>カエルさま
別腹説は置いといてお気持ちはわかります。
皇后陛下は冷遇しているつもりはないのです。「長幼の序」を守っていらっしゃる
だけです。
「将来一宮家」
「将来民間人」
お育て方をされただけ・・・・・と思っていらっしゃるでしょう。
サーヤは小さい頃から年に1度、皇后陛下と私的な旅行をされていました。
それは「将来、降嫁される宮様との思い出作り」みたいに報道されていました。
個人的には「紀宮はそんなに早く結婚するのかしら」と思っていたんですけど
結果的に35歳まで皇室にいらした。今だって皇居に出入りはご自由。晩さん会にも
ご出席。「内親王の降嫁」も随分イメージが変わりましたよね。
じゃあ、あの私的旅行は一体なんだったのかと。
>ナビちゃんさま
紀子妃のお気持ちねえ・・・・心が折れまくっていると思いますよ。疲れていらっしゃるし。
ただ小さい親王を抱えていますから馬車馬的に頑張らないといけない。
立ち止まれない状況だと思います。
ゆえに、何かきっかけがあったら突如、ぽきっといきそうな気がして心配です。
秋篠宮家に関する本はなかなか出ておりません
「日本の血脈」(石井妙子・文春文庫)あたりはいかがでしょうか?
「沖縄2紙が左翼に乗っ取られている」まさにその通りなんだけど
そのまま言うと大騒ぎに。
それがそもそもおかしいのはわかってる。だけど誰も味方にならない悲しさを感じます。
礼宮が結婚を急いだ理由は何か
あくまで個人的な印象を述べますね。
昭和60年・・・川嶋紀子嬢、学習院大学に入学。
本屋さんで礼宮が見初める。
早速自然文化研究会に誘う。
昭和61年・・・・「私と結婚してくれませんか」
「よく考えさせて頂いてよろしいでしょうか」
平成元年・・・・紀子嬢、大学院入学。婚約。
平成2年・・・・礼宮と紀子嬢結婚。
という流れです。
礼宮の行動は用意周到というか、非常に策略的です。
その裏には、成人するやいなや「お妃は誰に」と騒ぎだしたマスコミへの
警戒感があったのだろうと思います
実際、浩宮の「お妃選び」はマスコミ先導型の仕組まれた感すらありました。
浩宮自身も「価値観が同じ人」だの「ティファニーであれやこれや買う人は困る」
だのって言ったものですから、よけいにマスコミが騒ぐ
そうかといって、イギリスの王子たちのように女性と付き合っているという噂は
一切聞きません。
女性と並んで歩いているというシーンすらなかったんじゃ
無理無理ブルックシールズとツーショットとか・・・柏原芳恵に薔薇を渡すシーンを
撮影しては「お妃候補か」と大騒ぎ。
今思えばかなり滑稽でしたよね。
根拠がないのに騒ぐマスコミを知り、礼宮は自分の結婚について、噂レベルで
言われたりするのは嫌と考えたのではないでしょうか。
だから、川嶋紀子嬢と知り合うと、まず自分のテリトリー(サークル)に引き込み
回りを学友で固め、極力二人きりにならないようにする
付き合い初めてわりとすぐに東宮御所で皇太子夫妻に紹介。
「運命の相手」というのは、付き合ってる時間ではなくて一瞬のひらめきの
ようなものでしょう。
出会って1年の間にサークルに入れて、ひそかに付き合って両親や家族に紹介。
多分、昭和天皇もご存じだったのでは。
「お印に檜扇菖蒲」を選ばれた理由を考えるとそんな気が。
だけど、考えてみればであった時、紀子様は18歳。礼宮は19歳です。
礼宮は成年式を終えた時点でプロポーズしたという事になるのでしょうか。
礼宮20歳の頃、浩宮は26歳。
昭和61年といえば、浩宮がエレナ王女のレセプションで小和田雅子さんと
出会った年。
ここに大きなカギがあるような気がします。
小和田雅子さんの魔力に魅入られた浩宮と、すんなり「結婚」に行きそうにない
ムード。当時の宮内庁はまだ「チッソの娘はダメ」という雰囲気でしたでしょう?
