色々なところでティアラについて語られているようなので
私はそれをなぞるだけですけど。
ただ、一つ言えるのは、日本では近年、「ティアラは新しく作製するもの」という
認識ですよね。眞子様しかり佳子様しかり、女性皇族が成年に達した時に
ティアラを誂える。
そしてそれは国家財産なので降嫁と共に国に返却される。
前述したキャサリン妃のように、新調せず王室所有のものをそのまま使う・・・・
カミラ妃もそうですね・・・といったような使い方は日本ではあまりしないようですね
今の日本では、一体どれくらいのティアラがどこに保管されているのか
どのような保存状態でいるのか、誰も知らない。
だからこそ、長い間ティアラをつけなければ「紛失したのでは」と思われても
しょうがないのです。
雅子妃が皇后から受け継いだ「第一ティアラ」は元をただせば香淳皇后のティアラで
文化価値も高い筈
それをある時期から全く見なくなってしまい、「小和田家が売却した」疑惑まで
持たれるという事はゆゆしき問題であって、宮内庁はすぐに実物を出して
「そんな事はない」と言うべきです。
雅子妃の第二ティアラは「旭光ティアラ」と呼ばれるフリンジタイプのティアラ。
美智子妃が1960年に作ったもの。
プラチナとダイヤだったこれが、本当に今現在、シルバーに代わっているのだとすると
本当に恐ろしい犯罪なのです。
しかし、宮内庁は一切弁明しなければ、調べもしない。
新しいティアラを作ればいいんだろう・・・・的な感覚ではないかと。
これは「古いものには価値がない」とするどなたかの価値観とそっくりで
国会議員の方々はなぜこれを追及しないのでしょうか。
(韓国に仏像を盗まれても知らん顔の国だから?)
ミキモトが創業以来、技術を磨いて作り上げたのが歴代のティアラなのです。
ミキモトだって宮内庁にきちんと問い合わせるなり、聞くなりしてもいい筈では。
(ティアラには時代による流行がありました。その変遷を皇室のティアラで
辿ってみたらお客が沢山入ると思うけど。それくらい皇室にはティアラが
沢山眠っている筈なのです)
話を戻して。
戦前・戦後を通じてティアラは女性皇族の頭上を飾って来たわけですが
必ずしも毎回新調してきたわけではありません。
母のものを、伯母・叔母のものを、親戚のものを借りたり貸したり、あるいは
譲られたりしてきたわけです。
例えば。
二代目朝香宮孚彦王と千賀子妃の結婚写真。
朝香宮家は初代、鳩彦王と明治天皇の娘である允子内親王とで創設された宮家です。
藤堂伯爵家令嬢の千賀子さんが二代目と結婚した時、故允子妃の形見の
ブローチをネックレスにしてつけています。
アール・デコのちょっと奇抜な感じのブローチですね。
そしてその時、ティアラも受け継いだのではないでしょうか。
「私の妻として、母の形見を受け継いで欲しいんだ」
「はい。嬉しい」
なんて会話があったかも
こちら1930年製・高松宮喜久子妃のティアラ。
俗に「葵のティアラ」と呼ばれているそうです。模様が葵の御紋に似てる?
なんせ喜久子妃は徳川家ですし。
そしてその5年後
可愛い可愛い北白川宮祥子妃。ご結婚の時。
祥子さまは尾張徳川の出。
「徳川同士だし、ティアラを貸して差し上げましょう」なんて事があったかも。
北白川宮家は3代目が明治天皇の娘・房子内親王とご結婚。
祥子妃は4代目の妻。そして戦後は長く女官長をお務めでした。
尾張徳川家の流れをくむのは常陸宮妃華子さま。
ご結婚時に作られたティアラ。
祥子妃がつけておられたネックレスに似ているとの話もあります。
また、
第二ティアラ・・・・これは
有栖川宮慰子様のリメイクでは・・・とも言われています。
ともあれ、常陸宮妃は2つティアラを持っているのです。
津軽家は徳川家とも北白川家とも高松宮家とも有栖川宮家とも繋がっています。
その気になれば、ティアラの一つや二つ「お使いになって」とおっしゃる方々がが多々
いらっしゃったのでは。
ご成婚時の十二単も美智子妃のお下がりと言われていますが、前記の血脈であれば
ゆかりのものを手にいれられたのではないかと・・・私は思うんですけど。
あえて遠慮されたのでしょうか?
皇室の中で唯一の「私物扱い」のティアラ。
紀宮さまのティアラです。
何で私物って・・・両陛下がお金を出したからです。
でもこれは1920年製の
李方子妃のティアラが元になっているとか。
何で梨本宮家のティアラが紀宮に・・・・とちょっと不思議に思いますよね。
なんせ梨本宮妃伊都子さんは美智子妃擁立に大反対したお方。
結婚の儀の朝には「日本はもうだめだと思った」と書いたくらい
戦後、臣籍降下の憂き目を見て、老人二人きり、守正王は軍人で戦犯だった・・・・
という事で一時金が著しく少なかった宮家。
しかも泥棒に入られるなどし、すっからかんのみじめな生活を送られた伊都子さま。
そんな母を献身的に支えたのは娘の方子様であり、秩父宮妃であり。
奇しくも正田美智子さんの母、富美さんは副島家のご出身。
副島家といえば伊都子妃実家、鍋島家の家臣。
この深い因縁の恐ろしさ。
梨本宮家の方子女王が李家に嫁いで李方子妃となり。
けれど臣籍降下後は様々な苦難が。
そんな方のティアラを調整したという事が・・・・何というか・・・・ねえ。
紀宮は高松宮妃に可愛がられていたわけだし、そっちの方から
ティアラを受け継ぐ事は出来なかったんでしょうか。
喜久子さまなら喜んで「サーヤの為に」とおっしゃったでしょうに。