戦後70周年について。
「先の大戦において日本を含む世界の各国で多くの尊い人命が失われ,
多くの方々が苦しい,また,大変悲しい思いをされたことを大変痛ましく思います。
文章作成者(雅子妃?小和田家?)
(まず、哀悼の意だよ。痛ましい・・・この言葉に尽きる。)
何というか・・「苦しい」「悲しい」などという言葉で表現できる程度のものなんでしょうか。
先の大戦というものは。
「広島や長崎での原爆投下,東京を始め各都市での爆撃,
沖縄における地上戦などで多くの方々が亡くなりました。
亡くなられた方々のことを決して忘れず,多くの犠牲の上に今日の日本が築かれてきたことを
心に刻み,戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう過去の歴史に対する認識を深め,
平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないかと思います。
そしてより良い日本をつくる努力を続け,それを次の世代に引き継いでいくことが
重要であると感じています。
文章作成者(雅子妃?小和田家?)
(平和憲法万歳!歴史認識といえばずばり「日本が加害者」という事でしょう。
戦争はしちゃだめ、平和といえば誰もが喜ぶ)
戦後生まれのくせに上から目線だよな・・と思うのは私だけですか?
「両陛下には,これまで様々な機会に,戦争によって亡くなられた人々を慰霊し,
平和を祈念されており,今年は,戦後70年に当たり,4月にパラオ国をご訪問になります。
戦後60年にはサイパン島をご訪問になりましたが,
お心を込めて慰霊されるお姿に心を打たれました。
また,両陛下には,今年戦後70年を迎えることから,
昨年には広島,長崎,沖縄で戦没者を慰霊なさいました。
文章作成者(雅子妃?小和田家)
(天皇の業績をここで一発。感動したと言えばみな喜ぶし納得するだろう)
「ご訪問になりました」という言い方がすでに上から目線。本当は自分がやらなきゃ
いけない事じゃないんですか?
両陛下が慰霊している事をいちいちあげつらう事に何の意味が?
この部分の秋篠宮の答え。
「私が本当に子どもの頃から度々に両陛下から戦争の話を聞きました。
特にあれは,1975年でしたでしょうか,まだ復帰から3年の沖縄で海洋博が行われたときには,
非常に激しい地上戦になった沖縄の戦争のときの話を,
折に触れてというよりも非常に頻繁に沖縄戦の話を聞き,
またそれに関連する映画を見たりいたしました。その後も度々に戦争のときの話を聞く機会があり,
私たち(両殿下)は,戦争というものを二度と繰り返してはいけないということを
強く思ったわけです」
同じ親から同じ事を聞いていながらこの感想の違い・・・・・
「私は,子供の頃から,沖縄慰霊の日,広島や長崎への原爆投下の日,
そして,終戦記念日には両陛下とご一緒に黙祷(とう)をしており,その折に,
原爆や戦争の痛ましさについてのお話を伺ってきました。
また,毎年,沖縄の豆記者や本土から沖縄に派遣される豆記者の人たちと会う際に,
沖縄の文化と共に,沖縄での地上戦の激しさについても伺ったことを記憶しています。
私自身もこれまで広島,長崎,沖縄を訪れ,多くの方々の苦難を心に刻んでまいりました。
また,平成19年にモンゴルを訪問した際に,モンゴルで抑留中に亡くなられた方々の
慰霊碑にお参りをし,シベリア抑留の辛苦に思いをはせました。
私自身,戦後生まれであり,戦争を体験しておりませんが,
戦争の記憶が薄れようとしている今日,謙虚に過去を振り返るとともに,
戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に,悲惨な体験や
日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています。
両陛下からは,愛子も先の大戦について直接お話を聞かせていただいておりますし,
私も両陛下から伺ったことや自分自身が知っていることについて愛子に話をしております。
我が国は,戦争の惨禍を経て,戦後,日本国憲法を基礎として築き上げられ,
平和と繁栄を享受しています。戦後70年を迎える本年が,
日本の発展の礎を築いた人々の労苦に深く思いを致し,平和の尊さを心に刻み,
平和への思いを新たにする機会になればと思っています。
文章作成者(雅子妃?小和田家?)
「毎年黙祷している事をいい、沖縄豆記者に会って思った事をいい
両陛下から話を聞いているしそれをちゃんと娘にも話してる。
日本国憲法を守り、憲法9条を守る事が大事だとメッセージを送ろう」
55歳にもなって、毎年の黙祷をわざわざ「黙祷した」と報告する皇族が
どこにいるでしょう?
いちいち「黙祷した」「沖縄と広島へ行った」「モンゴルへ行った」「沖縄豆記者から
話を聞いた」と殊更に自己主張しています。
当たり前の事をしているだけなのに、何でそんなに主張するのか?ものすごく
不愉快です。
豆記者から話を「伺っている」わけ?
しかも「記憶している」って・・・・毎年会っているのに大昔の話しみたい。
結果的に自分が聞いた話と愛子内親王に話す内容は「悲惨な戦争」という
事だけでしょうか?
