(2)20世紀からくむべき教訓
20世紀から我々がくむべき教訓とは何だろうか。
第一に、国際紛争は力によらず、平和的方法によって解決するという原則の確立である。
力による現状変更が許されてはならない。
第二に、民主化の推進である。
全体主義の国々において、軍部や特定の勢力が国民の人権をじゅうりんして
暴走した結果戦争に突入した経緯を忘れてはならない。
第三に、自由貿易体制である。
大恐慌からブロック経済が構築され、国際貿易体制が崩壊したことが
第二次世界大戦の要因となったことを踏まえ、20世紀後半の世界経済は、
自由貿易体制の下で発展してきた。
第四に、民族自決である。
大国が力によって他国を支配していた20世紀前半の植民地支配の歴史は終わり、
全ての国が平等の権利と誇りをもって国際秩序に参加する世界に生まれ変わった。
え?いつ?
第五に、これらの誕生間もない国々に対して支援を行い、
経済発展を進めることである。
貧困は紛争の原因となりやすいからである。
このような平和、法の支配、自由民主主義、人権尊重、
自由貿易体制、民族自決、途上国の経済発展への支援などは、
いずれも20世紀前半の悲劇に学んだものであった。
また出た「民族自決」という言葉。好きね。
考え方が古いんじゃないかと・・・・・今時、貧困が紛争の原因になりやすいって
いえる?むしろ「宗教」じゃないの?
この世界の歩みは、第二次世界大戦によって焦土と化した日本が、
20世紀後半に国際社会の主要メンバーとして発展してきた歩みに重なる。
日本は、20世紀の前半はまだ貧しい農業中心の国であり、
産業と貿易によって富を築くという考えよりも、
領土的膨張によって発展すべきだとする考えが、
1930年代には支配的となってしまった。
明治の頃は「産業と貿易」によって富を築いて来たけど、同時進行で
「列強」からの支配をうけない為に日清日露戦争を始めた筈。
「領土的傍聴」によって発展って考え方があったんですね。当時。
戦前の日本においては、政治システムにも問題があった。
明治以来、アジアで初の民主主義国家として発展してきた日本であったが、
明治憲法は多元的で統合困難な制度であって、総理大臣の指揮権は軍に及ばず、
関東軍が暴発した時、政府はこれをコントロールする手段を持っていなかった。
独善的な軍は、戦局が厳しくなるにつれ、国民に対する言論統制を強め、
民主主義は機能不全に陥った。
そして軍事力によって生存圏を確保しようとする日本に対し、
国際的な制裁のシステムは弱く、国際社会は日本を止められなかった。
「明治憲法」のどこが多元的なのか説明して欲しいです。
関東軍に政府が対抗できなかった理由が「明治憲法」なのでしょうか。
こ・・・国際的な制裁システムが弱いって・・・・・
何もかも日本が悪くて、世界が止められなかったって・・・世界の主役は日本
みたいな考え方よね。
しかし、20世紀後半、日本は、先の大戦への痛切な反省に基づき、
20紀前半、特に1930年代から40年代前半の姿とは全く異なる国に生まれ変わった。
平和、法の支配、自由民主主義、人権尊重、自由貿易体制、民族自決、
途上国の経済発展への支援などは、戦後の日本を特徴づけるものであり、
それは戦後世界が戦前の悲劇から学んだものをもっともよく体現していると
言ってよいのではないだろうか。
あほっ 20世紀後半は日本にとって身に覚えのない「従軍慰安婦」問題に
翻弄され、「痛切な反省」を強要されたのではありませんか。
国としての価値観が消えた・・・ともいえるでしょう。
むしろ、戦前の否定をやりすぎて民族的誇りを忘れてしまったのではないだろうか。