6月6日。豊島岡墓地と宮邸において、三笠宮仁親王殿下の三年式年祭が
行われました。信子妃は出席されませんでした。
三年式年祭に際して
彬子女王の所感
「父の三年式年祭を迎えるに当たり、
これまで多くの皆様方より頂戴いたしましたあたたかい御弔意に対し、
この場をお借りいたしまして、改めて心よりの御礼を申し上げます。
父が亡くなられてから、あっという間の3年間であったような気も致しますし、
ずいぶんと長い時間がたっているような気も致します。
3年がたち、ようやくこれまでの時間を見つめなおす心の余裕ができてきたようにも思います。
今は、妹と二人で父の御公務を引き継がせていただいておりますが、
関係者の皆様が愛情をもって父の思い出話を折々にしてくださるのを伺いながら、
父がこれまでなさってこられたことの大きさを実感し、
私自身も身の引き締まる思いが致します。
父には到底及びませんが、妹と共に、精一杯の力を尽くしてまいりたいと思います。
無我夢中で進んでまいりましたこの3年間を、天皇皇后両陛下を始め、
皇族殿下方、周りの多くの方々、国民の皆様があたたかくお見守りくださり、
お導き、そしてお支えいただきました。
たくさんの方々のお力によって、ここまで歩んでこられましたことを
心よりありがたく思っております。
父が築かれました寛仁親王家はなくなってしまいましたが、
三笠宮同妃両殿下のお教えを頂きながら、今後も皇族の一員として、
三笠宮家の一員として恥ずかしくないよう、務めを果たしていきたく思います。
随分とはしょられたんだな・・・とわかる所感。
それにしても彬子女王、敬語の使い方があかしいと思います。
父がなくなられてから → 父が亡くなってから
父がこれまでなさってこられた → 父が生前行ってきた
でいい筈。どうしても敬語を使いたいのなら「父」の部分を「仁親王殿下」に
おきかえる必要があると思います。
彬子女王は博士号を持つ方でしかも皇族なのに随分といい加減な言葉の使い方を
するんだなと思いました。
「妹と共に」 → ここをどうして「母と妹と」に出来なかったか。
また、三笠宮家の一員として・・・という言葉に「皇族」としてのプライドを感じます。
っていうか感じすぎ。お父様のなさって来た事は彬子女王が皇族でなくなっても
出来る事だと思いますし、彬子女王はお父様とは別の道を選んでいるのではありませんか?
ここは宮家の一員に拘るより、よりよいご縁を探して降嫁するのが筋かと。
だれかがそそのかしている・・・・というコメントを見ました。
そんな事するのは。
長老殿下しかいないのではと思いつつ。やっぱり大殿下としては息子を3人も持ちながら
誰一人男子をもうけることなく、しかもご自分より先に逝かれた事に人一倍傷ついていると
思うんです。彬子女王にだって「もしお前が男だったら・・・」みたいな事をおっしゃったのでは?
戦前において、未亡人ではなく内親王なり女王なりが一生独身で、しかも一人で宮家に
残った例はありません 好き嫌いに関わらず「格」で結婚相手を選んで来たからでしょう。
皇族はそれでいいと思いますけど。
それとも桂宮淑子内親王みたいに、一人で宮家当主になり独身のまま生涯を終えますか?
確かに淑子内親王は「天皇の姉」として地位だけはだれよりも高かったですけど
それが幸せだったかどうか。
信子妃の所感
「祥月命日及び毎月の月命日に豊島岡のご墓所へお参りに上がりながら、
早三年祭を迎えました。
宮様を思い御好物のお料理やお飲物を、毎食御作り致しておりますと、
「これが好きだったのを覚えていたの。歯応えがいいね。」などと宮様のお声が
お写真から頂戴できるようで、大きな励みになった様に存じます。
宮様が御元気だった頃のお姿を思い出しては、宮様と私の
二人でしか出来ないお話を懐かしく、
又、有り難いことと感謝の日々でございます。
私も体調が定まらずお役に立つことが叶いませんでしたことを
恐縮に存じておりました頃とは
比べものにならないほど回復することができました。
昨年からは、ご案内を頂戴致しました多くのお務めをすべて務めさせて
戴ける様になりましたことは、
ご理解と御支え下さいました多くの方々の御蔭様と深く感謝申し上げます。
天皇皇后両陛下をお支え申し上げ、震災の復興支援を含めて、
国民のお役に立ちます様精一杯努力を致してまいります」
こちらは至極真っ当。
夫婦にしかわからないあれやこれやが垣間見えるようでいいなと思います。
体調は「くらべものにならないほど回復」とおっしゃりながら、三年式年祭には出席
されませんでした。
信子妃の医師の文書
「関係各位には日頃よりご理解とお力添えをいただき、心より感謝申し上げます。
妃殿下におかれましては、おかげさまで、ストレス性喘息(ぜんそく)の治療プロセスを
着実に進んでおいでになり、ご回復は極めて順調であります。
さらに、関係各位のご理解とご期待に応えて、ご案内の通り通常のご公務も
果たしておられます。
順調なご回復の中で、かねてより、妃殿下に赤坂御用地にお出でいただくことの
適否を検討してまいりましたが、今回の赤坂訪問はまだストレスが
過剰ではないかとの懸念があり、
時期尚早であると判断いたします」
簡潔だけれどこれが本当の「医師団見解」だと思うんですよ。
大野医師の名前で出される、長ったらしいもっともらしい言い訳だらけの文章は
どう考えてもおかしい。
しかしながら、あれだけ公務にまい進されてきた信子妃が・・・・
それこそ晩さん会にもご出席されたのに、三年式年祭に出られないというのは
そう考えても変。
ストレス性喘息っていうけど、だったら思い出も語れないのではないかと思いますし。
やっぱりこれは「出席して欲しくない」為の医師団の文書だったんだろうと。
宮邸も墓地も両方ダメって話はないんじゃないかなあ・・・祥月命日は参拝している
わけだし。宮内庁と彬子女王の間でここが妥協点だった?
とするなら、宮内庁は本来の役目を全うしていませんよね。
余談ですけど、雅子妃の主治医は「治療のプロセス」なんか持っているんでしょうかね?
同じ医師なのにこれほど文章に違いが出るという事は、おのずと人間性の差なんでしょうか?
どんな有名な医師であっても大野医師にかかる事はお勧めしませんね。
追記
墓所には午前中に信子妃が訪れ、その後、皇太子夫妻と秋篠宮夫妻、黒田夫妻が参列。
千家家の典子さんも。
上記の彬子女王の顔、すごく険が出ているというか。ちょっと怖い。
皇太子夫妻。二人とも姿勢が。
偉そうな皇太子の前髪が変。
扇を突き出す雅子妃。
三笠宮両殿下。