具体的に何をどう聞いたという話がない(当たり前です。その場にいないんだから)
適当に答えているという印象。
大問題なのは
「謙虚に」過去を振り返る云々・・・謙虚って何?謙虚って。今の日本人が謙虚に
過去を振り返っていないとでもいうの?
首相が靖国神社に寄進したりお参りしたりすると「謙虚じゃない」とか?
河野談話を踏襲しないと思われるから「謙虚じゃない」とか?
なぜにそこまで政治発言するのか。
「歴史が正しく伝えられていくこと」という「歴史」を皇太子はどう受け止めているんでしょう?
自虐史観でしかものを考えられない人、少しも日本国側に立ってものを見ない皇太子。
これでも昭和天皇の「孫」なんですって。
「我が国は・・・」からの件は天皇陛下の言葉のパクリ。「平和」を連呼するけど
平和とは何か。世の中が左に大きく振れているからこそ、反対に動く事が必要なんです。
でもこういう考え方は皇太子だけに責任があるわけではない。
そういう教育をしてきた両陛下にあるのです。
雅子妃と愛子内親王について
「雅子は,治療を続ける中で,体調をその都度整えながら,
公私にわたってできる限りの活動をするための努力を続けています。
そうした中で,この1年を振り返ると,昨年7月に神宮参拝のため三重県を訪問し,
11月に「持続可能な開発のための教育(ESD)に関するユネスコ世界会議」への出席の
ため愛知県を訪問しました。
東京でも10月にオランダ国王王妃両陛下の国賓訪問に際する国賓行事出席や11月に
皇居宮殿での文化勲章受章者等の茶会などの行事に出席しました。
また,東宮御所内の仕事などでも,私をよく支えてくれる一方,愛子の成長にも心を配ってくれています。
このように,雅子は,確かに快方に向かっておりますが,
これですぐに活動の幅が広がるわけではないと思います。
お医者様からもご助言を頂いているように,体調を整えながら,
引き続き,焦らず慎重に,少しずつ活動の幅を広げていってほしいと思っています。
文章作成者(雅子妃?小和田家?)
「温かく・・・」を入れるとなんだかんだ言われるから、とりあえず「活動の幅」
そして「お医者さまのアドバイス」という錦の御旗をかかげれば大丈夫」
またも「やったこと」の羅列。それしか言うことないんかい?という感じ。
「快方に向かっている」が「活動の幅が広がるわけではない」
でも「活動の幅を広げていってほしい」
意味がわからない文章です。
一体、何をどうしたら「活動の幅を広げる」事が出来るの?
焦らず慎重に・・・何をどうするわけ?
こんなんで国民を騙せると思ったら大間違いだと思います。
「愛子は,昨春から学習院女子中等科に進学し,元気に通学をしております。
新しい環境の中で中学校生活を始め,その環境にもかなり慣れてきたのではないかと思います。
中等科生になり,勉強する内容も難しく,量も多くなっていますので,
家でも頑張って課題などに取り組んでいます。
雅子も私も愛子の勉強を見ることがありますが,内容の難しさに驚くこともしばしばです。
同時に中等科では,外から多くの生徒が入ってきたので,
新しいお友達も増え,上級生とも交流するなど,実り多い中等科生活を楽しんでいるようです。
7月の武蔵野陵及び武蔵野東陵の参拝,さらに神宮参拝は,雅子と共に,愛子も同伴しました。
愛子は,一昨年の神宮式年遷宮に際して私たちと一緒に遙拝を行い,
また,初等科6年生の時に,放送委員として昼休みの放送で神宮式年遷宮について
紹介するために学習していたので,実際に神宮を参拝し,
更に理解を深めたのではないかと思います。
その後も8月に東京で行われた全国高等学校総合体育大会の競技などにも愛子を同伴しておりますが,
愛子もこうした行事への出席に少しずつ慣れてきたように見えます。
これからも少しずつ経験を積み,皇族の務めについての理解を深めていってくれればと思っています。
両陛下には,雅子の体調をお気遣いいただき,そして,
愛子の成長を温かくお見守りいただいていることに心より感謝申し上げております。
また,国民の皆様より私たちに温かく心を寄せていただいておりますことに心より感謝しております。
文章作成者(雅子妃?小和田家?)
「愛子の「出来た事」を羅列してよその子とは一線を画す、高貴な子供なんだという事を認識
させる。そして両陛下を出す事によってさらに「陛下の孫」である事を強調する」
「元気に通っている」は嘘だし、慣れているのも嘘。
そして家庭教師がいるのに内親王の勉強を親が見ているって?
新しく雇った家庭教師が全く役に立ってないと言っているようなもの?
去年一年の事はともかく、式年遷宮の遥拝まで持ち出すとは・・・・・しかも
6年生の発表まで言い出す始末。もうすぐ中学2年になるのに、2年前の話を・・・
「伊勢に参拝できた」「=皇族としての特権」という見方があるんでしょうね。
とにかく「慣れてきた」ことが大事なんですね。