ご日程
両陛下
6月17日ー18日・・・・両陛下 → 山形県訪問
・北原尾地区開拓記念碑視察
・北原尾地区入植者等と懇談
・平成9年第48回全国植樹祭お手植えの樹木視察
・さくらんぼ農家視察
・会食
・河北町紅花資料館視察
・(紅花関係者と懇談
・知事より震災時の聴取
6月19日・・・両陛下 → 部課長と昼食
三の丸尚蔵館「鳥の楽園」鑑賞
天皇陛下 → 高等裁判所長官,地方裁判所長及び家庭裁判所長会同らと会う
通常業務
ニジェール大統領と会見
6月21日・・・皇后陛下 → 前橋汀子 アフタヌーン・コンサート Vol.11鑑賞
6月22日・・・両陛下 → 第71回日本芸術院授賞式出席
同茶会
6月23日・・・両陛下 → 外務省より進講を受ける
勤労奉仕団に会釈
離任スーダン大使夫妻に会う
トンガ随行員に会う
人事異動者に会う
天皇陛下 → 通常業務
6月24日・・・両陛下 → 在京外国大使夫妻と午餐
第7回日本・メコン地域諸国首脳会議について説明を受ける
6月25日・・・皇后陛下 → 養蚕
天皇陛下 → 内閣府事務官から進講を受ける
離任デンマーク大使に会う
認証官任命式
両陛下 → 文部科学省研究振興局長,千葉大学名誉教授,九州大学大学院
システム情報科学研究院主幹教授,東京大学大学院理学系研究科長・
理学部長と会う
皇太子同妃両殿下
6月19日・・・両殿下 → 外務省から進講を受ける
6月22日・・・皇太子殿下 → 離任スーダン大使と会う
茶会に陪席
6月23日・・・両殿下 → 海外青年協力隊と会う
6月24日・・・皇太子殿下 → 勤労奉仕団に会釈
大英博物館鑑賞
秋篠宮家
6月19日・・・秋篠宮殿下 → Human-Chicken Multi-Relationships Research Project
出席
6月20日・・・両殿下・悠仁親王 → 「アリのままでいたい」鑑賞
6月21日・・・両殿下 → 香川県訪問
・ 香川県農業試験場視察
・ 主基斎田100周年記念式典出席・懇談
6月22日・・・両殿下 → 宮中茶会陪席
6月23日・・・両殿下 → 外務省より進講を受ける
「水大賞」について説明を受ける
人事異動者に会釈
6月24日・・・両殿下 → 宮中午餐陪席
秋篠宮殿下 → 研究会出席
6月25日・・・紀子妃殿下 → 第11回ICMアジア太平洋地域会議・助産学術集会」について
説明を受ける
25日。
皇太子殿下は愛子内親王の授業を参観。
理科、保健体育、音楽、道徳の授業を見ていた。雅子妃は来なかった。
……娘の授業参観に父親が来る。しかも延々と4時間以上見ていたという事?
朝日デジタル 「秋篠宮ご夫妻、心配りの25年」転載
■ 豊富な人脈生かし震災支援
公的な活動を通じて国民の期待にこたえ、天皇陛下をお助けする――。
秋篠宮さまは会見などで皇族としての役割をそう語ってきた。
数多くの団体の役職を務めるなど、活動量は皇族方の中で群を抜く。
象徴的だったのが、東日本大震災での慰問活動だ。
天皇、皇后両陛下の思いを受け継ぐように発生直後から頻繁に被災地を訪れた。
2011年5月には、紀子さまと岩手県大槌町に足を運んだ。
東京から新幹線と車を乗り継いで約6時間。変わり果てた街並みを悲痛な面持ちで見守った。
淡水魚の保存活動を通じてたびたび町を訪れていた秋篠宮さま。
震災直後の4月、親交のある町の男性に「ご迷惑のかからない時期に、
町にお見舞いに伺いたい」と伝え、翌月の訪問につながった。
ご夫妻は友人を訪ねるように住民一人一人に声をかけ、安否を気遣った。
がれきの撤去作業をする自衛隊員をねぎらい、地元の文化保存会の活動拠点にも足を運んだ。
大槌町在住の男性は「ご一家の存在が住民の励みになっている」と話す。
眞子さま、佳子さまも、ご夫妻の思いを受け継ぎ、ボランティア活動に参加した。
震災支援に限らず、秋篠宮ご夫妻はこれまで培ったネットワークをもとに、活動の幅を広げている。