浩宮の執着をそらす為に別な女性を・・・・と考えても不思議はありません。
そして、学習院育ちで皇太子夫妻とも仲が良い「礼宮のガールフレンド」を・・・
と誰かが考えてもおかしくはないのです。
この時点で美智子妃殿下は紀子嬢を気にいっていたと思われます。
紀宮とも仲良しで、まるで生まれながらに皇室にいたかのような懐かしさを
感じさせる女性に誰もが夢中になったに違いないのです。
浩宮にとって紀子様は「好み」だったかどうか。
大きな瞳と外国人のような容姿が好きな浩宮ですから、ちょっと系統は違うかも。
でも柏原芳恵の雰囲気は少しはあるかなと
川嶋紀子嬢は賢い女の子でした。
礼宮と付き合い始めると言葉遣いが変わったと学友が話しています。
つまり「覚悟」があったのです。
それを「好きで皇室に入ったんだから」というとらえ方をするのは間違っています。
紀子嬢は学習院の教授を父に持ち、自らも学習院育ち。
「皇族」と付き合う事がどんな事なのか、一般の人より知っていたのです。
その上で、礼宮の「相手」としてふさわしい女性になろうと努力したのです。
最初は「紀子ちゃん」と可愛がっておられた皇后陛下ですが
これが「結婚」になると、難色を示します。
皇后陛下のおっしゃった言葉は「長幼の序」
つまり弟は兄より先に結婚してはいけないというもの。
今じゃ「結婚出来る人から先にどうぞ」ですけど、25年前は確かに
そういう「序列」は大切にされていた時代です。
それは礼宮にもわかっていた筈。
にも関わらず「どうしても今、結婚したい」とおっしゃった。
紀子嬢は学習院大学大学院入学決定
礼宮は大学院からイギリスへ留学
この二つが決まっていた事を考えると、そこで「結婚」は普通、考えないでしょう?
「大学院を卒業したら結婚しよう」という話になった筈。
無論、両陛下もそれを望んでいた筈です。
紀子嬢が大学院を卒業する2年後には皇太子の結婚も決まっているのではないか・・・・・
と期待していたかもしれない。
にも関わらず。
礼宮は「今」と説得。
若さ弾ける情熱・・・というものとは全く違う思惑がそこにあったのではないか。
すなわち「今を逃すと紀子嬢は永遠に自分のものにならないかもしれない」
という不安ですよね。
紀子嬢の気持ちは決まっていました。
礼宮とであったその日から。
だけど、いくら本人がそう願っても、求婚してくる相手が礼宮より上位の場合は
ましてや、その後ろにいる人達の事を考えると、とんでもない話になります。
皇太子の気持ちはこの際、考えません
小和田雅子嬢がイギリスでマスコミに対し「そういう気持ちはありません」と言った
時点で、頭の切り替えをしようとしたかもしれないし。
これはあくまで憶測ですよ。
婚約記者会見で礼宮はは
「今の時点で兄の結婚が決まっていないという事」を婚約の理由に挙げていました。
男性24歳の結婚は当時でもちょっと早いかな・・・あと2、3年は恋人期間を
楽しみたい人が多い中で「家族になる事」を真っ先に考え行動した礼宮。
川嶋紀子嬢のおっとりとした雰囲気と賢さや可愛らしさは「皇太子妃にこそふさわしい」
と考えた人々。
それらの期先を制する形で礼宮は結婚を決意したのでは・・・・と思うのです。
そして無論、それを許した両陛下の側にも思惑が。
それは「即位の大礼に妃が欲しい」という事。
本来なら皇太子妃が欲しい所だけど、それはもう絶対に無理・・・それだったら
この際、弟宮妃でもというお気持ちだったのでは。
皇室における高齢化の波は差し迫っていたのです。