昭和天皇の思い出
「昨年8月に昭和天皇実録が天皇皇后両陛下に奉呈されました。
実録が,長い時間をかけて多くの人々の努力により今回完成したことをうれしく思いますとともに,
編纂(さん)に関係した方々のご苦労もいかばかりであったかと思います。
実録は,昭和天皇ご一代のご事蹟(せき)を客観的資料に基づき記したものであり,
実録の内容の公表を通じ,多くの人が昭和天皇のご事蹟(せき)に関心を持ち,
併せて昭和という時代への理解を深めることになればと思います。
実録自体は大部のものであり,全体を読むのには時間が掛かりますし,
個別の内容について申し上げることは控えたいと思いますが,
昭和という激動の時代にあって60年を超える長きにわたり,国民を思われ,
真摯(し)にご公務に当たられた昭和天皇のお姿がしのばれます。
昭和天皇のご事蹟(せき)と昭和の時代の変遷を,
政治,社会,文化,外交などの総合的な視点から理解するためにも,
更に実録を読み進めていきたいと思います。
昭和天皇には,幼い頃から,御所に上がらせていただいた折に,
優しくお声を掛けていただいたことを懐かしく思い出します。
そして,天皇のお仕事の大切さやお仕事が大変なこともお話の節々に感じたように思います。
小さい頃の思い出ですが,御所に上がった折に,生物学者でいらっしゃった昭和天皇が,
何かをお調べになるのに書庫に入って行かれたことがありました。
今の陛下も一緒に行かれて,私も興味があったのか,後をついて行ったように思います。
書庫の中で分厚い本を昭和天皇が広げられ,
今の陛下と何か楽しそうに,それでいて真剣な感じで話し合われていたのをよく記憶しています。
その時,私は,何かあったら調べることの大切さ,そして,お二人の研究者としてのまなざしを肌で感じ,
研究をするというのはすばらしいことだなと,子供心に思ったことを覚えています。
現在の私は,昭和天皇とも現在の天皇陛下とも研究分野は異なりますが,
お二人から,真理を探求していくことの大切さや,その楽しみについても,
いろいろと教えていただいてきていることに対して大変感謝をしております。
「孫」としての意見が一つもありません。他人事。そして読んでない。
読むのに時間がかかるから個々については言わないけどーーーというのは
要するに「読んでない」って事ですよね。
「・・・したように思う」「ついていったと思います」「記憶しています」
要するに全然覚えていないって事ですね。
この部分の秋篠宮の答え。
「昭和天皇の思い出ということですが,一つ挙げるとするならば,これは昭和の最後の頃ですね。
昭和天皇の恐らく一番最後の生物学の関心事だったと思われるナスヒオウギアヤメというものがありました。
ナスヒオウギアヤメというのは,ヒオウギアヤメ,これはアイリスの仲間ですけれども,
ヒオウギアヤメの一変種になるわけですね。那須にあるのでナスヒオウギアヤメなのですけれど,
昭和天皇の生物学研究所の職員が普通のヒオウギアヤメと違うものがあるといって見付け,
恐らく変種だろうということになったのですが,そのアヤメが,
果たしてヒオウギアヤメとどういう関係にあるのか,そのことを知りたいとあるとき私に話されました。
いわゆる花の形態であるとか,そういうものでないやり方で何か分からないかと,
遺伝学とか,生化学ですとか。それで,私がつなぎ役みたいな形になって,
財団法人でしたけれども進化生物学研究所という元々は東京農業大学の育種学研究所
だったところですが,そこの所長に話をして,ナスヒオウギアヤメのプロジェクトが
始まったということがありました。
その間,中間的な報告が私の所に来るとそれを昭和天皇の所で説明をするということをしていたのが
ちょうど1988年でしょうね。春ぐらいだと思うのですけれど。
ただ残念ながら,一連の仕事が終わる前に崩御になってしまいまして,
その後平成になってからですけれども,できた論文を吹上御所の,
昭和天皇のお御(み)影というのでしょうか,写真の前にお供えしたと,そういうことが
恐らく一番印象に残っていることかなと思います。
そのほか,子どもの頃に,夜,曼珠沙華がきれいにお堀端に咲いているから見に行こうという話があって,
全員で曼珠沙華を見に行ったとか,そういうことがありますけれど,
一番印象に残っているのは,やはりナスヒオウギアヤメのことです」
だけど皇太子のこの「情」のなさというのは・・・単に昭和天皇との思い出がない
というだけなんでしょうか?
天皇陛下はこの部分を、美智子妃の思い出として語られています。
「この時私は那須を離れ,地方で行われる行事に出ていたのですが,
昭和天皇は生まれたばかりの浩宮を守って留守をしている美智子が寂しくないよう,
香淳皇后と共に散策にお誘いくださったのではないかと思います」
この後、ヒツジグサを見つけて昭和天皇に名前を教えて頂き、紀宮のお印にした話に
繋がるのですが、これは故意だったのでしょうか?