「自分は多様な人々を結び、調整するコーディネーターでありたい」。
秋篠宮さまは自身がかかわるさまざまな研究分野について、
20年来の親交がある国立科学博物館の林良博館長にそう吐露している。
秋篠宮さまは総裁などとして、多くの団体に関わっている。
共通するのが、そこに集う人たちのつながりを重視している点だ。
秋篠宮さまの提唱で03年に創設された「生き物文化誌学会」には、
研究者を始め全国各地の企業家や地域の文化人、高校の先生など多種多様な人材が集まっている。
秋篠宮さまは毎回、会員と肩を並べて前列に座り、自ら質問に立ち、懇親会では酒を手に語り合う。
3代目会長で、秋篠宮さまが小学生のころから親交を重ねてきた湯浅浩史・進化生物学研究所
理事長は、「長い年月をかけて築いた市井の人脈が、
秋篠宮家ひいては皇室を支えているのでしょう」と話す。(島康彦、伊藤和也)
■ ご一家で支え合い
秋篠宮さまと紀子さまの出会いは学習院大学在学中だった。
周囲も公認の仲だったにもかかわらず、記者が紀子さまに交際について尋ねても、
いつも笑顔でけむに巻かれていた。
だが、1度だけ、記者の前で紀子さまが涙ぐんだことがある。
秋篠宮さまが大学卒業後、英国に留学中の時のことだ。当時は携帯電話やメールは
一般的ではなく、海外との連絡は時差を超えての国際電話だった。
学習院のキャンパスを散策しながら、記者が
「英国にいらっしゃる殿下から連絡はありましたか」と尋ねたところ、
紀子さまは弱気な表情を見せ、涙顔になった。
お二人の今後を案じた様子には、秋篠宮さまへの思いがあふれていた。
秋篠宮さまが英国留学から戻った1990年に、お二人は結婚式をあげた。
それから25年。3人のお子さまに恵まれ、秋篠宮家は皇室最多の5人で構成される。
ただ、秋篠宮さま、悠仁さまと2人の皇位継承者を擁するものの、決して支援態勢は十分ではない。
皇太子ご夫妻と愛子さまがいる直系の皇太子家には宮内庁の一部局「東宮職」が置かれ、
専従の侍医を含む約50人のスタッフを抱える。一方、秋篠宮家の職員数は約20人で、
侍医もいない。
限られた環境をご一家全員で支え合ってきた。
宮内庁関係者によると、秋篠宮ご夫妻は地方を訪れる際、
公務に支障がない限り、日帰りを希望するという。
小学生の悠仁さまと少しでも一緒に過ごしたいという親心からだ。
悠仁さまが幼少時、ご夫妻が家を空けた際には、
眞子さまや佳子さまが自主的に離乳食を作ったこともある。
海外訪問から帰国するなり、幼い悠仁さまを抱いて歩く紀子さまの姿を見たことも。
紀子さまは「妃殿下」として秋篠宮さまの国内外での活動に同行するほか、
宮邸内では「妻」として日常を取り仕切るなど
「何役も果たさなくてはならないお立場」(宮内庁幹部)だ。
しかし、紀子さまと親しい関係者はこう明かす。
「常に前向きで、何事にも努力を惜しまない。すごく我慢強い。
私たちにも何も言わないんですよ」(斎藤智子)
■秋篠宮ご夫妻の歩み
1965・11・30 秋篠宮さま誕生
66・9・11 紀子さま誕生
84・4 秋篠宮さま学習院大学法学部政治学科に入学
85・4 紀子さま同大文学部心理学科に入学
90・6 結婚の儀。秋篠宮家を創設
91・10・23 長女眞子さま誕生
94・12・29 次女佳子さま誕生
2006・9・6 長男悠仁さま誕生
■ 秋篠宮さまの主な役職
皇室会議予備議員▼山階鳥類研究所総裁▼日本動物園水族館協会総裁▼御寺泉涌寺を護る会総裁▼恩賜財団済生会総裁▼大日本農会総裁▼大日本山林会総裁▼世界自然保護基金ジャパン名誉総裁▼日本テニス協会名誉総裁▼日蘭協会名誉総裁▼全日本愛瓢会名誉総裁▼日本水大賞委員会名誉総裁▼日本ワックスマン財団名誉総裁▼サイアム・ソサエティ名誉副総裁▼東京大学総合研究博物館特招研究員▼東京農業大学客員教授▼生き物文化誌学会常任理事
我慢と忍耐の25年。本当に素晴らしい事だと思います。