ゴールデンウイークまっただ中、嫁公務・妻公務・母公務お疲れ様でございます。
ブログを始めて11年目ですか。
最初は子育て中心に書いていたと思いますが、そこから宝塚やドラマの話になり
今や皇室中心になってしまい「ふぶきのブログってこんなんだっけ?」と
思われる方も多いかと思います
とはいえ、宝塚や舞台も見ますしドラマも同様。
講演会後の二次会でみなさまが、私の時間の使い方を質問されてて。
ドラマを1・3倍速で見てると言ったら驚かれていましたよねーー
本は職場の行きと帰りに読みます。
いつも1,2冊は鞄に入れているので重いです
ブログを書きながらテレビを見て・・・の日々。本当はよくないのはわかってますけどね。
さて。
皇族のティアラについては以前、書いた事があります
→ こちら
かなりだぶる部分もあるのですが・・・ご容赦を。
専門家ではないのでよくわからないのですが、日本は「髪飾り」に関しては
あまり発展しなかったような気がします。
簪 → 邪を払うもので神事に使われていた。花をそのまま髪に刺したり。
髪を束ねているもの・・・+横に長い櫛が邪を払うんですよね。
奈良時代まで → 唐風
すみませんっ!資料がないので「天上の虹」を参考にさせて頂きました。
平安時代以降 → おすべらかし → 簪文化消滅
戦国時代以降 → 武家社会で簪が隆盛
一方。
中国や朝鮮では女性王族の髪型は巨大化する一方。
満州族代表西太后。両把頭と呼ばれる髪型。鬘です。
李氏朝鮮では「カチェ」と呼ばれる大きな鬘をつけています。
肩布が王妃の証。簪は王妃と側室では違っていたようですね。
何が言いたいかというと、あちらでは髪型・簪等は「女性の格付け」だったんでしょうね。
位が高ければ高い程、鬘も大きくなり簪の質もよくなるというか。
日本も大奥などでは、女中達の位によって使える簪の質が違ったようです。
しかし、宮中では・・・上も下も同じ髪型です。
じゃあ、どういう所で「格付け」があったのでしょうか。
多分、それは天皇が住む「清涼殿」からみて一番近い部屋に住んでいる人が
最も位が高いという事でしょうか。
それから衣の色。純白は皇后の色だそうですし。
しかしながら、近代になるまで日本では頭の上に何かを載せて歩くという
経験はあまりなかったものと思います。
ヨーロッパにおけるティアラの歴史は古く、ギリシャ・ローマ時代までさかのぼるそうです。
これが原型。月桂樹の葉をかたどったアポロンの髪飾り。
生者から死者への敬意の印として捧げられました。
最高位の者に捧げられる、神性のあるものとして神様に捧げられる。
(簪の歴史と似てますよね)
それがやがて「富と権力の象徴」として女性の頭の上に輝く事になります。
イギリス王室を例にとると、ティアラの歴史が古いイギリスでは
歴代のお妃や王女様のティアラが沢山残されて、きちんと保存されているようです。
それを多少は加工したりしつつも、おおむね、そのままの形で受け継ぐ。
・・・という事なんですよね。
例えばキャサリン妃のティアラ
大元はこっち エリザベス女王のお母様のティアラ
マーガレット王女もつけてます。
ダイアナ妃のティアラ
大元はこっち。エリザベス女王のティアラ。
毎回、新調しない代わりに、大昔のティアラを借り放題(無論女王の了解は必要ですが)
日本のティアラの歴史はせいぜい130年かそこら。
でもヨーロッパのティアラの歴史は・・・・・
そう考えると、ティアラ後進国の日本、随分頑張ったと思うんですけどね。
日本のティアラ第一号。外国製の「星のティアラ」
星の部分が外れて、ネックレスにもなるという優れもの。
昭憲皇太后のこのティアラが皇太子妃に受け継がれ
貞明皇后に・・・・そして香淳皇后に。
さらに 現皇后に・・・・(さっぱりみないけど)
後にミキトモトが国産のティアラの製造技術を会得。
以後、日本でもティアラは全部新調するというよりは、そのパーツを使って
リメイクする・・・・というのが主流に。
例えば上記の貞明皇后がつけているネックレス。
これがティアラになって
こうなった・・・・・
さらに 皇后に受け継がれ(さっぱりみないけど)
疑惑のティアラの大元は
香淳皇后のご成婚記念で作られた1923年。
それが 美智子妃に受け継がれ
今や行方不明。
ちょっとちょっとーーー
これってただのヤフオク売却事件じゃないですよ。
日本の歴史的遺物が売られたって話。本当にあるのかどうか調べないでどうするの。
文化遺産が消えたって話なんですよっ!!
ちなみに
第二ティアラは1960年製
「質素で倹約家」といいつつも皇后陛下はしっかりご自分だけのティアラを作製。
が・・・ プラチナがブリキに変わった疑惑。
そりゃ、日本にはティアラ文化はないけどね。
こんな大事な事が見過ごされていいのか。
イギリスをはじめ、ヨーロッパの出来事だったら「犯罪」になるんですよ。
なのに日本は「皇室の事は見ない・聞かない・調べない」
「皇室に限ってそんな事ある筈がない」
「きっとどこかに保管されている・・・・でしょ?仮に売っぱらってもそれは皇室の自由」
てな話。宮内庁が「あります」といえば、なくてもある。
まるで今の皇室の姿そのものじゃありませんか。
いわゆる小菊のティアラや星のティアラが「皇后」にしかつけられないもの・・・という
格付けがあるなら真実は雅子皇后誕生以後にしかわからないし、
もしかしたら永遠にお目見えしないかも(私達が生きている間には)
悠仁親王のお妃の代になって初めて「それは・・・・紛失した」と真実が
語られる日が来る?っていうか、それまで皇室はあるのか?
日本はどうしてこうも文化財保存に意欲がないのかなあ。