独身の頃の思い出などではなく、あえて美智子妃が一人で那須に残された時の話を
したというのは。
韓国で行われる「水フォーラム」出席について
「私も,国連「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁をやっておりますので,
今回の世界水フォーラムが,水問題を考える上で良い大会となることを心より願っております。
私の出席については,これは政府の方で検討されることですので,
私からはコメントは控えたいと思います」
何というか・・・「国連水と衛星に関する諮問委員会の名誉総裁」をやってるぞ。どうだ!
的な。そして政府に訪韓を阻止された事に恨みがあるような話し方ですよね。
天皇の公務について昭和天皇から学んだ事は
「昭和天皇とは本当に小さい時から御所に上がるたびに非常にいろいろと
良くしていただいていたわけですけれども,
昭和天皇から直接公務について何か教えていただいたということよりは,
やはり昭和天皇とお話をしながら,ご様子を拝見しながら,
昭和天皇がご公務に真剣に取り組んでいらっしゃるということを非常に肌で感じ,
そのことが私にとっても大変大きな教えになったように思います」
普通、身内のことを「よくしてもらって」とは言いません。それを言うなら
「可愛がっていただき」だと思います。
「昭和天皇には小さい頃から御所に上がるたびに、色々と心を砕いて頂き
可愛がっていただきました」というならわかるけど「昭和天皇とは・・・よくして頂いて
いた」という言い方自体が変。
この「よくして頂いて」は小和田語ですよね。
かつて愛子内親王が雅子妃から「よくしてくれてるから今度は私が・・・」と言ったのと同じ。
皇太子は昭和天皇と触れ合ってはいないでしょう。
本来、皇統を継ぐ孫なのですし、誰よりも可愛がられなくてはいけない存在なのに
それがなかったという事は、それを阻むものがあったという事。
孫が祖父母と親しくなれない原因は「親」です。
浩宮の成長過程で、美智子妃の葉山静養や「いじめ」などから、過剰に回りへの
敵意を吹き込まれたのではないかと。
戦争について両陛下から聞いた事は
「個々のことについてお話しするのは差し控えたいと思いますが,
両陛下からのお話の中で,やはり本当に戦争がいかに悲惨なものであるか,
こういったことを本当に二度と繰り返してはいけないものだということが,
お話の節々で感じ取られ,本当に両陛下の平和を尊ぶお気持ち,
それから諸外国との友好関係を大切になさるお気持ち,
そういうものが私にも非常にひしひしと伝わってきて,そういったことが私にとっても
非常に強く印象に残っております」
つまり何も聞いてないという事ですね。
とにかく「悲惨」「二度と」「平和」という言葉を羅列していれば、何とかなるといった感じ。
感想が小学生並みで「何だかわからないけど戦争って怖いんだなあ」と思いました的な?
しかも「個々の事について話すのは差し控える」という事は、具体的な
エピソードが何もないと言う事ですね。
記者会見時の皇太子の顔が非常にむくんでいる事が気になりました。
また、動画の中の雅子妃の上目使いに笑う顔がどうにも不愉快で。
キャバクラ嬢じゃあるまいし、媚びたような顔をする必要性があるんでしょうか?
さらにいうなら皇太子は内親王側に体を向け、雅子妃を見ないようにしています。
無意識に避けているような感じです。
もしかしたら娘も避けているのかも。
天皇陛下から「次世代として最後の宿題」になる・・・と言われた今回の記者会見。
私は、天皇陛下から見ると今回は「及第点」と思います。
なぜなら「憲法順守」「平和」を繰り返している事。
「正しい歴史認識」「謙虚に歴史を振り返る」「平和が大事」「戦争は悲惨」
天皇というのは国家安泰を願う立場にいるものですが、それは無条件であると
私は思います。
「正しい歴史認識」や「謙虚さ」を持った国家なら願う価値あり・・ではないのです。
天皇陛下と皇太子の発言を昭和天皇がお聞きになったらどうでしょうか?
「負けてしまったばかりに」と思われるでしょうか。
昭和天皇が晩年、沖縄へ行きたいと思われたのは「君主」として沖縄を見捨てた
形になってしまった事を詫びる為で、決して戦争したことではないと思います。
避けられるものなら避けたかった。
それは誰でも同じです。でも日本と言う国の存亡の危機に、天皇としてどうあるべきか。
それはなかなかに答えが出ないものであるけど、次世代が過去を否定しては
いけないのではと思います。
皇太子が天皇になると言う事は、はっきりと「自虐史観」を掲げた天皇が誕生する
事になります。それは政府にとってメリットになるんでしょうか?
政治家の方々は皇室には無関心です。
むしろ左翼の方が「天皇と皇太子の発言は利用価値あり」とみているでしょう。
それが正しいのでしょうか?