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公務分担と正しい受け答え

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 どんな受け答えも、裏付けがあって初めて生きるものだと思います。

 

 天皇陛下の公務・・分担 

 風岡長官の定例会見

 両陛下が行ってきた「子供の日」「敬老の日」にちなんだ施設訪問 

 子供の日 → 皇太子夫妻

 敬老の日 → 秋篠宮夫妻

 に分担。来年度もそれでいくかは未定。

 正直言って、この二つの公務は、両陛下が行って来た・・・という意味からすれば

  二つとも皇太子夫妻に引き継がれるべきものと思います。

  それが出来ず、秋篠宮家に半分受け継がせるというのは、都合のいいように

  宮家が使われているだけなんだと思います。

  (だって東宮家はほとんどお仕事がなくて暇なんですもの)

  子供の日の施設訪問。

   絶対に皇太子妃は行かないでしょうし、無論、愛子内親王などは想定外でしょうし。

 だけど、来てもらう側の気持ちになった事ありますか?宮内庁?

 子供の日、敬老の日の施設、それに携わる方々が皇族を迎える為に

  どれほど神経を使って準備し、そうそうの内容に迎えるか。

  今までは両陛下だったので、最高の礼をとればそれなりに黙って受け入れて

  もらえたけれど、

  皇太子の公務になれば、ドタ出ドタキャンへの配慮、ルーズな時間配分

 箝口令に名札着用・・・・とうような

 はた迷惑な事になりますよね。

  一方、老人施設から見たら両陛下という「最高位」の方が行ってきた事を

 内廷外皇族に代わることによって、気楽な感じになる・・・といったら言葉がよすぎで

  「格落ち」のような気になるのではないかと。

 子供・老人そのものからしたら秋篠宮夫妻の方がよっぽどありがたいと

  思うだろうし

 どうせ格落ちさせるなら、いっそ眞子・佳子内親王に公務を振り分けるべき。

  若くて美しい内親王が来た方がよーーーーっぽどみんなありがたいですもの。

 両陛下も宮内庁も「公務分担」というものに関して、甘く見すぎているのでは。

  「権威」を失えば皇室の価値もなくなります。

  秋篠宮夫妻に皇太子と同等の権利を与えなければ、本来「最上位」の公務すら

  軽くみられるでしょう。

  今後、こういう形で公務を振り分けたら、日本は「お察し」したとして海外では

  どうでしょうか

 タイも同じような問題を抱えていて、海外訪問はほとんどシリントン王女が

  こなしています。シリントン王女は王位継承権があるとはいっても

   じゃあ、ワチュラロンコン王太子と同格なのかといえば、そうは言えないわけで。

  この中途半端な「格」が海外でのシリントン王女の扱いに出ているのではないかと。

  私は秋篠宮夫妻に、そのような思いはさせたくないと思っています。

 

 紀子様、佳子様、キルトフィスティバルへ 

 22日、紀子妃殿下と佳子内親王は「国際キルトフェスティバルに出席

 紀子妃 「どれくらい(制作に)かかりましたか」

   佳子内親王 「素晴らしい。とても温かい感じがします」

 紀子妃が「どれくらいかかりましたか」と聞いても全然不思議に思いません。

  なぜなら、紀子妃にとってキルトフェスティバルは毎年来ている公務であるし

  パッチワークなどにも造詣が深くていらっしゃるからです。

  紀子妃 「どれくらいかかりましたか」

  製作者 「〇〇ヶ月くらいです」

  紀子妃 「デザインはどなたが?この部分はどれくらい?」

 と話が弾んだだろうなと思うからです。

 雅子妃が東山魁夷の絵を見て「どれくらい?」と聞いても、

  「ああ、興味ないんだな」と思います。なぜなら、多分、その後の会話が

  続かないだろうなと思うからです。

映像を見れば同じ「どれくらいかかりましたか」でも、大きく印象が違う。

 決して私の考えすぎではないと思います。

 

  北白川祥子さん死去 

 1月21日、北白川祥子さん死去。享年98歳

 元女官長。平成からは皇太后宮女官長。

 常陸宮華子妃の叔母

 私の年代であれば、北白川さんといえば「女官長」というイメージでした。

  いつも香淳皇后に仕えていらっしゃいましたので。皇太后宮女官長として

  香淳皇后をお世話されていました。

 北白川家は伏見宮系の「世襲親王家」の一つです。

  3代目の成久王が明治天皇の娘と結婚。

  二人でヨーロッパに留学中、自動車事故で成久王が死去。

  悲劇の宮家と呼ばれる。

 4代目の永久王に嫁いだのが父が徳川家、母が津軽家の祥子妃殿下。

  臣籍降下するまでは皇族でした。

   そして図らずも昭和天皇のお妃候補の一人。

  祥子妃の娘、肇子氏は今上のお妃候補第一号でした。

  そして5代目の道久王(彼は紀宮の結婚式で斎王を務める)

  のお嬢様二人は皇太子のお妃候補でした。

 北白川家に白羽の矢が立った時、本来は誰もが「この方こそ東宮のお妃」

  と思ったようですね。だけど、戦後で生活も苦しい時代であった事もあり

  北白川家から辞退を申し出た・・・・と言われています。

  元皇族の方々は正田家の洋館を見てどんな風に思われたでしょう。

  美智子さんのゴージャスなドレスや海外旅行を知って、どんな風に感じたろうかと。

  そして現東宮のお妃候補に挙がったお二人もあっさりと候補の外へ。

  血筋もその続き方も元皇族の見本のような北白川家。

 元妃殿下を女官長として見た時。皇后陛下の心にどんな思いがよぎったろう・・・

  などと、 想像をたくましくしてしまうのでした。

 ご冥福をお祈りします。


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