談を書いて

くれた雑誌、そして毎週の皇室番組、年に何度かの皇室特集。

皇太子妃・ミチコは国民のアイドルであり、国民の象徴だった。

彼女が美しい服を着れば誰もが喜び、歌を詠めば誰もが感嘆し

「母として妃としての生き方」全てが国民の手本になった。

そう努力して来たからだ。

 

多分、皇太子はあの時の夫と同じ事を思っているに違いないのだ。

皇太子妃はあの当時の自分と全く生き方が真逆だ。

なのにマスコミは当時と同じように「皇太子妃」の味方になった

「旧弊な皇室」「今時男系優先の皇室」「不妊への冷たい態度」等々

次から次へと皇室の悪口がこれでもかという程、雑誌に書かれる。

庶民から見れば皇室は遠い存在であるし、生活ぶりはかけ離れていて

「今時そんなのあり?」と思う者がほとんどだろう。

マサコはそういうものの象徴なのだった。

それでも本当に皇室を思えば、この際、皇太子夫妻にはきちんと苦言を

呈すべきだろう。

だが・・・その一言が・・・・・・その一言が言えないのだった。

はっきり言って皇后はマスコミを信用していない。という事は

「国民感情」というものを信用してないのだ。

自分が若かった時代がそうであったように、人ははっきり目に映るものに目を向ける。

もし、今、何かを言ったらその瞬間、国民は自分の敵になる。

それが怖いのだ。

ノリノミヤの婚約発表を延ばしたのもそんな理由だった。

数か月我慢すれば、この騒動もおさまるだろう。

それまで我慢すれば・・・

その代わり「喜寿」の祝いも行わない。嬉しい事は娘と共に。

 

床が小さく揺れたような気がした。

皇后は最初、めまいかと思った。

しかしそれはめまいではなかった。

「陛下、地震でございます」

揺れは次第に大きくなり、ゆっくりと、しかしなかなか終わらなかった。

女官が駆けつけ、皇后の傍に寄り様子を見守る。

「陛下は?」

「ご執務で宮殿の方に」

「大きい地震ではないけど、随分長いわね。それに何度も」

すぐにテレビをつけさせ、画面を見入る。

新潟で震度7の地震だった。

これは大変な事が起きたと瞬時に察する。

関西の地震を思い出す。あれから10年も経ってないのに・・・・

恐怖が襲う。

すぐさま見舞いを・・・と言った天皇と皇后を後目に

皇太子一家は御料牧場へ静養にでかけたのだった。

 


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